復活大活躍! 日ハム・上沢直之から大谷翔平へのエール | FRIDAYデジタル

復活大活躍! 日ハム・上沢直之から大谷翔平へのエール

合宿所で相部屋だった元「指導係」から「故障者リスト」入りの大谷への伝言

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うわさわ・なおゆき ’94年2月、千葉県生まれ。小学校までサッカーを続け、野球を始めたのは中学生になってから。専大松戸高からドラフト6位で日ハムに入団。昨年までプロ通算6年で17勝23敗、防御率3.51。身長187cm、体重88kg。右投げ右打ち

「翔平とは今でも連絡を取り合っています。ヒジをケガしたと聞いた時は、LINEで『大丈夫?』と送りました。すぐに『問題ないです』と返信をもらい、日本で報じられているほど大事ではないようなので安心しました」

こう語るのは、日本ハムのエース上沢直之(24)だ。1歳年下の大谷翔平(現エンゼルス)が新人の時、キャンプの合宿所で同部屋となり「指導係」に。大谷がメジャーに渡った今季は、リーグトップの3完封を含む7勝2敗、防御率2.04の好成績でチームを引っ張っている(6月26日現在)。

「翔平が抜け『日ハムは投手層が薄くダメだ』と多くの評論家が予想しましたが、下馬評を覆してやるという気持ちで投げています。オフからウェイトトレーニングを重ね、上半身の筋肉量がアップしたのが好調の要因。以前は長いイニングを投げると肩に疲れを感じましたが、今季はその感覚がなくなりました」

上沢が150km近い速球とスライダーを武器に、専修大松戸高(千葉県)から日ハムにドラフト6位で入団したのは’12年のことだ。


「中学生の時に野球を始めてから、ずっと怖いモノ知らずでした。プロ入り3年目に8勝(8敗)を上げましたが、さらに飛躍できると信じて疑いませんでした」

’16年3月、上沢は野球人生初の大きな挫折を味わう。右ヒジ関節痛で滑膜(かつまく)ヒダ除去手術を受け、長期離脱を余儀なくされたのだ。上沢の言葉は、右ヒジ靭帯(じんたい)損傷で故障者リスト入りしている大谷への伝言でもある。

「手術をする1年ほど前から、痛みを感じていました。最初はそれほどでもなかったんですが、少しヒジを曲げただけでも痛み始め、ズボンにベルトを通すこともできない。日常生活にも支障をきたす状態でした。『本来の投球ができなくなってしまうのでは』と不安でメスを入れることを拒んでいましたが、対症療法を続けても痛みは一向に消えません。それで思い切って手術に踏み切ったんです」

当初は術後2~3ヵ月で実戦復帰するつもりだった。だが、現実は甘くない。

「痛みは徐々に抜けましたが、まるで自分のヒジではないような違和感が残りました。医師に相談すると『内視鏡手術なので切り口は小さいけど中では派手なことをやっているから』と言われ、自分が楽観視し過ぎていたことを悟り絶望的な気持ちになりました」

二軍で実戦復帰したが、ストライクゾーンにボールが入らない。思い切り投げても、球速は130㎞ほどしか出なくなった。


「ボクが手術を受けた’16年に日ハムは日本一になりますが、戦力になれない悔しさで一軍の試合はまったく見ていません。チームはハワイに優勝旅行に行っても、ボクは鎌ケ谷(日ハムの二軍施設)での練習で蚊帳の外。朝起きてグラウンドに行くのがツラかった……。野球が本当につまらなかったです」

親身になって指導したのが、伊藤剛と高橋憲幸の両二軍投手コーチ(当時)だった。

「ボクが腐っているのを察し、『もやもやした思いを全部話してくれ』と言われました。『ヤル気になれない』『戻れるなら(8勝をあげた)3年目に戻りたい』と打ち明けると、ボクの投球動画を夜中まで一緒に見て『下半身と上半身を連動させられれば強いボールが投げられる』と励まし続けてくれた。再び一軍のマウンドに立てたのは、とことん練習につき合ってくれた2人のコーチのおかげです」

昨年7月に726日ぶりの白星をあげ、自信を取り戻した今季は「最低2ケタは勝ちたい」と意気込む上沢。似たような状況で苦しむ後輩・大谷には、「焦らず野球を楽しむ気持ちを忘れないでほしい」とエールを送った。

両足を地面につけたままボールを投げる練習。体重移動がスムーズにできないと強いボールを投げられないため下半身の上手な使い方を学べる

本誌未掲載カット

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撮影:小松寛之

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