30年前『WON’T BE LONG』が大ヒット曲になった理由 | FRIDAYデジタル

30年前『WON’T BE LONG』が大ヒット曲になった理由

スージー鈴木の「ちょうど30年前のヒット曲」、今回はバブルガム・ブラザーズの大ヒット曲!

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85年2月27日、新宿・ルイードでライブを行ったバブルガム・ブラザーズのブラザー・コーン(左)とブラザー・トム。この時、彼らはまだレコードデビュー前
85年2月27日、新宿・ルイードでライブを行ったバブルガム・ブラザーズのブラザー・コーン(左)とブラザー・トム。この時、彼らはまだレコードデビュー前

ちょうど30年前のヒット曲を紹介していく連載です。今回は、1990年8月22日発売のこの曲をご紹介します。

「90年代」というと「バブル崩壊」「小室系」「ディスコ」「カラオケ」という形容が、自動変換のように付いてきます。それはそれで間違ってはないのですが、それだけだと、あの時代を彩ったあれやこれやが、ポロポロとこぼれ落ちるのです。

今回強調したいのは、「90年代とは、日本において黒人音楽が市民権を得た時代だった」ということです。ただ「黒人音楽が市民権を得た」といっても、みんながみんな、山下達郎のように、黒人音楽に関するマニアックな知識を得たということではなく、もっと表面的で風俗的なものだったのですが。

都内に「クラブ」がぽつぽつ出来始めた。「クラブDJ」が人気職業となった。ヒップホップスタイルのファッションに身を包む若者が増えた。カラオケの場でラップすることが普通になった――などなど。

「黒人音楽が市民権を得た」をより正確に言い換えると「黒人音楽がオシャレ文脈に入った」ということです。そんな当時の空気の遺産として私が選びたいのは、カラテカ入江慎也のこの定番ネタです――「アーイェー、オーイェー、俺入江」

さて、このような「黒人音楽シフト」を牽引したのは音楽家と言えば、大沢誉志幸、久保田利伸、岡村靖幸ということになります。また、少し毛色は異なりますが、お茶の間にラップを届けたスチャダラパーの貢献も実に大きい。

ただし、先に述べた表面的・風俗的な意味合いも含めて、全国津々浦々に広がった「日本の黒人音楽」と言えば、このバブルガム・ブラザーズ『WON’T BE LONG』をおいて、他にはないでしょう。

まずは上の写真をとくとご覧ください。1985年2月の撮影とのことです。まるっきりブルース・ブラザーズです。映画『ブルース・ブラザース』(映画の方は「ブラザー”ス”」表記が多かった)の影響は、当時のお笑い界にとても大きく、西川のりお・上方よしおや太平サブロー・シローも、ブルース・ブラザーズの格好をして、テレビに出ていたことを憶えています。

そうなんです。バブルガム・ブラザーズもお笑い界出身なのです。『WON’T BE LONG』の作者であるブラザー・コーンは、あのねのね・清水国明の弟子だった人で、相棒のブラザー・トムは、「小柳トム」として警官コントで名を馳せ、日本テレビ『お笑いスター誕生』でグランプリに輝いた人。

発売は1990年の8月ですが、大ヒットしたのは翌91年。キッカケは、91年3月30日に放送されたフジテレビ『オールナイトフジ』の最終回。スタジオは深夜番組最終回特有の自暴自棄な状態となり、とんねるず以下、レギュラー陣が意味不明の乱痴気騒ぎをする中、この曲が何度もかかったのです。

私は当時、その最終回をリアルタイムで見ていました。80年代テレビ界の「軽薄短小」性を象徴するような『オールナイトフジ』の終焉を見ながら、「あぁ80年代が本当に終わっちゃうなぁ」と思ったことと、何度も繰り返される『WON’T BE LONG』が、やたらとキャッチーで耳に残ったことを憶えています。

そう、やたらとキャッチー。『WON’T BE LONG』の勝因は、その後「トレンディ」になっていく黒人音楽的な見てくれだけでなく、実にキャッチーな音楽性にありました。

まずは日本人好みのマイナー(短調)キーであること。かつ執拗に繰り返される「Em→A→Bm」というコード進行がシンプルで耳に馴染むこと。そして、例の「♪WON’T BE LONG WON’T BE LONG~」のサビの音域が狭く、たった5度(シからその上のファ#)の間にすっぽり収まること。

以上の音楽的特徴をまとめてみると、要するに当時、ボックスの普及で大ブームになりつつあったカラオケという場で、歌いやすく映(ば)えるキャッチーさがあったということです。私自身も当時、出張で行った福島県郡山市のスナックで、この曲を歌って、大喝采を受けた記憶があります。

さらには、歌詞の内容もよく読めば、大ヒット曲・KAN『愛は勝つ』(『WON’T BE LONG』の翌月、1990年9月発売)同様、当時の音楽トレンドに合致した、「がんばれば夢は叶う」的なポジティブ性に溢れていて、このあたりもキャッチーと言えばキャッチーでした。

 

私がマキタスポーツ氏と出演している音楽番組=BS12『ザ・カセットテープ・ミュージック』の中で時折出てくるのは「我々の頭の中の『不良』イメージはブラザー・コーンで止まっている」という話です。

その「不良」は、ゴージャスな服装にサングラスで、歌も踊りも上手く、美女を複数はべらせて六本木へ繰り出す――そんなトッポくて、ヤバい「不良」=ブラザー・コーンという図式は、この30年間、まったく更新されていないのではないでしょうか。

つまり、バブルガム・ブラザーズの残した影響は、広汎かつ長期にわたるのです。「WON’T BE LONG」は「長くはない=もうすぐ」という意味になりますが、「90年代」に彼らが作り上げた「不良」と「黒人音楽」のイメージは、実に長く長く、令和の時代にも続いているのです。

スージー鈴木の新刊『恋するラジオ』発売中

  • スージー鈴木

    音楽評論家。1966年大阪府東大阪市生まれ。BS12トゥエルビ『ザ・カセットテープ・ミュージック』出演中。主な著書に『80年代音楽解体新書』(彩流社)、『チェッカーズの音楽とその時代』(ブックマン社)、『イントロの法則80's』(文藝春秋)、『サザンオールスターズ1978-1985』(新潮新書)など。東洋経済オンライン、東京スポーツ、週刊ベースボールなどで連載中。

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