パワハラ退任から1年 元Jリーグ監督の告白「堂々と生きる苦悩」 | FRIDAYデジタル

パワハラ退任から1年 元Jリーグ監督の告白「堂々と生きる苦悩」

流通経済大学サッカー部の指導者として再出発中の曺貴裁氏が90分の独占告白

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インタビューに応じた曺貴裁氏
インタビューに応じた曺貴裁氏

一生忘れてはいけない「ある想い」

“あの騒動”から1年が経った。51歳と1つ年を重ねた男の姿は、茨城県龍ケ崎市にある。肩書は『流通経済大学サッカー部コーチ』。

「この部屋、暑くないですか?」

騒動後、メディアを通して彼の姿を見ることはほとんどなかったが、曺貴裁(チョウ・キジェ)は柔和な表情で迎え入れてくれた。

曺は日本サッカー協会(JFA)から科されていた指導者資格の公認S級ライセンスを1年間停止されていたが10月3日をもって満了、4日より回復した。今回のインタビューも公認S級コーチライセンス資格が戻ったことが一つの区切り、きっかけになった。

「これまで取材を禁止されていたわけではないんだけど、今でもほとんどお断りしているんです。でも今回処分が明けたことで、中野監督からも『どうだ?』とご提案を頂いたのでお受けすることにしました」

2019年夏、ひとつの新聞報道をきっかけにJリーグに激震が走った。一部スポーツ紙が湘南ベルマーレの曺貴裁監督(当時)の選手やスタッフに対するパワーハラスメント(パワハラ)疑惑をスクープした。行き過ぎた指導問題は一気に表面化していった。

「最初にスポーツ紙の報道が出て、『えっ!?僕のこと出てるけど』という感じでした。クラブからは何も言われてなかったし、僕自身も新聞報道に驚きました。確かにそんなことあったけど…『何でこれが報じられるのか』『何なんだろう』という感じ。チームがギクシャクしているなと感じれば気づけたと思うけど、前に進んでいた。チームとして強くなっている実感があったから、ビックリしたというか、ショックでした」

弁護士による関係者約60名に行ったヒヤリングに基づいて作られたA4版の用紙18ページに及ぶJリーグの調査報告書は、曺の“有罪”をより明らかにしていた。言動、行動、態度…。報告書には曺が行ったパワハラが事細かに記されていた。

曺は10月8日に監督を退任。強豪クラブと比べると恵まれているとはいえない戦力でも、工夫や厳しい鍛錬を通して相手を上回るチーム作りで2018年にはカップ戦で日本一にもなった。「湘南=曺貴裁」とまで言われた8年間で築き上げた実績はもろくも崩れ去った。

「僕の中にはいい選手やいいスタッフになるためには、一つや二つの苦しいことをバネに立ち上がってくるような強いメンタリティを持った人じゃないと、この世界はやっていけないという考えがあります。今でもそれは変わりませんが、その中で自分の持っている『温度』を周りにも求めてしまった。自分の言葉が行き過ぎたり、配慮が足りなかった。そのことによって被害を受け、傷つかれた人たちがいるのは現実です。

もちろんその人たちに謝罪の言葉をかけられる場所があれば、そういうことをしたい。でも今できることと言えば、自分がこの1年で学んだことを生かして、これからサッカー指導者としてどういうことを見せられるか。それが大事なのかなと思います」

当時の自分に足りなかったことを模索する日々。すべての選手たちに愛情を持って接しているつもりだった。ただそれは過信だったのかもしれない。ひとつの結論として、一人ですべてをやろうとしてしまっていたことへの反省がある。

「たとえば厳しい指導を投げかけたときに、愛と受け取れる状況なのか、憎たらしいと受け取れる状況なのか。紙一重だと思うし、状況によっては時間が経つと『愛だったんだ』と受け入れられる状況もあると思っていた。選手を厳しく指導すること、その選手の様子を見ながら後からフォローすることも、当時は自分一人でやっていたんですけど、クラブやスタッフと連携して、役割分担をしないといけなかったんだと思います」

嵐が吹き荒れた2019年が終わろうとしていた暮れのある日、曺のもとにある連絡が入った。待ち合わせたのは日本の出発点、東京駅。併設するデパートのうなぎ屋で面を合わせた男の口から思いもよらぬ提案がされた。“研修期間”として流通経済大学でサッカー部のコーチをやってみないか。「また堂々とJの舞台に立ってほしい」。声の主は流通経済大学監督の中野雄二である。

それまで練習試合や共通の知人の結婚式などで顔を合わせることはあったが、深く話をするのは初めてだった。

「堂々とJの舞台に立ってほしいというより、堂々と生きていってくださいと言っていただいたように思えたんです」

当時を振り返る曺は思わず声を詰まらせた。

「中野さんに最初に言われた時は迷ったというより、無理だなと思いました。たとえば僕が指導することに対して保護者がどう思うか。中野さんにはありがとうございますと言いましたけど、心配して頂いてありがとうございます、という意味の、ありがとうでした。でも本当に涙が出た。

あの時はJの舞台に戻ることを考えるより、そもそも堂々と生きていけるのか分からなかった。だからそこまで言っていただけたことが嬉しかった。人は一人では生きていけない。この想いは自分の人生で一生忘れちゃいけないなと思います」

指導現場に復帰当初は「言葉が出てこなかった」

中野も当時を回想し、曺を招き入れた経緯を説明する。当時の流通経済大は前のシーズンに史上初めて1部降格の屈辱にまみれ、選手だけでなく中野らスタッフも自信を失いかけていた。「日本の指導者の宝」と評価する曺も同じように窮地に立たされている。曺にS級ライセンスの停止処分を科したJFA技術委員会のメンバーでもある中野だが、放って置くことが出来なかったという。

「指導において、一番ひどいのは見て見ぬふりをすることだと思います。だから目の前の選手を少しでもよくしたいと考えて、時と場合に応じて怒らなければいけないときもあります。私なんかはもしそういう場面を目撃したら、まず『どういう経緯があったんだろう』と考えます。

だけど今の時代は、その怒られている部分だけが切り取られてしまう。それで築いてきたものをみんな失ってしまっては指導者がかわいそうです。今回もこの一つのことで曺さんがサッカーの現場に立てなくなってしまうことが起きたら、サッカー界ってあまりにも冷たいんじゃないか。反省するべき部分は反省した上で、堂々とJの舞台に戻る道筋を作るべきだということが僕の中の考えでした」

中野とのやり取りがあったあと、曺はヨーロッパに出かけた。誰も後ろ指を指す人はいない。毎年行っている欧州視察だが、例年より長い2か月弱を使って、自分を見つめ直す期間に使った。「改めて自分ってサッカーが好きだなと思った」。

帰国した2月下旬、曺は流通経済大学のオファーを受け入れ、指導の現場に戻っていた。

しかし新型コロナウイルス蔓延の影響で関東大学リーグの開幕が7月まで延期。そのために試合を行うことは出来なかったが、練習には積極的に参加した。これまでユース年代を指導したことはあったが、大学生に教えるのは初。最初は目の前の出来事に対して頭では理解しているものの、なかなか言葉が出てこないという“半年間のブランク”をまざまざと感じさせられたというが、ポテンシャルの高い選手が多いことへの驚きなど新鮮さもあって、早々に馴染んでいった。

「今すごく嬉しいなと思うことは学生たちの仲が以前より良くなったことなんです。この前、練習後に『ライセンス復帰おめでとうございます』と拍手してくれた。僕は全然意識もしていなかったんだけど、みんな気にしてくれていたんだと。湘南の監督時代みたいに学生に接していたら、『そんなこと今言えないでしょ』みたいになったかもしれない。

湘南の時はそういう雰囲気を作るのも全部僕だった。今思うといろんな役割分担があれば良かったと思う。そういうことをここに来て考えるようになりました。当時は、今起きているミスを今直してほしかった。迫ってきている毎週の試合に勝つために、今直してって。でも僕が発する『温度』と受け取る側の『温度』が違ったら僕が言っていることを受け入れることは無理ですよね。恥ずかしながらここに来させてもらって気づかせてもらいました」

初めての大学生指導で気づかされたこと

流経大は大きく変わった。変則日程でコンディション作りも難しい今季だが、前期リーグ(2部)は首位で折り返すことに成功。リーグ戦の中断期間中に行った関東の大学加盟校がトーナメント戦で激突するアミノバイタルカップでは同校史上初の決勝進出が決定。11月3日の決勝では奇しくも曺の母校・早稲田大学と激突することになった。勝つ喜びを思い出した集団は一気に自信を取り戻していった。

曺自身の今後に目を向ければ、どこまで変われるか、変われたかが重要になってくる。変えなければいけないことを変える。ただ一方で完全に厳しさを失っては、曺貴裁ではなくなってしまう。優勝の瞬間のピッチに所属選手全員を立たせることはできない。指導者としては常に競争を生み出す義務がある。

暴力などもってのほかだが、綺麗事ばかり並べることもできない。「3つ褒めてから1つを叱ったほうがいい」。曺にとって早稲田大学の先輩でもある岡田武史の言葉だ。

「ああいうことを経験して、自分の中で変えないといけないことは当然あります。学びの中で変わらないといけないときに、大学生と接する機会を頂いた。人間関係を作ることはもともと大事にしていましたが、今は選手が楽しいと思うことを積み重ねていくことが大事だと思っています。

たとえば何かを『強制させられた』という気持ちにさせることで、どこかで躓いたり、折れてしまったりした後に修復するには時間がかかる。だから選手がそのことをどう判断するのか、見守る時間を意識的に増やすようにしました。

僕は去年騒動を起こした人間として認識されている。だから指摘した時に今直してほしいと思うのではなく、どう学んでどう成長するかを長いスパンで見るようにしようと思うようになりました」

実際、曺は学生を指導する中で以前のような厳しさを発揮しつつも、選手への接し方にいくつもの配慮が感じられるできごとがあった。ある試合で途中から出場させた選手を、途中で代えたことがあった。

「その選手は(中野)監督も期待されていて、僕もいい選手だと思っているのですが、自信を持てていないのでボールを受けようとしない。だから発奮をしてもらいたい、という気持ちで交代させたんです。彼にとっては忘れられない事象になったと思いますが、その選手には交代させた後、こう話したんです。『自分が考えているほど下手な選手じゃないぞ』と。

怒り方も『何をやっているんだ』と突き放すような言い方ではじゃなく、言われた選手が期待を感じるような言い方をすればいいんだと考えるようになった。怒り方も今の時代は手法というか、『技』として取り入れないと、こちらの意図を伝えきれないことがあるので、気を付けていきたいところです」

実際、その選手は「怒られているのか褒められているのか分からなかったです」と話したという。

処分が明けたことで、曺がJの舞台に返り咲くことは、制度上は可能となった。あとは倫理面の配慮が必要になってくるが、サッカー関係者によると、すでに曺の招へいを画策しているJクラブもあるという。

「プロの監督は、来てほしいというオファーがないと出来ない。でも、新しい僕と一緒に進んでいきたいというチームがあったと仮定して、それが許されるのであれば自分の力を発揮したいという気持ちはあります」

生来、誰に対しても嘘をつきたくない、という気持ちによって生まれた行動が、選手、スタッフに対して結果的に誤解を招き、パワハラと認定された。サッカー界に戻る以前に、胸を張って生きることすらできないんじゃないかと深く悩んだ曺は、大学生との関わりの中で成長をアシストする喜びを得られた。“罪”を償い、一皮むけた曺氏の前に、新しい道が開けようとしている。

  • 取材・文児玉幸洋

    1983年生まれ。三重県志摩市出身。スポーツ新聞社勤務を経て、2011年より講談社のサッカーサイト『ゲキサカ』の編集者として活動中

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