追悼・古賀稔彦さん 2年前に中学生に贈った「勝つための極意」
「夢を持ち、かなえるためには努力すること。1番になるには、誰よりも努力しなければならない。夢の重さと同じ努力ができる人に、成功のチャンスが与えられます」
これは生前に古賀稔彦さんが、18年11月に訪れた千葉県の山武南中学校の生徒たちに講演した際の言葉だ。バルセロナ五輪柔道71kg級金メダリストの話に、生徒は目を輝かせ聞き入っていたという。
3月24日、古賀さんが神奈川県川崎市の自宅で53歳の若さで亡くなった。前年にガンの手術を受け、闘病生活を送っていたという。突然の訃報に、柔道界には衝撃が広がっている。60kg級で96年のアトランタ五輪以来、3大会連続で金メダルを獲得した野村忠宏氏は、所属事務所のホームページに次のようなコメントを発表した。
〈バルセロナオリンピックで古賀稔彦選手が怪我をかかえながら、不屈の闘志、豪快な柔道で金メダルを獲得した姿を見た瞬間、当時高校生だった私にとって憧れの選手となりました。(中略)『平成の三四郎』の早すぎる訃報が信じられません。指導者としても、まだまだ柔道界を盛り上げてほしかったです。ご逝去を悼み、心からご冥福をお祈り申し上げます〉
バルセロナ五輪直前、乱取り中に左ヒザを負傷。激痛と、運動できないことで減量もままならない困難を乗り越え、痛み止めを打ちながら金メダルを獲得したエピソードは伝説となっている。豪快な背負い投げを決める姿から、「平成の三四郎」とも呼ばれた。
決して天才、のひと言では言い表せない。努力の人だった。冒頭の中学生への講演では、こうも語っていた。
「小学校のころ、柔道の試合に負け悔しい思いをしました。父親からは、こう教えられた。『勝ちたければ、他の選手が寝ている間、遊んでいる間にがんばらなければならない』と。それからは、近くの神社で毎朝150段の石段を往復して身体を鍛えました」
全日本柔道連盟の強化委員や自身の道場「古賀塾」で、後進の育成に努めていた古賀さん。どんなにツラい状況でも諦めない姿勢には、柔道選手はもちろんのこと、多くの人々が学んだはずだ。




撮影:結束武郎