髙山清司・六代目山口組若頭の「力の源泉」と「知られざる素顔」 | FRIDAYデジタル

髙山清司・六代目山口組若頭の「力の源泉」と「知られざる素顔」

特別レポート 終わりの見えない分裂抗争のキーマン

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出所から1ヵ月半が経った、’19年11月下旬、高山若頭は知人の墓参りのため、都内にある寺院に現れた

暴力団取材の第一人者として大物ヤクザたちと対峙し、その生々しい世界と半世紀に及ぶ取材体験を新著『喰うか喰われるか 私の山口組体験』に著したノンフィクション作家・溝口敦氏。同氏が、山口組分裂抗争のキーマンの実像について書き下ろした。今後のヤクザ社会がどうなるかを考えるうえで、必読のレポートである。

六代目山口組・高山清司若頭(73)が当代一の凄腕ヤクザであることは、暴力団世界に通じる事情通の誰もが、好き嫌いに関係なく認めるところだろう。

実際、2015年8月に発生した神戸山口組(井上邦雄組長)の分裂は高山若頭の強権的な組運営に対する反発からだった。さらにその後、高山若頭の支配のもと、幹部や組員を何人か殺傷することで、神戸山口組の攻勢を実質的に封殺している。

六代目山口組が発足した直後、東京を縄張りとする國粹会を山口組に吸収併合したのも、首都圏で覇を唱える山口組舎弟・後藤忠政(元後藤組組長)を追放したのも、後藤に同調する批判派の直系組長十数人を処分、組外に放り出したのも、東京・西麻布で住吉会系小林会幹部を射殺したのも、すべて高山若頭の下で行われたことだ。

高山若頭とはどのような人物なのか、どのように今の高みに上ったのか、改めて探ってみよう。

高山は愛知県津島市生まれ。高校時代(中退)、野球のボールが右目を直撃、神経と筋を切り、現在のようにまぶたが垂れ下がった状態になったという。

20歳で山口組直系弘田組傘下、佐々木組(後に山口組直系菱心会)の佐々木康裕組長から盃(さかずき)を受けた。菱心会は後に弘道会に合併する。’88年、私は弘道会・司忍会長と面会、インタビューしたが、そのとき弘道会副会長の肩書で佐々木組長も同席、適宜口を挟んでいた。

’03年、高山若頭を主人公とするDVDが出ている。『実録名古屋やくざ戦争 統一への道』4部作がそれだが、そこに描かれた通り、’60年代、地元連合組織「中京五社会」との対立抗争をバックに、’69年弘田組は大日本平和会系組織との抗争に突っ込んでいく。佐々木組と、弘田組の若頭だった司忍率いる司興業がその実戦部隊となるのだが、司はこの事件で懲役13年、高山は懲役4年の刑に服した。

出所後、高山は佐々木組の若頭に抜擢される。’76年佐々木組は前記の通り菱心会に改称。佐々木組長と高山若頭との関係について、地元名古屋で古くから高山の身ごなしを見てきた会社経営者が言う。

「佐々木組長はカネにデタラメだった。韓国のカジノに出かけては平気で50億~60億円負けて帰る。佐々木のケツを全部拭いたのは高山さんだったけど、グチも泣き言もいわない。『あんなデタラメな親分だけど、俺の言うことだけは聞いてくれる。若い者を破門する、しないでも、俺が言えば、そのまま通してくれる』と。

高山さんが一番嫌いだったのは自分の親分に恥をかかせること。そのためには自分が誰にどんなに嫌われても構わないって考えだった」

’76年、高山は弘田組の直参になり、’80年には若頭補佐に抜擢された。’84年、司忍による弘道会が発足し、高山は若頭補佐に任じられ、’89年には弘道会若頭に上った。現在の司-高山ラインの原型である。

元弘道会組員が言う。

「高山さんが好んで口にするのは『まじめ』って言葉です。喧嘩するのでもまじめにしろ、ふざけ半分でするな、と。まじめっていうのは事実や現実に対するまじめさだと思う。ウソはもちろん、いい加減をものすごく嫌う。

極端なことをいうなら、懲役に行くことを恐れるような組員なら要らない。たとえば上の人間が『お前のところ、兵隊おるか』と聞いて、下の者が『おります。いつでも使って下さい』と答えたら合格です。これを『おるか、おらんか、ちょっと調べてみます』と返事をしたら、その場で根性を見られ、ペケがつく」

ずば抜けた経済力

司忍六代目組長(中央)と高山若頭の二人は、15年以上も巨大組織の舵を取っており、後継にも注目が集まる

愛知県警の元捜査関係者によれば、弘道会には高山が実権を握る秘密機関『十仁会』があるという。法廷など公的な場ではいっさい存在を認められていないが、イスラエルのモサドに似た秘密諜報、謀略機関という。

「弘道会傘下の各組からふつう1人を選抜して十仁会のメンバーにする。が、その組員がメンバーになったことを他の組員は知らない。知らされないからだ。十仁会の全体像も、誰が指揮者なのかも知らされない。メンバーは全体で数十人。

メンバーになる最低条件は手の指が健常であること(断指していない)、車の運転免許を持っていること、検挙歴が少ないこと、盗癖がないこと、酒や覚醒剤などの依存症がないこと、頭が良く、腹が据わっていることなどだが、メンバーの任期は3年という。メンバーには銃器の扱いなど特殊な訓練が課される。

メンバーの業務はヒットマンになる、特定の繁華街で外国人不良グループの動向をマークする、他の広域団体の動向を探るという対外的な活動のみならず、山口組と弘道会の内部動向を調べるなど、専門化した役割分担がある」(元県警刑事)

十仁会はある種の都市伝説のように実態がおぼろげな機関だが、’03年に弘道会と住吉会系親和会の間で発生した「北関東抗争」などで弘道会が見せた的確で素早い攻撃目標の設定、果敢な攻撃などから、他団体にもその存在を信じる者たちが少なくない。

また、高山は経済力にもずば抜けている。地元の建設業者が証言する。

「高山若頭は強面(こわもて)ながら能吏だし、優れたプランナーです。それにスポンサーを集めるのがうまい。司組長の保釈保証金10億円も高山若頭の才覚だけで集めたって話です」

名古屋には高山と切っても切れない関係にある土木会社が存在する。同社は地場の建設業者約100社を組織して、中部国際空港や愛知万博などの建設工事を仕切った。加盟業者には砂、砕石、土砂、海運、港湾工事、解体、土木、足場、地盤改良、矢板、基礎杭、生コン、舗装などの各業者を網羅。彼らに仕事を回し、交通整理して、紹介料を取る商法を展開したと言われる。

また高山独自のやり方としてシノギのオークション方式がある。地元の事業家が説明する。

「シノギのネタを組員たちに教え、競りに掛ける。たとえば『A社が県立病院のコンピュータシステム構築の仕事を受注したがっている。受注できれば1億円出す、と。誰か話をつけられる者はいないか』と。やりたい組員Bが名乗り出ると、『じゃ、お前がやれ。成功報酬1億円の1割ぐらい先にこちらに出せるか』『出せます』となって、事前に高山はBから1000万円を紹介料として徴収する。これにより、組員同士がシノギでバッティングせず、公平にシノギに与(あずか)れ、弘道会は資金が潤沢になる」

こうして資金と戦闘力を貯えた高山若頭は分裂抗争を乗り越え、次の目標、六代目山口組の勢威による暴力団世界の安定と共栄を図ろうとしている。これには早くも住吉会や道仁会など批判派が台頭してきているのだが。(文中一部敬称略)

逮捕前の’10年正月に撮影された高山若頭。独特の存在感と左目の鋭い眼光に圧倒される

半世紀にわたり日本最大の暴力団と対峙してきた溝口敦氏による最新刊『喰うか喰われるか 私の山口組体験』(講談社)が5月13日に発売され、早くも話題になっている

『FRIDAY』2021年5月21日号より

  • 取材・文溝口 敦

    みぞぐち・あつし/’42年東京都生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。出版社勤務を経てフリーに。『食肉の帝王』で第25回講談社ノンフィクション賞を受賞。暴力団取材の第一人者である

  • 撮影結束武郎 朝井 豊

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