フォトルポ・在香港日本人が見た『リンゴ日報』”最後の日” | FRIDAYデジタル

フォトルポ・在香港日本人が見た『リンゴ日報』”最後の日”

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最後の朝刊は100万部が刷られた

民主派支持で知られる香港の新聞、『リンゴ日報(蘋果日報)』が6月24日の朝刊をもって発行停止に追い込まれた。創業者の黎智英氏に継いで張剣虹 最高経営責任者や、編集長の羅偉光氏ら幹部が国家安全法違反で相次いで逮捕・起訴された。さらに当局に資産を凍結されたため、銀行口座の出入金ができなくなったことから、23日に廃刊を決断。26年の歴史に幕を閉じた。

「香港人、雨の中のつらい別れ」――。最後の朝刊では、1面トップで本社前に集まった数百人の支持者たちの写真を掲載。23日未明に撮影されたものと見られる。

最後の朝刊は、普段の10倍以上の100万部が印刷された。香港市内の繁華街では、24日早朝から販売店に並ぶ人々の長い列ができ、同日午前になっても途切れることがなかった。

黄埔地区の販売店の前には300メートルほどの長い列ができ、売り切れるそばから補充されていた。すぐに売り切れてしまうのは、5部10部とまとめ買いをする人が多いためとみられる。40分並んで10部購入した20代の女性はこう涙ぐむ。

「購入できなかった友人や親族にも配る。この日を忘れない」

5部を購入した50代男性はこう肩を落とした。

「(報道の自由も担保する)一国二制度は終わった。中国になったということだ」

最後のリンゴ日報を手にするため、売店には300人以上が列を作った

「香港民主デモ」は’19年6月、犯罪容疑者の中国本土引き渡しを可能にする「逃亡犯条例」改定案への反対運動から激化の一途をたどった。その法案とはマカオの捜査当局が、香港に対して犯罪事件の容疑者の身柄引き渡しを要求できるというものであった。中国政府にとって都合の悪い政敵を、香港まで追いかけることが容易になり、デモ隊に怒りが爆発したのだ。

しかし、中国政府も締め付けを強化。’20年6月に国の転覆や外国勢力と結託することを禁じる「香港国家安全維持法」を施行したことによって、次々とデモ参加者が逮捕され、民主化運動は急速に下火になっていった。民主化運動の象徴だった周庭氏、「リンゴ日報」創始者の黎智英氏もその一人であった。

’20 年12月、審理のため香港終審法院に到着した創業者の黎智英氏(共同)

香港に10年以上暮らす日本人女性は「リンゴ日報」の”最後の日”をこう語る。

「最後のリンゴ日報を手にして、泣く人も、怒る人もいた。デモ参加者だった知人は『香港は共産党に飲み込まれてしまった。もうこの地に自由はない。自由を叫ぶことすらできない。リンゴ日報は我々にとって最後の砦だったんです』と言って、ただ新聞を大事そうに握りしめていました。本当に悔しいのだと思います。香港国家安全維持法の下だと、自分だけではなく、家族の危険が及ぶことあり得る。彼らは自由を求めて立ち上がることすらできないんです。その姿を見ていると、胸が締め付けられます」

積み上げられたリンゴ日報

香港の人々の心は揺れに揺れ続けている。

リンゴ日報を売店へと運ぶ男性
見出しには「香港人、雨の中のつらい別れ」と書かれていた。

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