槇原敬之「どんなときも。」に聴く、才能と屈折と本質 | FRIDAYデジタル

槇原敬之「どんなときも。」に聴く、才能と屈折と本質

スージー鈴木の「ちょうど30年前のヒット曲」

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ちょうど30年前のヒット曲を紹介する連載です。30年前=1991年の6月発売と言えば、何といっても槇原敬之『どんなときも。』。オリコン1位、167万枚の超・特大ヒット。

今回、あらためて聴き直してみて感じたのは、この『どんなときも。』、「作品」を超えて「商品」としてよく出来ている、出来過ぎているということです。

16年、広島―DeNA第1戦の試合前セレモニーで国歌独唱に臨む歌手の槙原敬之(写真・共同通信)

「哀愁感」の理由

まずはコード進行。この連載の2回目「徳永英明『夢を信じて』は「がんばろう系カノン」の先駆」で書いたように、元々日本人が大好きで、かつ当時大ブームとなった「カノン進行」を使っています。加えて、今回着目したいのは、(キーF#における)「B♭」のコードの使い方です。

このコード、明るいメジャー(長調)から暗いマイナー(短調)への橋渡しをするコードで、言わば「哀愁感」のある響きを持っています。音楽理論の小難しい話はさておき、以下の「 」内のところを歌うとき、ちょっと哀愁が漂うというか、胸がキューンとしませんか?

♪あの泥だらけのスニーカーじゃ 追い越せな「いの」は
♪どんなときも どんなときも 僕が僕「らしくあ」るために
♪どんなときも どんなときも 迷い探「し続け」る

「哀愁感」の効果は絶大でした。バブル崩壊への予感が高まる91年に、若者の心をわしづかみにした、この「哀愁感コード」が、大ヒットとなった要因の1つだったと考えます。

次に歌詞で言えば、パンチラインは「♪僕が僕らしくあるために」。尾崎豊『僕が僕であるために』(83年)と共通するフレーズですが、『どんなときも。』の方が、間口が広いというか、すべての若者に開かれている感じがしたものでした。

あと、細かい話、タイトル『どんなときも。』の句点「。」にも、新しいセンスを感じました。松野ひと実『槇原敬之の本。』(幻冬舎)では、槇原敬之本人が「。」を付けた意図について語っています。

――「たとえば、“自分はこうありたいんだ”っていう話を誰かにして、“どんなときもそうなの?”って聞かれたときに、“うん、どんなときも。”ってきっぱりと答えているという、そういう感じを出したくて『。』をつけたんだ」

「カノン進行」「哀愁感コード」「僕が僕らしくあるために」、そして「。」など、出来過ぎたアイデアが相まって、バブル崩壊を予感する若者たちに、手放しで受け入れられた『どんなときも。』――。

結果、超・特大ヒットとなり、フジテレビ『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』の中で、ウッチャン演じる「ドンナトキモ槇原」というキャラが作られ、槇原敬之は大いにイジられることとなるのですが。

実はあの人たちのファンだった

当時22歳の槇原敬之が想像するスピードを超えて、『どんなときも。』は猛烈に売れていきます。しかし『地球音楽ライブラリー 槇原敬之』(TOKYO FM出版)には、そもそも出来上がった曲自体が、槇原の意図とは違っていたことが記されています。

――「もともと、僕が作りたかったものとは少し違った」。彼は、その後、「どんなときも。」についてそう話している。YMOに傾倒していた彼が作りたかったのは、高橋幸宏が作るようなシンセ・サウンド。

そう、槇原敬之はYMOファンだったのです。それもNHK FM『サウンドストリート』の坂本龍一の回に、宅録したデモテープを送るほど熱烈な。そして生まれは大阪で、公立高校(筒井康隆と嘉門タツオを輩出した春日丘高校!)出身。

YMOが代表した無敵の80年代東京(=TOKIO)から遠く離れた大阪の片隅で、YMOに熱中して宅録にいそしむ若者の屈折感が、私にはよく分かります。なぜならば、槇原敬之ほどではなかったものの、私自身も同じく、YMOと宅録が好きな大阪の公立高校生だったからです。

そんな若者が、『どんなときも。』のような「商品」を、逡巡なく作るとは思えません。先の『槇原敬之の本。』によれば、『どんなときも。』のサビが浮かんだ瞬間、槇原敬之は「……うわっ、ダサい!」と思ったといいます。

しかし、それでも『どんなときも。』を作り上げられたのは、世の中のニーズに合致した楽曲を生み出す職業作家としての傑出した才能に、槇原敬之が恵まれていたからなのでしょう。そして槇原敬之は、その後、さらに大きなニーズをすくい取った楽曲を作ります――作れてしまいます。

――「平成の時代のヒット曲に『世界に一つだけの花』という歌がありましたが、次の時代を担う若者たちが、明日への希望とともにそれぞれの花を大きく咲かせることができる。そのような若者たちにとって希望に満ちあふれた日本を国民の皆様とともにつくり上げていきたいと思っています」

武田砂鉄『偉い人ほどすぐ逃げる』(文藝春秋)で「この会見がInstagramやTwitterで生中継されていることを意識してのことだろう」と看破された、新元号「令和」発表時における安倍晋三首相(当時)の発言です。こういう文脈でこういう引用をされる楽曲を作れてしまうことが、槇原敬之の才能であり、もしかしたら一周回って、彼を追い込んだのかもしれません。

槇原の才能の本質

最後に、槇原敬之と同じく、ゴミ袋が半透明で統一された90年代の東京に暮らす、元・屈折した大阪の公立高校生=私の心をわしづかみにした歌詞を紹介したいと思います。こういう文脈でこういう引用をされる楽曲を作れるのが、槇原敬之の才能の本質だと、私は考えるのです。

――東京DAYS 半透明のゴミ袋を抱えながら 星空に口笛よひびけ すばらしき毎日(槇原敬之『東京DAYS』94年)

  • 執筆スージー鈴木

    音楽評論家。1966年大阪府東大阪市生まれ。BS12トゥエルビ『ザ・カセットテープ・ミュージック』出演中。主な著書に『80年代音楽解体新書』(彩流社)、『チェッカーズの音楽とその時代』(ブックマン社)、『イントロの法則80's』(文藝春秋)、『サザンオールスターズ1978-1985』(新潮新書)など。東洋経済オンライン、東京スポーツ、週刊ベースボールなどで連載中。

  • 写真共同通信社

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