元タカラジェンヌが漁師に嫁いで目覚めた「私の新しい生き方」 | FRIDAYデジタル

元タカラジェンヌが漁師に嫁いで目覚めた「私の新しい生き方」

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講師をつとめる品川翔英高にて。授業のために静岡から当日入り、4コマの授業を終えると、静岡に戻っていった(撮影:吉場正和)

107年の歴史を誇る宝塚歌劇団にあって退団後、女優、講師、そして漁師の妻という3つの顔を持つOGがいる。92期生・宙組の月映樹茉(つきえ・じゅま)として活躍した永楠(えな)あゆ美さんは2012年に退団後、女優業をはじめ、その縁で俳優をしている夫と結婚した。

ご主人の実家は静岡県・焼津市で漁業を営む家だった。さらにこの6月から定期的に上京し、学生たちの課外授業の講師としても奔走する。演じることを極めようとする姿勢が、むしろ一つのキャリアを極めないハイブリットな生き方につながっている。

「俳優をやりたければ、宝塚で育ててもらいなさい」

「私は結婚して3年目になるんですが、夫が漁師なんです。毎朝2時起きです。昼間に仕事をしている私はさすがに起きられないので、前日に夫の朝食用のおにぎりとお味噌汁を作っておきます。昨日も魚をさばきましたし、3枚おろしもやりますよ」

永楠さんが嫁いだのは、静岡県・焼津市。日本の鮪の水揚げ量の3分の1を誇る、漁業の街だ。夫は深夜に漁に出て、早朝に帰宅。朝7時頃に朝食をとり、再び網の修理や市場の仕事をするために家を出て帰ってきた夫と昼食をともにする。

「私が市場に出ることはないですが、一緒に生活するうちに、魚の味にはうるさくなりましたね。たとえば鮪はどれでも美味しいと思っていたのですが、違いました。①魚自体が水っぽい②目のにごり③尻尾、ヒレの血の滲み―、それは時間が経っている証拠、新鮮ではないです」

永楠さんは、宝塚歌劇団を2012年に退団後、半年ほど本場の演劇を観るために英国へ行き、帰国後、東京都内を拠点にして女優の仕事をしていた。ご主人は静岡の海が拠点。どうやって知り合うのだろうか。

「実は彼も、俳優をしています。漁師との兼業です。彼曰く、家業を継ぐつもりはないまま商社につとめていて、努力すれば自分の目指すところへたどり着ける、と考えていました。でも俳優業の場合、第一線に行くのも、自分が思い描くルートで行けるとは限らない。今後、どんなふうに自分のキャリアを築いていくか、と考えたときに、(家業の)漁業に一度チャレンジしてみて、その後、本当にやるのかやらないのか選ぶのもありなんじゃないか、と考えたそうです」

生活拠点も、バックグラウンドも違ったが、演じる仕事を通して出会い、何よりその生き方に惹かれあった。2人を引き寄せた俳優業は、永楠さんにとってどんなものなのだろうか。

「私は中学の頃から絶対に俳優になりたい、と思っていました。母にその話をしたら『それなら宝塚にいって欲しい!』と。貴女はいずれ社会に出る、厳しい宝塚に行って世に出ても恥ずかしくない人に育ててもらいなさいと、言われました。ただ、私が『宝塚』というワードを知ったのはその時が初めてなんです」

宝塚歌劇団の受験生の多くは中学卒業を機にチャレンジする。永楠さんが受験を決断したのは青山学院高等部2年生の頃だ。青学といえば在学中に芸能界デビューすることも珍しくはないが、宝塚OGはそう多くない。歌舞伎役者で十五代目片岡仁左衛門の長女、汐風幸(本名・片岡幸子)が青山学院の中等部卒業後に入学し、74期生にあたる。「両親から、『高校3年になったら大学進学への準備をすること』と言われていたので、ワンチャンスだけ。これが私の宝塚受験の条件でした」

他の人より受験の時期は遅く、準備に費やせる時間も限られたが、見事に一発で合格。高校2年で学校を辞めて入った憧れの宝塚だったが、「実力がない自分が合格してしまった」ことが怖かった。「これでいいのかな」という自問自答の日々。「お客様が宝塚に期待するものを私はお届けできているのだろうか」―。そんな緊張感の中に身を置き、劣等感と戦った。「プロだから、頑張ろう」という先輩のエールは、痛いところをつかれているようで、その不安を払拭するために演じることに没頭した。

「私は歌やバレエの技術はおぼつかなかったけど、でも、やりたいと思い続けてきた『演じること』は心を込めてやってきました」

宝塚在団中は、誰もが「宝塚を離れる」ことが人生の大きな決断になる。ただ、“その時”は自分で決めなければいけない。そんな時に背中を押してくれたのも母からの言葉だ。

「全てあなたの選択、それが責任というもの、自分でしっかり判断しなさい」。

歌劇団の平均在籍年数は10年と言われているが、永楠さんは7年で退団することを決めた。自分が納得いく日々を過ごせたのか。自問自答を繰り返すと、期間にこだわることなく退団できた。

自宅の台所で魚を3枚おろす。漁師のご主人から包丁さばきを教わったのかと思いきや「You Tubeです」(写真:永楠さん本人提供)

セカンドキャリアがはじまった矢先にコロナ蔓延

永楠さんは退団後、本場の演劇を観るために英国へ行き、半年後、帰国して宝塚時代の恩師が演出する舞台に立ち、CMの仕事も始めた。ただ、それだけで生活できるほど稼ぐことはできなかった。だからこそ、女優の仕事と並行して、多くの仕事についた。

「経理の仕事もしましたし、着物を着て和食屋さんの給仕さん、イタリアンレストランでフォークとスプーンを使ってパンを配って落とし、お客さんに怒られたこともありました(笑)。デザイン事務所にはアルバイトとして入り、契約社員にもなりました。新しい仕事に挑戦する時、好奇心の方が勝るタイプみたいで右も左もわからなくても、とりあえずやってみよう!という気持ちでのぞめるんです」

そんなとき、新型コロナウイルスが蔓延。永楠さんにも例外なくコロナ禍が降りかかった。続けてきた俳優の仕事はほとんどなくなってしまった。その時、心の中の叫びが聞こえた。

「一人で乗り越えるのは辛い…。仲間が欲しい」

宝塚をやめると多くのOGたちが感じる「舞台しかやってこなかった」「学歴もない」「(在団中は使用禁止のため)SNSやパソコンにも疎い」…。そんなネガティブな思いは永楠さんの中にもすぐに広がった。

転機となったのは1本の記事だ。昨年9月、FRIDAYデジタルが公開した「宝塚歌劇団OGが明かす『私たちの第二の人生の歩き方』」という記事だった。宝塚歌劇団OGの瞳ゆゆさんが行う、宝塚を離れても輝き続けられる場をOGたちにサポートする団体「宝塚OGサポーターズクラブ」の活動に共感した。永楠さんと瞳さんは在団中組が違った為あまり接点はなかったが、永楠さんは瞳さんにTwitterで連絡を試み、相談した。

「自分が苦労したことを先にしっかり伝えられれば、後輩たちが同じ苦労をしなくて済みますから。困った時に声をかけられる人でありたいし、みんなでチームを作って伝えていきたい」

授業は教室ではなく、講堂や体育館で行われる。生徒と目線の高さを合わせて話しているシーンが多かった(撮影:吉場正和)

ちょうど瞳さんが立ち上げようとしていた教育関係の事業で、企画提案から参加した。かねてから学校で生徒に演じることについて伝えたい、という希望を持っていた永楠さんは「自己表現」というテーマで学校の教壇に立つ。地元の静岡や、東京の男女共学中高一貫校、東京・品川区の品川翔英中学でも講座を持ち、住まいがある静岡から新幹線通勤だ。

「私自身、演じることはライフワークとして続けていきたいですし、『演じること』は、何かなりきる経験ですから、人生を豊かにできます。それを人に伝えていきたいんです。

教壇に立つにあたり、あらゆる本や今まで俳優として学んできたことを参考に授業内容を考えました。その中のひとつに『キャラクターインタビュー』という作品への理解を深める手法があります。たとえば、私を『ロミオとジュリエット』のジュリエットだと思って、生徒さんから私に質問してもらう。すると、ジュリエットと生徒のおしゃべりが始まるんです。正解はないので、子供たちは楽しんで取り組んでくれます。

その手法を用いて中学校で授業をしたとき、ある男子生徒が手を上げてくれました。学校の先生によると、その生徒はこれまで授業中に自ら発言することはほとんどなかったそうで、『彼が手を上げて発言するなんてありえない。感動しました』と言ってくださって、すごく嬉しかった」

演劇授業の講師をやり、家に帰れば、漁師の妻の役割もある。女優としてまだ温めている構想もある。永楠さんが二足どころか、三足のわらじを履いているのは、単に生活費を稼ぐため、という現実的なものとは違い、むしろ演劇を通して学び、必要性を感じた、生き方のひとつだ。

「生きていく上で正解はないんです。私の親の世代はバブルを経験していて、ひとつの仕事で生計が立てられないことを『中途半端』『甘い』と捉える方もいます。『定年まで1つの企業で働く』みたいな幸せを共有していたのかもしれない。私自身もそう考えていた時期がありました。

でも演劇を通して自分の知らない世界を知ることができたとき、『自分が正解だと思っていた社会』が実は『正解じゃない』ことに気づいたんです。演劇のように、自分とは違う意見を1回、受け入れてみることに対して『本当に面白い』と思う社会に世界中がなったら、戦争もなくなるんじゃないかって思います。話が壮大になりすぎてちょっと恥ずかしいですね(笑)」

女性の場合、仕事をしている人もそうでない人も、男性が経験できない出産をすることが可能だ。これを「キャリアの断絶」と捉えるか、「新たなライフステージ」ととらえるかで人生が変わる。「多様性への理解」が世界中で求められている今、永楠さんのような生き方がスタンダードになる日はそう遠くないかもしれない。

「授業後、生徒の反応がよくて『これからも頑張れるかな』という時もあれば、『ああ、やっぱりダメか』とへこむことの繰り返しです。私と一緒で、生徒のみなさんにも毎日、何かしらありますから」(写真:吉場正和)
撮影:吉場正和
撮影:吉場正和
撮影:吉場正和

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