金属バットをヘシ折る”技巧派”上野由岐子は「39歳の今が究極」 | FRIDAYデジタル

金属バットをヘシ折る”技巧派”上野由岐子は「39歳の今が究極」

圧巻のピッチングでソフトボール日本代表に金メダルをもたらした39歳の大エース・上野。北京五輪から東京五輪までの13年間で彼女は「まったくの別人になっていた」という。ライバル・アメリカを翻弄した超感覚を語る。

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決勝戦は先発&抑えと大車輪の活躍
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13年の時を経て五輪連続金メダル。上野由岐子(39)が東京五輪で投じたのは389球だった。

新たな伝説が「上野の389球」の中で生まれた。25日に行われた1次リーグのカナダ戦だ。0-0で迎えた2回裏1アウト一塁、インコースを狙った一球はスイングした相手の右打者のバット根元付近に当たった。次の瞬間、金属バットが真っ二つに折れたのだ。その衝撃に思わず打席でへたり込む打者。打球は力なく上がり、上野がキャッチしてそのまま併殺打を完成させた。

上野といえば、かねて「世界最速」と呼ばれたストレートが最大の武器。球速120キロ超は、野球の体感速度に例えれば160㎞とも170㎞ともされる。上野はこの東京五輪期間中に39歳を迎えたが、その力に衰えなしと誰もが驚き、興奮したはずだ。

しかし、アメリカと戦った決勝戦では一転、「技巧派」に徹した。カーブ、スライダー、シュート、チェンジアップ、シンカー、浮き上がるライズボール……。あらゆる変化球を思うままに操って、世界トップレベルの打者たちを手玉にとった。

彼女は、本格派からはとうの昔に卒業したと自負している。ピッチング論をこのように語っていたことがある。

「今の方がすごく余裕があるんです。北京(五輪)の時はまだ『力で勝負』という思いがあった。だけど、今は『ストレートがなくても抑えられるし』みたいな(笑)。別に三振だってとらなくても勝てるし、味方が2点取ってくれたら、私は1点取られてもいい。極端なことを言えば、援護が8点あれば、7失点したって勝てる。そういう心の余裕がすごくある。なんか、すごく偉そうにピッチングするようになりましたよね(笑)」

トレーニング仲間と。プロ野球界に信奉者が多く、奥にはソフトバンク・千賀滉大の姿が見える
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しかも上野の投げる変化球は、それぞれの球種の中で曲げ幅や変化量が微妙に違っていた。七色どころか無限の変化球だ。

その誕生秘話がまた興味深い。

「ある時からピッチング練習がつまらなくなったんです。言い方が悪いけど、やらなくても投げられちゃう。練習する意味が分からなくなっちゃったんです。普通に投げても面白くないから、好奇心でこんな風に投げたらどんな球が行くのかなって色々試すようになりました。たとえばシュートを横に曲げるだけじゃなく上下にも操れたら面白いなって。

こう投げたら浮き上がるかな、こうすればこんな風に落ちるんだとか。面白くなかったピッチング練習をいかに楽しくやるか。そんなことを考えていくうちに、今のようなピッチングになったんです」

カーブやスライダー系の“魔球”は9割方、そんな遊び心から生み出したのだと屈託のない笑みを浮かべて明かしてくれた。

「力を入れて投げたら試合じゃ使えない、ボツになった球種もたくさんあるんですよ」

宇津木麗華監督とはチームメートととしても戦った仲だ
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まさに世界の頂点に立つ者にしか分からない超感覚だった。

世界最速と称されて相手を圧倒したかつての姿は影を潜めた東京五輪だったが、それは決して衰えなどではなかった。上野が魅せた本当の伝説は決勝戦のマウンドで体現した究極の投球術だった。26歳が一度目、39歳で二度目の金メダリストとなった右腕はまた笑顔でこう言うだろう。

「いつがピークなのか分からない。少なくとも北京の頃とは全くタイプが違うピッチャーですけど、13年分成長していると思います。そうじゃないとやってきた意味がないですから」

  • 取材・文田尻耕太郎(スポーツライター)

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