「パラリンピックは技術の戦いでもある」義足製作第一人者の思い | FRIDAYデジタル

「パラリンピックは技術の戦いでもある」義足製作第一人者の思い

オリパラを支える人たち《競技用義足製作・臼井二美男さん》

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あのナイキの厚底シューズは義足の技術から誕生した 

1年延期された東京オリンピックも開催され、いよいよパラリンピックも開催される。選手もたいへんだが、選手を裏で支えている人たちはどんな思いでいるのだろう。競技用義足製作で国内第一人者の臼井二美男さんの職場を訪ねた。

日本で初めてスポーツ用の義足を手がけた臼井さん。選手とともに義足の改良を重ねてきた(撮影:田中祐介)

日本初、スポーツ用義足の製作を

「中止ではなかったので、ほっとしました。もちろん、選手たちは世界ランキングの位置づけや、限界年齢を考慮すると、悲喜こもごもあったと思いますが、この延長が、オリンピックやパラリンピックについて、いろいろな意味で国民が考える機会になると考えると、それもよかったかなと思います」(臼井二美男氏 以下同)

義足をつけて走ったり、跳んだり。今や健常者の記録に迫る勢いのパラリンピアン。日本人選手も多く活躍するが、義足をつけて陸上競技に出場したのは、日本人では、2000年のシドニーパラリンピック100mの古城暁博(こじょうあきひろ)選手と走り高跳びの鈴木徹(すずきとおる)選手が初めて。その義足を作ったのが、40年近く、義肢装具士としてのキャリアをもつ臼井二美男さんだ。これまでに手掛けた義足は1000本以上。

スポーツ義足を作るきっかけになったのは、30年ほど前、新婚旅行先のハワイで義足の工場を訪れ(新婚旅行なのに!)、カーボンファイバー製の“走れる”義足を見せてもらったことだ。当時の日本の義足は木製で重くて、壊れやすく、とても走れるものではなかった。

スポーツ義足の開発が一気に進んだのは、カーボンファイバーが手に入りやすくなった、この20年のことだと言う。

今では陸上競技は言うに及ばず、ヨット、カヌー、スノーボード、水上スキー、サーフィンなどのスポーツができる義足がある。

走るだけでも、これだけの種類。黄色のラインが入ったものがマルクス・レーム選手が使ったもの。アイスランドのオズール社製で、ナイキと共同開発したもの。小さくナイキのマークもついている

義足で走れるようになるまで最低3年

いったい何種類の義足があるのか。そう聞くと、「何種類といわれてもねえ」と困った顔で、ずらっと並べてくれた。

「走るためのものだけでも、これだけあるんです。メーカーによっても違うし、膝上で切断したのか、膝下なのか、障がいの度合いによっても違ってきます」

走るための義足は板バネと呼ばれ、その名の通り、カーブがついた板状で、体重をかけてしならせることで、走ったり、跳んだりできる。筋力が弱ければ柔らかいバネ、強ければ硬いバネと、筋力によっても異なる。まさに千差万別なのだ。

走りたい人、跳びたい人、球技をやりたい人……人によって希望するものは違うと思うが、

「最初はまず義足に慣れることです。生活用義足で、痛くなく歩けること。それが基本です。そのうえでスポーツがやりたければ走るための義足を勧めます。走ることができれば、野球もできるし、サッカーもできる。もちろん陸上も。やりたいスポーツの義足を作るのはそのあと。それまでにだいたい3年はかかります」

陸上をやっていた人が、すぐ「走りたい」と思っても、そうはいかない。走りたい人のために、臼井氏は「スタートラインTokyo(旧ヘスルエンジェルス)」というクラブを作り、そこで義足ランナーの練習会を開いている。その中から生まれたのが、トライアスロンの谷真海(たにまみ)さん、秦由加子(はたゆかこ)さん、陸上の大西瞳(おおにしひとみ)さん、鈴木徹さんたちパラリンピアンだ。

「延期によって義足の再度の調整や、新規作成の機会が増えましたから、たいへんではありましたが、やりがいになりました。世界中の選手や関係者に同等に課せられたことなので、できることを精いっぱいやるだけです」

臼井さんにとってパラリンピアン第一号となった走り高跳びの鈴木徹選手。走り高跳びにはどのような板の向き、長さなどがいいかわからず、鈴木選手と一緒にグラウンドに通っていたとか(写真:2019 関東パラ陸上選手権 男子 走高跳 T64/アフロ)

義足が優れているからといって、記録が出るわけじゃない

義足の向上とともにパラリンピアンたちの記録も伸び続け、今やオリンピアンに迫る記録をもつ選手もいる。その一人がドイツのマルクス・レーム。走り幅跳びで8m48を跳んで、世界を驚かせた。彼自身、パラリンピックではなくオリンピック出場を望んだというが、かなわなかった。一説には健常者であるオリンピック候補選手たちが自分たちがオリンピックに出場できなくなるのを恐れたからという話もある。

しかし。パラリンピアンたちの活躍は素晴らしいが、その記録は性能のいい義足のせいではないのか。だとしたら、なんとなく不公平な感じもする。

「義足が優れているからといって、記録が出るわけじゃない。実際、マルクス・レームと同じ義足を使っても、7m50しか跳べない選手もいる。それなりに練習したり、その人の総合的な能力があって、記録が出るんです」

「だが、しかし」と、再び考える。ナイキの厚底シューズを履くと記録が出るということで、使用禁止になりそうになった。10年ほど前にはレーザー・レーサーという水着を着ると記録が出るということで話題になり、結局国際水泳連盟では使用が禁止された。

義足の世界ではそのようなルールはないのだろうか。

「パラリンピックの規約の中には、義足にモーターやバネは使ってはいけないと書かれているけれど、それ以外に制約はありません」 

義足作りでいちばんむずかしいのは、足を入れるソケット部分。「骨が当たらないか、緩いところ、きついところはないか本人の意見を聞いて、痛くないものを作る。痛みが出てしまったら走れませんから」

ナイキの厚底シューズは義足から生まれた!

「ところで、ナイキの厚底シューズは義足から生まれたんです」

思いがけない新事実が!

現在、競技用義足メーカーはアイスランドのオズール社と、ドイツのオットーボック社が圧倒的なシェアを占めている。ナイキは10年ほど前からオズール社に協力しているんです。だから、義足の技術についてもよく知っている。義足をヒントに、あのシューズを開発してるんです」

厚底シューズは、ミッドソールにカーボンプレートを内蔵して、より強い反発性をもたせ、前へ進ませる力を生み出すと言われるが、そのカーボンプレートこそ、義足の板バネから生まれたもの。ふつうは健常者が使っているものをヒントに義足が改良されるそうだが、それと逆のことが起こったのだ。

これからも新しい義足はどんどん生まれる。

「競技性を高めると思える最新のものがあれば、臆せず取り入れていきますよ! 素材や新しい理論での作り方には、つねにアンテナを張っていようと思います。パラリンピックは技術的な面でも戦いですから」

支えているだけじゃない。パラリンピックは臼井さんにとっても戦いの場でもあるのだ。

 

2000年のシドニーパラリンピックで使われた、日本で最初のスポーツ義足。左は古城暁博選手、右は鈴木徹選手のもの
ソケット部分にお気に入りのプリントを。おしゃれな義足をつけることで、義足を見せる人も増えている

子どもたちが運動できるようにスポーツ用義足に支援を

夢はやはり自分が作った義足でメダルを取ってもらうことか?

「それももちろんうれしいですが、それよりもスポーツ用の義足や義手、車いすに支援をしてほしい。生活用義足には自治体から支援がありますが、スポーツ用は全額自己負担。膝より下の切断の義足で70万円くらい、膝より上の切断だったら100万円、120万円と高額で、個人で負担するのは、とてもたいへん。小学生、中学生がスポーツをやりたいと思ったら、すぐに支給されるような体制を作ってほしい」

裾野が広がれば、その中からパラリンピアンだって大勢出てくる。何よりスポーツができるようになることで、笑顔が増えるのがいちばんうれしいと臼井さん。

「昔は義足であることを隠している人が多かったけれど、最近はパラリンピックで活躍する選手を目にするせいか、義足を見せてもかまわないという人が増えてきた。義足でも楽しんじゃおうと、心が開放されてきた。いい風潮だと思います」

臼井二美男 1983年から財団法人鉄道弘済会・東京身体障害者福祉センター(現・義肢装具サポートセンター)で義足を作り始める。1989年よりスポーツ義足を製作。1991年に陸上クラブ「ヘルスエンジェルス(現・スタートラインTokyo)」を創設。2000年のシドニー大会より、パラリンピックの日本代表選手に同行。スポーツのほかにも、義足を通じてアートやファッション界とのコラボレーション、大学との共同開発なども行っている。著書に『転んでも、大丈夫』(ポプラ社)。

  • 取材・文中川いづみ撮影田中祐介

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