ガンダムの宇宙世紀からロシア革命へ安彦良和70歳“最後の連載”

開拓農家出身の一兵卒:乾、大卒の新聞記者:巽 対極的なふたりが巨大なロシア革命に直面して…【安彦インタビュー:後編】

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『乾と巽 ‐ザバイカル戦記‐』連載第1回の扉絵。月刊「アフタヌーン」(11月号:9月25日刊)に掲載。

前編〔「ガンダム」後の新作は「シベリア出兵」!安彦良和“最後の連載”〕は、ウェブ掲載の記事としては「通常の3倍」どころではない分量だったが、ゴッドハンド・安彦良和氏の、過去と現在、アニメと漫画、『ガンダム』と最新作『乾と巽 -ザバイカル戦記-』、それぞれを行き来するインタビューと論考は大きな反響を呼んだ。
後編も取材・文は同じく作家の堀田純司氏。氏は単行本『ガンダム者 ガンダムを創った男たち』(2002年刊)で、安彦氏をはじめとするガンダムのクリエーターたちをインタビューし、『ガンダムUC証言集』(14年刊)を企画、自身も執筆を手掛けている。
安彦氏ロングインタビュー、後編スタートです。

前編 〔「ガンダム」後の新作は「シベリア出兵」!安彦良和“最後の連載”〕。はこちら

アトリエにて。アニメーションを(一時)引退後、漫画執筆用に特注した机は、実はアニメーター仕様。原画を入れる棚やライトテーブルが装備されている

前編でも触れましたが、世界的規模で若者たちによる政治活動が盛り上がった時期に学生だった安彦さんは、自身も運動に身を投じた。
当時の活動家たちは、一種の流行のように同じ服装に身を固めていたそうです。ヘルメットに覆面という、あの出で立ちです。
この姿には「個人が特定されことを防ぐ」という建前もあったのですが、安彦さんは馴染めなかったという。嫌悪まではしなかったが、「自分は受け入れまい」と考えていた。安彦さんは、その理由について著書でこのように記しています。

「党派を誇示するメットを被り、志を同じくするというのはアイデンティティーの至上の表明である。だからこそそこには快感もあるのだろうが、その快感は代償として大切なものを失う。外部とのコミュニケーションである」(『原点 THE ORIGIN』岩波書店)

社会的動物である人にとって「仲間がいる」という一体感は心地よく、それが社会のエネルギーになることもある。
しかし、自分自身のアイデンティティを「集団」に置くことになると、他者との交流を失ってしまう危険もある。
安彦さんは、学生時代から立場が違う「右の学生」とも友だちだったという。自分だけの世界に閉じこもることはしなかった。今でいうところの「レッテル貼り」をするようなことはなかった。その姿勢は、後に自らが創り出す作品までずっと踏襲されているように感じます。

「ジオニズムは間違っている」とシャアは言った

<安彦> ヘルメットについては「サイズが合うのがなかった」ということもあるんですけどね。僕の頭がでかいから。
ま、それは半分冗談で、一体化して、みんなでワッショイワッショイやることに快感はある。あるのですけど、それはそれだけのものでしかない。そんなふうについ冷めちゃうっていうところは、あるんでしょうね。

――人は本来みんな「他者とわかりあう」コミュニケーションの能力を持っている。このことは、安彦さんがアニメーションディレクターとして関わった「ガンダム」でも、一種超能力のような感覚を持った人、「ニュータイプ」という設定によって大きなテーマとなりました。

〈安彦〉 「ニュータイプ」については、僕は当時、富野由悠季監督に対して、世代論以上の話には付き合わないよって言っていたんですね。彼も「それでいい」と。それっきりニュータイプのことは話題にもしていないですけど。

――「ニュータイプ」、新しい人といっても、それは「若い世代」「次の世代」以上の意味はない、ということですね。

〈安彦〉 しかし、それが後になってメディアのほうで、「ニュータイプとは特殊な能力だ」とカテゴライズされはじめ、「ニュータイプがガンダムのテーマだ」とまで言われるようになっていった。
「それがそもそもガンダムをおかしくした元凶だよ」って、僕はずっと思っている。だから、そういう特殊なものは自分が描いた『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』では一切認めていないんだね。

『~THE ORIGIN』でシャア・アズナブルが、おやじは間違っていたって言っているんですね。彼の父親、ジオン・ズム・ダイクンは「スペースノイドからニュータイプが生まれる、これからはニュータイプの時代だ」といったことを喧伝し、それが「ジオニズム」として拡がったということになっているけども、それがおやじの思想だとしたら、間違っていると。
なぜなら、(ニュータイプの先駆的存在である)アムロ・レイもララァ・スンも、地球人じゃないかと。だから、ニュータイプ、オールドタイプといっても、出身には関係ない。それを宇宙民とくっつけたのは、おやじの間違いだったと、シャアに言わせています。

もともと、しっかり地球に家があるアムロや、インドの孤児だったララァを、最たるニュータイプに仕立てている。そこが破綻しているんですよ。そんな大きな矛盾を、たぶん富野監督は無意識にやっていたのだろうけど、ちゃんと作中に入れ込んでいるんです。
こうしたところに、僕は本当に「富野由悠季ってすごいな」と感じます。きっちりつくっているじゃないかと。
あとになって、彼自身がかき回してしまうんだけどね。

僕は、漫画用の「ジーペン」は使えないんだよね。最初の漫画「アリオン」のときから、鉛筆と毛筆。

シャア・アズナブルは、「宇宙に暮らす民による人の革新」という思想について「不遇な大人達の負け惜しみだと思っていた!」と実の妹のセイラ・マスを相手に語っています(『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』18巻「ララァ編・後」)。
だがシャアはララァと出会い、戦いの中で「人はわかりあうことができる、かもしれない」と知った。しかし、その可能性を宇宙民と結びつけた父について
「父はまちがっていたんだ!棄民に等しいスペースノイドに思い入れるあまり、新しい人としての覚醒がいずれ等しくスペースノイドに訪れると父は信じた! だがそれはちがう!」

ジオン・ズム・ダイクンは本来「わかりあおうとする人」「しない人」の対立を、民族問題にすり替えてしまった。それは間違っていたとシャアは言う。
しかし、そうしたシャア自身がザビ家への憎しみに囚われ、自ら可能性を閉ざしてしまった。それが、この「赤い彗星」と呼ばれた男の悲劇であり、宿命でした。

初作『機動戦士ガンダム』の世界観について、『~THE ORIGIN』を読み返して、あらためてすごいなと思うのは、その、「きちんとリアルの歴史として説明できてしまう」ところ。
たとえば作中、敵方となるジオン公国は、「公王」をいだき、軍装も19世紀的な風俗に回帰していました。「敵味方の勢力を見た目にもわかりやすくするアニメの事情だ」と言ってしまえばそれまでなのですが、彼ら宇宙民は、増えすぎた人口としてスペースコロニーに「棄民」された人々。
人というものは、伝統文化に癒やされるものです。しかし彼ら宇宙の民は、伝統から切り離され、土の大地からも切り離されて、冷たい人工物の中で暮らしている。
「強いジオン訛り」が成立するほど独自の民族性も生まれていたとはいえ、金属空間の人工国家で暮らす彼らは、伝統を求め、古典的な文物に憧れたことでしょう。
つい少し前まで一般市民だったはずの「ザビ家の人々」が、早々に「王族」として権威を持ち得たのも、人々の側に「伝統」を求める心があったからだと思います。

こうした土壌があっただけに、ジオン・ズム・ダイクンの「宇宙に暮らす人々こそが、人類を革新する」という思想は危険だった。なぜなら、これを受け入れると地球民に対して「宇宙民のほうが偉い」と、マウントを取ることができるからです。シャアの言うところの「不遇な大人たちの負け惜しみ」です。
事実、「ジオニズム」は、熱狂的に受け入れられ、宇宙に暮らす人たちのナショナリズムに火をつけてしまうことになりました。
社会が分断されてしまう。ジオン・ズム・ダイクンは、これを危険だとは考えなかったのでしょうか。彼にしてみれば、ナショナリズムによって宇宙民を結束させ、独立へのエネルギーにしようと考えていたのでしょう。
しかし、一度燃え上がったナショナリズムは、行き着くところまで行き着くという性質があります。しかも総帥として軍を掌握した、ザビ家の長兄ギレン・ザビという優れた扇動政治家が現れ、ジオニズム思想を「宇宙民こそ選ばれた民である」と変質させることになりました。
いや、これを変質とは言えない。シャアの言うようにジオニズムは最初から選民思想の危険性を持っていたのです。ある意味で、ギレンこそがジオニズムの正当な相続人でした。

すみません。「通常の3倍のボリューム」というか、長々とガンダムの話をしたのは、なにも筆者がなんでもかんでもガンダムになぞらえて考える「ガンダム脳」の持ち主であるからだけではありません。
安彦さんが『~ガンダム THE ORIGIN』で行った「宇宙世紀史」の掘り下げは、本当に深い。
そしてここで見られるナショナリズム、民族主義、そして「特別な人間などいない」というテーマは、『虹色のトロッキー』、『天の血脈』など、安彦さんの漫画作品において一貫して見られる主題、人間観であり、魅力だと感じるためです。

様々な資料を参考にしつつ、『乾と巽~』のネーム(漫画用の絵コンテ)を作成。通常はネームから作画に入る際、新たに下絵を起こすことが多いが、安彦さんの場合、ネームの時点ですでに完成度が高く、それがそのまま下絵となるという。

『虹色のトロツキー』昭和初期、『天の血脈』明治、『乾と巽』大正。歴史を描く理由

――最後の連載とおっしゃる『乾と巽 -ザバイカル戦記-』のふたりの主人公は、どのような人たちなのでしょうか。

〈安彦〉 主人公のひとり乾は、一兵卒です。将校ですらないんですね。第7師団(だいしちしだん)に所属するのですが、この師団は北海道に置かれていた。僕の郷里でもある遠軽(えんがる)の出身で、開拓農家の次男坊。口減らしも含めて「戦争へ行ってこい」ということで兵隊になった。それでシベリア出兵に直面する。そういう設定です。

もうひとりの巽は、元文学少年の新聞記者で非常に大正時代的なインテリなんですね。革命に対して新しい光を見ているタイプです。

常に対極的なふたりで、片一方はど田舎の開拓村から出てきて、学歴も尋常小学校をやっと出たくらい。政治も知らない。

もう片一方は、早稲田の露文か何かを出て、外国語もできる。ある意味、頭でっかちの理想主義者です。

しかしどちらも社会的に見ると非常に小さな個人なんです。その個人と、歴史上かつてないぐらい大きな出来事であるロシア革命。最小と最大という、そんな対比が面白いんじゃないかと思っています。彼らは非常に大きな政治状況に直面して、いろんな意味で裏切られて、傷ついていくことになるのですけど。

乾はザバイカルにいて、巽君は記者としてウラジオストックからきた。ちょうど西北と南東で、つまり方位でいうとそれぞれ戌亥(乾)と辰巳(巽)。しかもその線を伸ばすと、東京に届くんですね。ここはひそかに、自分で「結構いいじゃないか」と思ってます。誰も褒めてくれないから、自分で褒める。

――『虹色のトロツキー』では昭和初期、『天の血脈』では明治、そして『乾と巽』では大正。安彦さんはなぜ歴史に取り組まれるのでしょうか?

〈安彦〉 やはり昔生きていた人の重みっていいますかね。それには勝てないなっていう感じですかね。

今年、北海道開拓150周年、つまり明治維新150周年です。その50年後にロシア革命。さらにそこから50年で、僕の学生時代で、若者たちの運動がピークに達した1968年。この50年の間には満州国の建国があったり、第二次大戦が起こったり、原爆が落とされたり、戦後復興があったりするわけですね。この期間はすごい時代で、本当に大変でした。

それにくらべて、1968年からの50年は、僕はその間に「東京に出てきて、アニメをやって、漫画家になって、結構苦労したな」なんて言っているけど、この前の時代と比べたらぬるいものです。

その時代その時代に、人はそれぞれ真摯に生きるものなんだろうけど、維新からの50年間、ロシア革命からの50年間、この時代を生きてきた人たちには「やはりどうしたって勝てないな」っていう気がするんです。彼らの生きた時代は、すごいドラマですよ。

確かに、昔の人は散々ぱら間違いを犯した。それを我々は、学校で習ったり、本を読んだりして「バカだな」「こんなところで間違いやがって」とか言うのだけども、いや、昔の人はずっと偉かった。我々よりずっと偉かった。

それでも彼らは、間違ってしまった。しかしそれは当時の彼らが無能だったから間違えたのではなく、「そんな偉い人たちでも、人間は過ちをおかしてしまう」ということなんです。

だから今の僕らが「俺たちは教育を受けたし、いろいろ社会勉強をしてきたから、こんな間違いはしねえぞ」なんて、絶対に言えないと思いますね。
大きくて、強くて、苦労をいっぱいして、試練にもまれて。好き嫌いをあえて問わなければ、皆さん、壮絶に生きた。

やはり昔の人に感じるロマンというか、ロマンの匂いみたいなのものに、どうしても惹きつけられるところはありますね。

――満州の大地、シベリアの原野。そうした風景に、絵描きとして大きなロマンを感じるというところも、おありではありませんか?

〈安彦〉 以前、漫画家のかわぐちかいじさんと対談したことがあって、彼は村上水軍の流れらしい。先祖は海賊なんですね。だから軍艦が好きで、海を見るとワクワクするそうなんです。それで『沈黙の艦隊』や『ジパング』を描いている。

僕は海を見ても、ワクワクしなくて。『虹色のトロツキー』を描くときに初めて満州に行ったのですが、その風景がやはり何となくジーンと来るんですね。

日本人には大陸の夕陽を見てジーンと来るのと、海を見て血が騒ぐのと、ふた通りいるらしい。かわぐちかいじは海派で、僕は大陸派なのかな。郷里の北海道の景色はちょっと大陸的ですから。

――きっと日本人は北方系の騎馬民族と、南方系の海洋民族の血が混じっていて……。

〈安彦〉 海幸彦と山幸彦がいる。これは誰かが言ってくれて、そうかと思ったんだ。その2種類がいるみたいですね。

アトリエにて。仮眠用のソファ。「アリオン」、「ガンダム」のイラストが見える。

――筆者は最後に安彦さんに「アフタヌーンという雑誌について、どう感じていますか?」と質問した。
我ながら変な質問のようだが、アフタヌーンは一時期「1000ページを越えていた」という、いくら平綴じは分厚くできると言っても製本の限界に挑むような束(つか)の雑誌で、しかもその内容も幅広く分厚い。ずっしりぎっしり独自路線の雑誌だ。「最後の新連載」にあたって、なぜその雑誌を選ばれたのだろうか。

〈安彦〉 これはおべんちゃらを言うわけではなく「アフタヌーン」はずっと憧れだったんですよ。

アシスタントがいない、量産ができないという自分のスタイルから見て、掲載対象は月刊誌に限られる。その月刊誌を見て、昔から「こういうとこなら描きてえな」と思ったのは、まず「アフタヌーン」だったですね。なんせ分厚くて、いろんな作品が載ってますからね。

大体、普通の雑誌だと、僕が描きたいと思っているようなことは「それはいらないね」って言われそうな。ただ「アフタヌーン」だったら、その中に混ぜてもらえるんじゃないかという気がずっと前からしていました。

でも、こういうのはタイミングもありますけど、話が来たのはずいぶん遅くてね。大体、講談社から話が来たのは僕が50歳のときですからね。『王道の狗』という漫画で。

――「ミスターマガジン」連載ですね。

〈安彦〉 電話を取ったら「講談社です」と。来た来た、メジャーが。「50歳でメジャーか、俺は」そう思ったら、やっぱりメジャーじゃなかったらしくて、雑誌が休刊になっちゃいましたけど。でも、好き好んでマイナーをやっているわけじゃないですよ。

「それはメジャーのほうがいいに決まってますよ。やっぱりね」と言って、アニメと漫画界の「ゴッドハンド」は、染み入る笑顔で、微笑んでいらっしゃった。

ロシア革命、シベリア出兵。この“大状況”の中で、人はどう生きるのか。安彦氏が「5年~6年くらいかかるかな」と語る最後の連載『乾と巽 -ザバイカル戦記-』。その壮大な物語は、今まさに始まったばかりです。 「安彦良和インタビュー」おわり

安彦良和(やすひこよしかず):略歴…1947年生まれ。北海道出身。1970年に旧虫プロ入社。1973年からフリーとなり、アニメーター・アニメーション監督を続けるかたわら1979年に『アリオン』で漫画家デビュー。1989年の『ナムジ』から専業漫画家となり、『王道の狗』『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』など著作多数。「アフタヌーン」にて2012年〜2016年に『天の血脈』を連載。2018年9月25日、「アフタヌーン」(11月号)で『乾と巽 -ザバイカル戦記-』を連載開始。最新著作は『革命とサブカル』(言視舎)

「アフタヌーン」公式サイト [モアイ]はこちら
「イブニング」公式サイト [モアイ]はこちら
『革命とサブカル』(言視舎刊)サイトはこちら

取材・文:堀田純司

撮影:斎藤浩

  • 作家堀田純司 (ほった じゅんじ)

    主な著書に『僕とツンデレとハイデガー ヴェルシオンアドレサンス』『オッサンフォー』(以上講談社)『メジャーを生み出す マーケットを越えるクリエーター』『“天才”を売る 心と市場をつかまえるマンガ編集者』(以上、KADOKAWA)などがある。別名義でマンガ原作も執筆している。日本漫画家協会員。

Photo Gallary6

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