アルコール依存の末に…60代夫婦が無理心中の「悲しすぎる背景」 | FRIDAYデジタル

アルコール依存の末に…60代夫婦が無理心中の「悲しすぎる背景」

ノンフィクション作家・石井光太が日本社会の深層に迫る!

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高齢者夫婦にとって定年後の自由な時間がかえって災いすることもある(写真はイメージです。画像:アフロ)

ここ20年ほど、高齢者のアルコール依存症の割合が増加しつづけていることを知っているだろうか。

90年代にはアルコール依存症患者における65歳以上の割合は一けた台だったのが、現在はおおよそ20%に達している。

高齢者夫婦の家庭で、アルコール依存が原因で起こるトラブルは深刻なものが多い。これによって夫婦関係の破綻や健康の悪化が生じるだけでなく、時には老老介護につながり事件を引き起こすこともあるのだ。

高齢者のアルコール依存が引き起こした殺人事件について見ていきたい。

千葉市中央区に、築30年ほどの家がある。後に事件の加害者となる松本紀子(仮名、人物名は以下同。事件当時67歳)と、夫の和明(同65歳)の住居だ。

二人は70年に22歳と20歳で出会って結婚した。夫は生真面目な性格で機械の整備会社で働き、社交的な妻は近所のスーパーマーケットで30年ほどパートをしていた。二人の間には、男女二人の子供がいた。

家族の仲は良く、子供たちは独立した後も遊びに来たり、絵文字入りのメールでやり取りしたりするなどしていた。

還暦を迎えた頃、二人は立て続けに健康面で問題を抱える。紀子が胃がんの手術を受け、つづいて和明が糖尿病と肝硬変を患っていることがわかった。それでも二人は手を取り合って、乗り越えようとした。夫婦の睦まじい姿は、近所に暮らす人の目に「絵に描いたおしどり夫婦」と映っていたらしい。

暇を持て余し日中から……

だが、和明が定年を迎えたのを機に、急に雲行きが怪しくなる。妻がパートをしている間、暇を持て余した和明が日中から深酒するようになったのだ。持病のこともあったので、紀子が何度も酒をひかえるように注意したが、夕方に帰宅すると決まって泥酔していた。

数ヵ月の間に、和明の言動には記憶障害などいくつもの異変が現れるようになった。たとえば、彼はたまに以前の勤め先にアルバイトに行くことがあったが、飲酒運転をして会社までたどり着けなかったり、会社から「出勤してこない」と言われて家族が捜すと途中で車を止めて酒を飲んでいたりする。問いただしても、自分がアルバイトに出掛けたことさえ忘れている。

間もなく、和明は手足をぶるぶると震わせ、寒い季節でも汗をかくようになった。足元もおぼつかなく、家の中で何度も尿や便を失禁する。たまらず、紀子は棚の酒をすべて片づけたが、それでも隠れて飲んでいるようだった。家の中を調べてみると、押し入れの奥、マットレスの下など、ありとあらゆるところから酒が出てきた。

15年3月3日、家族会議をし、和明を精神病院へ連れて行くことにした。医師は次のように言った。

「アルコール依存症ですね。コルサコフ症候群です」

コルサコフ症候群とは、アルコール依存症者にも見られる中枢神経疾患で、急性のものだと、幻覚に悩まされる、栄養失調に陥る、物忘れが激しくなる、といった症状が起こる。その他にも、身体的な症状も重く、血液検査や尿検査では危険な数値が出ていた。

「症状は深刻ですので、すぐに入院させるのが良いかと思います。うちで3ヵ月ほど入院させて、改善の兆しが見えたところで退院して自宅療法へ切り替えるのがいいでしょう」

用事があると嘘をつき

病院の隔離病棟へ入院することになった。隔離病棟には自傷を防ぐため何も置かれておらず、トイレの水さえ自分で流すことができない。紀子は、こんなところに閉じ込めることになって申し訳ないと思ったが、回復を願うことしかできなかった。

入院中、和明は隔離病棟の不自由な生活への不安をあらわにし、退院を訴え、それが叶わないとなると看護師を困らせる言動に出た。家に用事があると嘘をついたり、目を盗んで抜け出そうとしたり、看護師を買収しようとしたりしたのだ。

毎日見舞いに来る紀子にも不平不満をぶつけた。「閉じ込められるのが苦しい」「自分は歩行器で歩いているのに、看護師はさっさと先に歩いて行ってしまう」「食事がすごくマズイ」……

紀子が入院をつづけるように言うと、和明は激昂した。

「おまえは病院とグルになって、俺が出られないようにしているんだろ!」

こうした乱暴な言葉は、紀子の心を削っていった。

入院から約1ヵ月後の4月24日、病院でトラブルが起こる。和明が「眼鏡を直したい」と嘘をついて看護師からドライバーを借り、それでもって窓のストッパーを外して飛び下りて脱走を図ったのだ。幸い大けがには至らなかったが、紀子が駆けつけると「帰りたい!」「死にたい!」と叫んでいた。彼女は、このまま入院させていたら本当に死んでしまうのではないかと思い、医師に言った。

「いったん、退院させようと思います。これからは私ががんばってみます」

医師は厄介払いするように承諾した。これが悲劇の入り口だった。

「俺を監視しているのか!」

千葉市の家に、紀子は和明を連れ帰したが、それは一人で彼の介護をしなければならないことを意味していた。和明は相変わらず失禁をしていたし、記憶障害もあった。

医師から提示された退院後の生活は厳しいものだった。買い物は一人で行かせないこと。一日の食事は1400キロカロリーまでとすること。車の運転はさせないこと……。和明は娯楽という娯楽を奪い取られた。

紀子は献身的に介護を行った。レシピ本を読みながら一生懸命に一日1400キロカロリーに抑えた料理をつくり、こう言った。

「お父さん、味が薄くてごめんね。私、こういう料理をつくるのに慣れていないから。これからもっとがんばって勉強するから」

だが、和明の態度は冷たかった。食事の度に「まずい」「食えない」と言わ放ち、紀子が様子をうかがう仕草を示すと「俺を監視しているのか!」と悪態をつく。

つらかったのは、「死にたい」と言われることだった。紀子が体を気づかえば気づかうほど、夫は絶望して死への願望を膨らます……。自分が夫を追いつめているように感じた。

そんな中で、紀子は次第に心を病み、寝込むことが増えた。元気な時でも数分と立っていられなくなったり、記憶が途切れたりしてしまう。鬱のような症状が出ていたのだろう。むろん、和明はそれに気づくことなく、わがままを言いつづけた。

退院から一週間も経たない4月29日、紀子にとって信じがたいことが起こる。体調が悪くソファーベッドで横になっていたところ、和明の姿が見当たらなくなっていた。不安になってガレージを見たところ、和明が隠れて酒を飲んで酔っていたのだ。紀子は言った。

「お父さん、とうとう飲んじゃったのね……

和明は開き直って言った。

「めざといな!」

「だって、お父さん病院で飲まないって言ったじゃない?」

「ああ、あの時はな!」

紀子は努力が水の泡となったことに肩を落とした。

この日、和明は開き直るように酒を飲みつづけ、泥酔して眠った。台所に残された紀子の胸は、将来への不安で一杯だった。このままでは、アルコール依存症が再発し、尿や血液検査の数値も逆戻りするにちがいない。認知症に似た症状は進み、失禁もひどくなるだろう。そんな夫の世話を一人でするのは不可能だ。

かといって、監視を強めても、彼は盗んででも酒を飲もうとするだろう。それで逮捕や再入院ともなれば、今度こそ本当に自殺するはずだ。そうなれば子供たちだけでなく、孫にも迷惑をかけることになる。

「一緒に死のっか……」

紀子は頭の中でありとあらゆることを悪い方向へ考えていた。それだけ追いつめられ、冷静な思考ができなくなっていたのだ。

どれくらい経っただろうか、トイレから物音が聞こえてきた。紀子が心配になって行ってみると、和明が用を足した後にズボンとパンツを履けずに困っていた。それは認知症が進んだ老人のようだった。

紀子は近づき、パンツとズボンを上げてあげた。改めて顔を見ると、和明の顔には表情がなく、生気が失せていた。紀子はつぶやいた。

「ねえ、お父さん、私も死ぬから一緒に死のっか……

和明は無表情のまま酒臭い息を吐いて答えた。

「いいよ」

和明はヨタヨタと歩いてリビングルームへ行き、テレビを見はじめた。紀子は和明にもう一度聞いた。

「お父さん、さっき一緒に死ぬって言ったけど、それは本当だよね?」

「うん」

「お父さん、好きだよ……

「俺も好きだ」

和明はそう言い残して、寝室へ向かった。これが、夫婦が交わした最後の言葉だった。

この時から、紀子はほとんど自分の行動を覚えていない。明け方まで一睡もせずにリビングにいたようだ。頭の中にはずっと「死のう、死のう」という言葉が響いていたという。希死念慮に憑りつかれていたのだ。

次の記憶は、一階の寝室に立っていた時のことだ。彼女は布団に横たわる和明をしばらく見つめていた。そして電気コードを夫の首に2、3回巻いて、力いっぱい絞めた。夫は「うっ」と呻いたが、やがて息をしなくなった。

――お父さんを殺した。自分も後を追わなくっちゃ。

紀子はコードから手を離すと、台所の包丁を手に取り、浴室へ行った。そして包丁で自身の左手首を突き刺した。重い痛みとともに鮮血が噴き出す。急に、夫が本当に死んでいるのか不安になった。彼女は血だらけの腕を押さえ、もう一度寝室へ行ってみた。

ベッドには、電気コードを巻かれた和明が横たわっていた。耳を近づけてみたところ、かすかに呼吸をしている。紀子は最後の力をふりしぼり、電気コードをもう一度夫の首に巻きつけて引っ張った。再度確認すると、夫の呼吸は止まっていた。

――お父さんとの約束を守らなきゃ。

紀子はそう思って浴室へ引き返し、再びナイフで同じ左手首を刺し、真横から喉を刺した。紀子は浴室の床に倒れ込んだが、なぜかいつまで経っても意識がなくならない。やがて全身が耐えがたい痛みで覆われた。もう一度自殺を試みようとするも、体に力が入らない。

これでは死ぬに死ねない……。お父さんが、もうやめろ、と言っているのかも……

紀子はそう考えると、携帯電話で長男に電話をかけた。記録には午前7時5分と残っている。紀子は絶え絶えの口調で言った。

「お父さんを殺しちゃった……。私も自分を刺した……

長男は心中を図ったのだと察し、すぐに警察へ通報。

後の調べで、紀子の左手の手首には幅3cm、深さ5mmの傷があり、血管が飛び出して腱が切断されていた。また、首の前頸部にも2.5cmの刺し傷があり、命にかかわる裂傷だった。

和明の方は、一階の寝室で発見された。仰向けに横たわり、首には電気コードが巻かれていた。

アルコール依存が生んだ、老老介護の果ての悲しい無理心中事件。公判で裁判官は次のような判決を下した。

「懲役3年、執行猶予5年」

紀子は実刑を免れ、夫のいなくなった家に一人でもどることになったのである。

  • 取材・文石井光太

    77年、東京都生まれ。ノンフィクション作家。日本大学芸術学部卒業。国内外の文化、歴史、医療などをテーマに取材、執筆活動を行っている。著書に『「鬼畜」の家ーーわが子を殺す親たち』『43回の殺意 川崎中1男子生徒殺害事件の深層』『レンタルチャイルド』『近親殺人』『格差と分断の社会地図』などがある。

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