コロナ禍に店舗増 高級食パンブーム仕掛け人が打ち明けた「挫折」 | FRIDAYデジタル

コロナ禍に店舗増 高級食パンブーム仕掛け人が打ち明けた「挫折」

味方になってくれる人、守ってくれる人は必ずいる。それをどう探すか。

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中華街の前でポーズをとるベーカリープロデュサーの岸本拓也さん。日本人が中華街で店を開き成功することは至難の業と言われているが、11月5日に内覧会を行うと、周辺の店員やお客さんが早くも行列を作った(撮影:西﨑進也)
中華街の前でポーズをとるベーカリープロデュサーの岸本拓也さん。日本人が中華街で店を開き成功することは至難の業と言われているが、11月5日に内覧会を行うと、周辺の店員やお客さんが早くも行列を作った(撮影:西﨑進也)

高級食パンブームの火付け役となったベーカリープロデューサー・岸本拓也さん(46)は新型コロナウイルスの感染拡大により飲食業界が大打撃を受けている中でむしろ店舗を増やした。昨年のみで133店舗を増やし、国内のみならず、中国、ミャンマー、タイ、オーストラリアなど海外にも店舗を広げ、現在国内外に約350店舗をプロデュースしている。原点にあるのは「みなさんの喜ぶ顔を見たい」という一念。その陰には、あまり本人の口から明かしてこなかった幼少期のイジメ体験があったという。

1歳で交通事故に遭い……

「実は、吃り(吃音)がひどくて、いじめられっ子だったんですよ。ある一部の子ではありましたけどね。1歳の時に、車にはねられたショックで声が出なくなりましてね…。幼稚園の時から、小学3年くらいまでは本当に大変だった‥『どもりん』なんて、あだ名までつけられましたから」

パンプロデューサーとして第1人者に上り詰めるまでのプロセスを明瞭に語り、店舗数を増やしてきた岸本さんから出た、衝撃の言葉。今の風貌からは想像できない、親にも言わなかった意外な過去が岸本さんのサービスへのこだわりを生む根幹を作っているのかもしれない。

強くならなきゃ‥。子供心にこんな自問自答を続けていた。そんな時、親戚たちと会う日が待ち遠しくなった。いつも笑顔で迎えてくれたからだった。

「恩返しは笑わせて喜ばせること」

そう誓った岸本さんは、当時人気絶頂だった沢田研二のモノマネをすると「バカ受け!腹の底からみんな笑ってくれて。そこでカラオケで必死に練習をしました。カセットで(笑)、ボタンを2つ押して録音して必死に練習しました。みんな笑ってくれて、本当に嬉しかった」

いじめられても、学べたことがあったという。

「世渡りですね。自分を守ってくれる人を探しました。これが最初は大変でしてね、先生にも味方についてもらいました。自分をいじめている連中ともどう寄り添うか、ということも考えました。

たとえば、女の子たちとも仲良くして味方につけた。バレンタインデーの時には自分からアピールです。チョコをくれよっ!て。そうしたらいじめている連中よりももらえた。それを機に少しずつ状況が変わったんです。どう生き延びるかの日々だったけど、守ってくれる人が必ずいました。今、思うと社会に出て行く上でこの経験は大きかった。結局、守ってくれる人をどう探すか、ですから。いじめた連中とは今でも付き合いはあるんですよ(笑)」

横浜ベイシェラトンホテル&タワーズで働いている頃。左から2番目が岸本氏(ジャパンベーカリーマーケティング株式会社提供)
横浜ベイシェラトンホテル&タワーズで働いている頃。左から2番目が岸本氏(ジャパンベーカリーマーケティング株式会社提供)

岸本さんがパンと出会ったのは外資系ホテル(横浜ベイシェラトンホテル&タワーズ)に就職した時。

「入社3年目にパン部門の企画とマーケティングを任されました。しっかり、深堀りしましたねぇ。そこで気がついたことがありました。パン屋さんは幅広い世代に喜んでもらえます。その老若男女に喜んでいただける光景は私にとって、みんなで盛り上がるお祭りのイメージでした」

2006年に30歳で独立した。出店先に地元・横浜の高級住宅地の一つ、大倉山を選ぶ。パンの美味しさと高級感には自信があった。にもかかわらず年々客足が減っていく。独立してわずか3年目の2008年からの2年間は、志を一つにしてやってきた社員3人の給料を払うのに苦労し、借金を返すのも大変だった。

「振り返って考えてみると、自分が“ホテル脳”になっていたからです」。

幅広い世代に喜んでもらいたいという理念はあった。高級ホテルでキャリアを積み、成功もした。でもそのことがかえって「足かせ」になった。

「マニアックなパンばかり提供をしていた。高級な生活を提案しなきゃと思い、ホテルで働いていたときと差別化できなかったんです。天狗にはなっていなかったとは思うけど、押し付けがありました」

でもそのどん底状態でも、救世主が現れた。いじめられていた時と同じように味方になってくれた人がいたのだ。

「よく買いに来てくださった保育園の園長先生でした。『あなたのパンは確かに美味しいけど、メロンパンとかバターロールも配達してくれないかしら?』と言ってくれて…。他の人がなかなか売らないようなパンで勝負したい思いはありましたから、最初はトンがってましたよ。『なんで俺がメロンパン?』って。でも背に腹は代えられない状況でしたし、配達に行くと園児たちのとびきりの笑顔にも救われました」

保育園の先生の一言を「味方」にできるか否かは岸本さん次第。とがったままだったら、今頃、この業界から消えていたかもしれない。「大切なことはどんな小さな事にも素直に耳を傾けることだ」と改めて胸に刻んだ。

昨年10月、小田急線生田駅南口を降りて1分の場所に開店したパン屋。複数の大学の最寄り駅ながら、マクドナルドの店舗が撤退した都市伝説が残っていたが、開店後は今でも行列ができる
昨年10月、小田急線生田駅南口を降りて1分の場所に開店したパン屋。複数の大学の最寄り駅ながら、マクドナルドの店舗が撤退した都市伝説が残っていたが、開店後は今でも行列ができる

マクドナルドが撤退した駅にも開店した

生きるか、死ぬかの窮地を乗り越えたタフさが、岸本さんの“逆境”にも飛び込む原動力になっているようだ。昨年10月、小田急線生田駅南口を降りて徒歩1分のところに、プロデュースしたパン屋が開店。「スターの昼寝」という店名だ。生田駅は明大、専修大、日本女子大といった大学の最寄り駅。それでもマクドナルドの店舗が撤退した〝都市伝説〟が話題になった。客数は見込めるはずなのに、マックのようなメジャーな店でさえ、撤退せざるを得ない土地では、新規店舗は開きづらいはず。でも岸本さんは違った。

「この駅だ、と確信しましたよ。大手さんは参入しづらい。(小田急線の)急行も止まらない。そして生田らしいものもない。でも、学生さんは購買層にはならないかもしれないが、発信はしてくれる。たくさんいる学生に“インフルエンサー”になってもらって、朝、パンを召し上がってくれる主婦層に買ってもらう絵を描きました。そのために、とびきり目立つキャクターも創りました」

「パンの美味しさには自信を持っている」という岸本さんは、パン以外の付加価値も考えた。店名でひきつけ、買ってもらったパンを入れる袋も自らデザインした。買いにきてくれた人たちが確実に買える時間帯もSNSで発信している。
開店当初から「行列ができるパン屋」として広まり、今も夕方に行くと売り切れるほどの盛況がつづいている。

岸本さんは「行き詰まり」を打破するために、その土地ごとに必要な何かを必死に考え、発見してきた。その引き出しを増やすため、パンに限らず、「売れている」「流行っている」飲食店には直接足を運ぶ。だから365日、ほぼ外食だ。味を吟味し、食べる人をじっくり観察するため、「脳が一番疲れる」という。その積み重ねによって、たとえばパンに甘味を少し加えるのに何がいいか、という微妙な味の違いに迷っているときも「アイディアが降ってくる」という。

その結果、他の高級食パンのお店と違い、出店した店舗すべて食パンの味を微妙に変えることができている。脳が一番疲れるほど考えていると、食パンを食べてもらうこと以外でお客さんを喜ばせるアイディアも浮かんできた。

「焼く前のパン生地って触ると癒されるんです。それなら寝具にしたらどうだろう、きっと楽しい生活が送れるゾと思いましてね。『ツイストパンの抱き枕』を作ってみました」

コロナ禍で飲食業界は大打撃を受け、休業や廃業を余儀なくされる人が多い中、岸本さんが手がけた抱き枕の売り上げも好調で、今後は「地方を元気にしたい」という新たな目標もできた。一目置かれる経営者の一人と感じさせるが、岸本さん本人の思いは違う。

「ビジョンを大きく掲げて、そのために計画的に物事を進めることが理想なのはわかっていますが、毎日が精いっぱいで意外とできていません。ただミッションとして『人に喜んでもらいたい』という思いを変わらず持っているので、そのために何ができるかをずっと考えています。

地方で流行っているコンビニや、花屋さんには理由が必ずあるんです。地方や海外に行くと感覚が研ぎ澄まされるので、ある意味、私は地方の人にも育ててもらいました。ただ、その地方に今個性がなくなっている気がします。何とかもう一度、元気にしたい。人口10万人以下の市町村に直営店を増やしたいですね」

「人に喜んでもらいたい」という思いのきっかけは、最初はつらい思いを乗り越える手段のひとつだったかもしれない。それが今では世の中をよりよくするためのミッションになった。パンを通して、岸本さんが会ったことがない、世界中の人も巻き込んで笑顔に変えるため、今日もどこかで種を探す。

横浜市の中華街に開店した「ちょっと待ってぇー」で焼かれたブドウパンと食パン(撮影:西﨑進也)
横浜市の中華街に開店した「ちょっと待ってぇー」で焼かれたブドウパンと食パン(撮影:西﨑進也)
このもっちりとした弾力はなかなか他のパンでは出せない
このもっちりとした弾力はなかなか他のパンでは出せない
店頭に出された焼きたてのカレーパン(撮影:西﨑進也)
店頭に出された焼きたてのカレーパン(撮影:西﨑進也)
11月6日に中華街でオープンしたばかりの高級食パン専門店「ちょっと待ってぇー」(撮影:西崎進也)
11月6日に中華街でオープンしたばかりの高級食パン専門店「ちょっと待ってぇー」(撮影:西崎進也)
岸本氏は会う人に合わせて衣装を変えるため、1日4、5回着替える。そのため、いつも移動の車には10着近く保管。岸本氏曰く「服を保管する倉庫2つもかりています」。(撮影:西﨑進也)
岸本氏は会う人に合わせて衣装を変えるため、1日4、5回着替える。そのため、いつも移動の車には10着近く保管。岸本氏曰く「服を保管する倉庫2つもかりています」。(撮影:西﨑進也)
奇抜なファッション、たくさんの衣服を持っているのはすべて「会った人に喜んでもらうため」。社員にもよくプレゼントする衣服については「柄物とは限らない。その方の持ち味を引き出せるものを選びます」(撮影:西﨑進也)
奇抜なファッション、たくさんの衣服を持っているのはすべて「会った人に喜んでもらうため」。社員にもよくプレゼントする衣服については「柄物とは限らない。その方の持ち味を引き出せるものを選びます」(撮影:西﨑進也)

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