【ルポ】エサがない、動物に異変…戦火の「キーウ動物園」物語
現地ルポ エサ代は「未来のチケット」を販売して捻出 カメのレタスが調達できなくなり、園内でレタスの栽培をスタート 空襲警報に怯える象に寄り添い励ます飼育員 動物たちを守るため、再開の日のため──
「どうした? 食べたくないのか?」
園長のクリロさん(49)が語りかけると、「ジャンボ」という名のキリンが小窓から大きな顔をのそっと出し、差し出されたバナナにパクついた。18歳のオスだ。
「ジャンボは特に戦争による影響はありませんでした。この小屋は壁が厚いので、空襲警報はあまり聞こえません。ですが、他の動物たちは……」
4月下旬の「キーウ動物園」内は、戦争で閉園中のため、閑散としていた。1907年にオープンし、現在飼育している動物は約200種類、4000頭を数え、ウクライナで最大規模だ。
閉園したのは、ロシア軍による全面侵攻が始まった2月24日。避難民が相次いだ影響で従業員数は350人から一時期、30人まで減った。それでも園長たちは、取り残された動物の飼育を続けた。
「普段はやらない仕事が増え、睡眠時間を削って泊まり込みで働きました。夜中に空襲警報が鳴り、どうしてここにいるのかと我に返ったこともあります」(園長)
飼育員たちは、園内にある施設の地下で避難生活を続け、毛布や重ね着で寒さを凌(しの)いだ。ミサイルが上空を飛び、砲撃の破片が園内に落下した事もあったが、動物に危害はなかった。
入園料(一人当たり120フリヴニャ=約520円)による収益も無くなったため、オンラインのチケット販売を開始し、それを動物のエサ代などに充てた。
「戦闘が激しい地域の動物園から避難してきた猿、トラ、ペリカンなどの動物約140頭もここで面倒をみています」(園長)
キーウ動物園で働き始めて11年になるという飼育員、ビクトリアさん(45)は、象の担当だ。戦争が勃発し、民間人で組織される地域防衛隊への参加を考えていたところ、園長からこう伝えられた。
「銃を使える人間はたくさんいるが、象とコミュニケーションが取れるのはあなたしかいない」
ビクトリアさんは思いとどまった。
「ホラス」という名の象は17歳のオスで、10年前にベルリン動物園から移送されてきた。以来の飼育経験から、ビクトリアさんはホラスの僅(わず)かな異変にも気づく。空襲警報が鳴ると、普段より動き回り、落ち着かなくなった。そんな時はホラスに寄り添い、「私はここにいるから大丈夫だよ」「ウクライナは絶対に勝つからね!」と語り掛けた。側にいるため、ホラスの寝室と同じ施設内で生活を始めた。部屋は4畳半ほど。ビクトリアさんの息子(14)も一緒に、1ヵ月暮らした。
「シャワーやトイレもあるので、そこまで悪い環境ではありません。ただ、息子は慣れない生活に少しストレスを抱えていたので、新品のノートパソコンを買ってあげました。部屋からオンラインで学校の授業を受けていましたね」
戦火の中でヤギ16頭の出産に立ち会ったヴァレリアさん(23)はこう漏らす。
「出産は特に問題ありませんでしたが、糞の処理が大変でした。戦争の影響で処理業者が回収に来る回数が激減し、いつもより片付ける糞の量が多くなりました」
エンジニア部門を担当するボラディミールさん(48)は、カメのエサであるレタスの調達が戦争で困難になったため、園内での栽培を始めた。その部屋へ案内されると、蛍光灯に照らされたレタスが、青々と育っていた。
「りんごやバナナは長期間保管できますが、レタスはすぐに悪くなる。だから自分たちで栽培する必要がありました」
動物の命を守るため、危険と隣り合わせの環境で奮闘した飼育員たち――。閉園から2ヵ月半経った5月12日、営業が再開した。園長が安堵の思いを口にした。
「集客率はいまのところ戦争前の70%ですが、やっとです」
キーウの日常がまた一つ、戻り始めた。
『FRIDAY』2022年6月10日号より
- 写真・文:水谷竹秀
’75年、三重県生まれ。『日本を捨てた男たち フィリピンに生きる「困窮邦人」』で第9回開高健ノンフィクション賞を受賞。最新刊は『ルポ 国際ロマンス詐欺』。ウクライナ戦争など世界各地で取材活動を行う