高橋名人が”全盛期”を振り返る「写真週刊誌を常に警戒していた」 | FRIDAYデジタル

高橋名人が”全盛期”を振り返る「写真週刊誌を常に警戒していた」

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アラフィフ世代以上には知らない人がいない「超人」?

「私は元ハドソンの社員ですから、自社のゲームを宣伝するための活動として『高橋名人』をやっていただけで、他社さんのゲームはほとんどやっていないんです。対戦格闘ゲームはほとんどやったことがないし、得意・不得意は当然あって、例えば思考を伴うシミュレーションゲームなどは、頭の良い方には適わないですよね」

そう語るのは、1980年代のファミコンブームを牽引し、TV出演やCDデビュー、マンガ化、映画化、ゲーム化など、様々なメディアミックスまで巻き起こした「高橋名人」こと高橋利幸さんだ。

63歳の誕生日を迎えた5月23日には、TBS系『ラヴィット!』に出演し、「高橋名人」の名がSNSのトレンド1位にもなっていた。アラフィフ世代以上には知らない人がほぼいない一方、「ゲームなら何でもできる超人」と誤解されてきた不思議な存在でもある。

「例えばテレ東(テレビ東京)さんの番組で、マッチさん(近藤真彦)がゲストで来られたときに、ディレクターさんから『スーマリ(スーパーマリオブラザーズ)をやってくれ』と言われたんですが、『スーマリはウチの商品じゃないので、それはトヨタの社員が日産の車に乗るようなもので、私はできません』とお断りし、マッチさんがスーマリをやってくれた後、2人で『スターソルジャー』をやったこともありました(笑)」 

63歳の誕生日を迎えた5月23日には、TBS系『ラヴィット!』に出演し、「高橋名人」の名がSNSのトレンド1位に

日本中の子どもたちが真似した「16連射」

たまたまハドソンの一社員で宣伝を担当したところから、超有名人になったわけだが、「高橋名人」とは一体何だったのか。

「『月刊コロコロコミック』(以下 コロコロ)で『ゲームセンターあらし』が終わった後に『ファミコンロッキー』が1984年に始まり、その中でハドソンを取り上げてもらったところからコロコロさんとの付き合いが始まりました。 

ゲームに対する子どもの反応を見たいということで、翌年3月、4月に『コロコロマンガ祭り』を銀座の松坂屋でやったとき、1時間ステージで何かデモンストレーションをしてみないかという話があり、上司に『何とかせえ』と言われて『チャンピオンシップロードランナー』を実演したところ、子どもの反応が非常に良かったんです」 

この盛況ぶりを受け、85年に第1回「全国キャラバンファミコン大会」を開催。そこで採用されたのが、ファミコン初のシューティングゲーム「スターフォース」だった。しかし、この時点で「16連射」は生まれていない。

「スターフォースの途中にラリオスという敵キャラが登場し、コアが出て来て光ってから合体するまでの一秒間に8発撃ち込むと5万点ボーナスもらえるようになっているんです。それを倒すとき、どれくらいのスピードでボタンを押しているのかといったユーザーからの問い合わせが、コロコロにあって。 

当時はまだ調べる機材がなく、ラリオスが光る前に撃つと、撃った分だけ8にプラスされるので、何発まで成功するか試したら7、8発で成功しているらしい。だったら、1秒間に15か16だろうということで、コンピュータ的に16進数が綺麗だから16連射で、と発表したんです。 

さらに翌年、『スターソルジャー』で毛利名人と戦った映画『GAME KING 高橋名人VS毛利名人 激突!大決戦』の中で、ADさんが映画のフィルムを240コマ分10秒間抜き出し、私が撃っている弾を数えてくれたら10秒間に174発、17連射だったんですが、あまり変わらないので16連射に落ち着きました」 

それにしても、なぜそんなに早打ちなのか。

「実家が金物屋だったので、小学生の頃は冬の間灯油を売っていた関係から、灯油を運ぶのを手伝っていたんですね。一斗缶18リットル、ポリタンクの20リットルを持って、400~500m歩くわけですよ。 

そのとき、親父が50kgの握力を鍛えるハンドグリップを渡して『力をつけろ』と言ったのが小学4年生くらい。実際に鍛えられ、6年生のときには握力45kgありました。大人になって八百屋をやっていたときには玉ねぎ3俵担いだりして、最大で握力85kgになったんです。ただ、握力と早打ちの関係はわからないですね。 

実は今、腱の手術をしてリハビリ中で、握力20kgしかないんですが、それでも1秒間に12、13発はできますので。それを握力80kgまで戻したら16になるかは……。それに、実は連射って指でボタンを押しているように思われがちですが、そうではなく、肘から先が全体的に動いているんですよ」 

日本中の子どもたちが真似した「16連射」

「高橋名人」が唯一無二だったのはなぜなのか…

日本中の子どもたちが「16連射」を真似した。異常な熱狂ぶりはさらに広がり、各社から名人が登場したが、「高橋名人」が唯一無二だったのはなぜなのか。

「僕の場合、ゲームが売れればいいと思っているわけじゃなく、ゲーム業界を続けるためにはちゃんと言わなきゃいけないことがあると思っていたから、『ゲームは1日1時間』『外で遊ぼう元気よく』『僕らの仕事はもちろん勉強』などと掲げていたんです。 

ゲームメーカーの人間だったら、普通はどんどん遊べと言うところですが、もともとゲームセンターは小中学生にとって不良のたまり場、ゲームは悪いものという時代を経ていますので、いかにお母さん方の中の悪いイメージを払拭し、財布を開いてもらうかが大切でした。 

たぶんゲームが上手いだけだと、子どもたちの中だけの注目で終わっていたと思うんですが、親御さんの賛同も得たことで、幅広い年代に受けたのだと思います」

ある意味、「うたのおにいさん」「たいそうのおにいさん」にも近い「ゲームのおにいさん」のようでもある。街を歩くときも大変だったのでは。

「それは気を遣いましたよ。FRIDAYさんなどの写真週刊誌にはいつ撮られても良いように、例えば新宿歌舞伎町を歩くときには両脇にスタッフを付け、『ピンクの看板があったら距離をとって、ど真ん中を歩け。ピンクの看板と一緒に写るような写真は絶対に撮られるな』と会社から言われていました」

面白いのは、ファミコンブームから「連射」が独立して1つのエンタメになったこと。連射を測るだけの『シュウォッチ』も登場した。

「実は数年前、幼稚園のお祭りを手伝って欲しいと言われて、10秒間に何回ボタン押せたか測るためにシュウォッチを3、4個持っていったんですね。それをテーブルに置き、順番にやってみようと言ったら、『俺は70発!』『俺は71だよ』『もう1回やりたい』と、並び始めるわけですよ。 

ボタンを叩くだけのシンプルな行為だからこそ、人に勝つと嬉しいし、負けると悔しい。今も『マリオパーティー』で、連打だけ競うゲームがありますが、誰もが何も考えずボタンを押せば良いだけというのは普遍的な面白さがあるんでしょうね」 

「うたのおにいさん」「たいそうのおにいさん」にも近い「ゲームのおにいさん」のような存在だった

ちなみに、ハドソンを退社した後は、ゲーム会社MAGES.に入り、今はゲーム全般を担当。

「ゲームプレイヤーには2種類あると思うんですね。YouTubeのゲーム実況主みたいに、ゲームの楽しさを広めるのは、私に近いタイプ。もう一方は、e-sportsのプロゲーマーで、ゲーム大会に勝つことで賞金を手に入れて生活する人。 

これはどっちも必要なんですよね。僕はTwitterもブログもYouTubeもやりますが、ゲーム実況はどうですかねえ……。若い世代が生活のために収益化するのは、子どもたちの夢や憧れにつながるけど、僕はもう63歳ですから、楽しみをお金に交換したくないんですよ」

改めて高橋名人にとって「ゲーム」とはどういう存在なのか。

「私にとってゲームは青春のアイテムの一つ。ゲームって、遊ぶためだけのものでなく、みんなと仲良くなるためのツールだと思うんですよ。うまく使えば、年齢も性別も関係ない。おじいちゃんが孫と仲良くなれるような使い方だってできますから。 

それに、最初は『名人』と呼ばれるのが恥ずかしかったけど、今はもう慣れました(笑)。逆に今は何と呼べば良いかと聞かれると『名人でいいよ』と言います」 

高橋名人(本名:高橋利幸) 1985年「第1回全国ファミコンキャラバン大会」イベントで名人の称号が確立後、当時のファミコンブームを追い風に、TV、ラジオ、映画などに出演。子どもたちのヒーローとして人気を得る。名人をキャラクターに使用したゲームに「高橋名人の冒険島」シリーズがあるほか、関連書籍、レコード、CDなども多数発売。

  • 取材・文田幸和歌子

    1973年生まれ。出版社、広告制作会社勤務を経てフリーランスのライターに。週刊誌・月刊誌等で俳優などのインタビューを手掛けるほか、ドラマコラムを様々な媒体で執筆中。主な著書に、『大切なことはみんな朝ドラが教えてくれた』(太田出版)、『KinKiKids おわりなき道』『Hey!Say!JUMP 9つのトビラが開くとき』(ともにアールズ出版)など。

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