やめたくてもやめられない…「朝ドラ」という特殊な視聴習慣 | FRIDAYデジタル

やめたくてもやめられない…「朝ドラ」という特殊な視聴習慣

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「朝ドラをやめられない人々」…

何かと辛口評価が多いNHK連続テレビ小説『ちむどんどん』。

SNSでは「#ちむどんどん反省会」をタグ付けしたツイートが毎日盛んにつぶやかれている。しかし、その一方で、数においては劣勢ながら、「#ちむどんどんする」というハッシュタグも作られ、本作を楽しんでいる、あるいは前向きに楽しもうとしている人たちもいる。

この「#ちむどんどん反省会」と「#ちむどんどんする」は一見、対立構造に見えるかもしれない。しかし、その実、どちらも本作と真剣に向き合い、共に「ちむどんどんしたい」と願う点で共通している気がする。

もちろん前者のつぶやきにも、シンプルな悪口や揚げ足取りもある。だが、コメントを見ると、実は大半がしっかり作品と向き合い、辻褄が合わない部分や説明不足、唐突な展開などを指摘しつつも、補足・修正することで、より良い作品になる方法や楽しむ術を探しているものが多い。

一方、後者は、純粋に作品を楽しんでいる人や、メインキャストのファン、批判やネガティブコメント全般に抵抗がある人、「朝はとにかく明るく楽しくが一番」という人など、様々だ。

「文句を言うなら観るな」という人もいる。

実際、一般のドラマの場合、ハマらない人は1話か2話で脱落していくケースが多いのに、朝ドラだけは日々「反省会」をしても、白目になっても、捨て置けない、割り切れない視聴者が多い。

なぜ朝ドラはこんなにも特殊なのか。

「#ちむどんどん反省会」と「#ちむどんどんする」…、共に「ちむどんどんしたい」と願う点で共通している気がする(NHK公式HPより)
「#ちむどんどん反省会」と「#ちむどんどんする」…、共に「ちむどんどんしたい」と願う点で共通している気がする(NHK公式HPより)

ひいきのチームに対するファン、サポーターに近い?

一つには、やはり長年の視聴習慣がある。『ゲゲゲの女房』(2010年度上半期)での放送時間変更により、時計がわり・惰性の習慣がリセットされ、『あまちゃん』(2013年度上半期)以降、最新では前作『カムカムエヴリバディ 』から初めて朝ドラを観るようになったという人もいる。

しかし、そうした視聴者の多くは作品単体のファンであり、好みに合わない作品になると、すぐに離脱していく。ドラマの観方として、当たり前のことだ。

しかし、「朝ドラ好き」というのは、いわゆるドラマ好きとは似て非なるもの。朝ドラ好きはやめるにやめられない、ややこしさ、面倒臭さを孕む。

かく言う自分なども、5〜6歳のときの『マー姉ちゃん』以降40年以上にわたり、全作観ているが、かと言ってもちろん「全話」観ているわけではない。とびとびで観たもの、観ていたのにほとんど記憶に残っていないもの、離脱しかけては、ヒロインの人生の節目節目を見届けるために一時的に戻ることを繰り返したものも多々ある。

これまで様々な朝ドラのプロデューサーや演出家にインタビューしてきた中で、そうした話をする度、「珍しいですね」「奇特ですねえ」「自分もそんなに観ていないですよ」と言われることが多かった。

しかし、実は自分は決して珍しいケースではなく、おそらく同じように30年も40年も、ほとんどの作品を観てきたという人は山ほどいるだろう。

ドラマ評論家やドラマ系のライターの方々はよく「朝ドラは面倒臭い。批評すると、○○しか観ていないくせになどと言われる」「昔から観ていないと論じてはいけない、知ったかぶりするなみたいな風潮が朝ドラにはなぜかある」と言う。

本来は作品単体を論じるとき、「いつからどれだけ観てきたか」という情報はさほど重要ではない。しかし、「朝ドラ好き」にとって、朝ドラは日常生活の一部であり、その距離感はひいきのチームに対するファン、サポーターに近い部分があるのではないか。

健やかなるときも病めるときも、晴れの日も雨の日も見守り続ける…

好調のときもあれば、不調のときもある。毎年最下位争いしていると、いっそ別のチームのファンになれたらどんなに楽かと思うが、なかなかそうもいかない。なぜなら、今まで応援してきた歴史があるし、今後見事な逆転劇が起こるかもしれないし、チームは不調でも、防御率や盗塁王など個人タイトルは狙えるかもしれない。

辛抱強く応援していたら、どこかで報われるかもしれないと一縷の望みを抱くからこそ、「なんでそこで代打を出すんだよ!?」「ピッチャー交代はここじゃないだろう?」などと舌打ちし、落胆しつつも、見守り続ける。

また、昔から通い続けている近所のなじみの店にも近い気がする。流行っているときもあれば、閑古鳥が鳴いているときもある。メディアなどで取り上げられ、注目度が上がり、観光客などがたくさん訪れるようになると、嬉しい一方で、近所のなじみの客は一時的に店に入れない状況になることもある。

いつ行っても客が全然いなくとも、自分にとってはそこの味が落ち着くし、好みだということもある。

朝ドラの長い歴史の中には、非常に優れた作品もあれば、行き当たりばったりの作品、記憶に残らない作品もある。それぞれ人によって、好みのものも、そうでないものもあるだろう。

それでも、好不調や好き嫌いに関わらず、(作品が)健やかなるときも病めるときも、晴れの日も雨の日も見守り、苦楽を共にしてきた「朝ドラをやめられない人々」には、どこか歴戦をくぐり抜けた同士のような感覚がある。

言ってみれば、妙に「付き合いの良い人たち」「諦めの悪い人たち」でもある「朝ドラ好き」の人々。なんとも難儀な人々なのだ。

  • 田幸和歌子

    1973年生まれ。出版社、広告制作会社勤務を経てフリーランスのライターに。週刊誌・月刊誌等で俳優などのインタビューを手掛けるほか、ドラマコラムを様々な媒体で執筆中。主な著書に、『大切なことはみんな朝ドラが教えてくれた』(太田出版)、『KinKiKids おわりなき道』『Hey!Say!JUMP 9つのトビラが開くとき』(ともにアールズ出版)など。

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