朝も昼も…22歳元女性自衛官が受けた「壮絶セクハラ」の闇 | FRIDAYデジタル

朝も昼も…22歳元女性自衛官が受けた「壮絶セクハラ」の闇

信じがたい性暴力に向き合う五ノ井里奈さんが語ったこと

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6月下旬、YouTubeに2本の動画が上がった。「セクハラ告白 自衛隊を退職に追い込まれた女性」「隊員15人に囲まれ強引に……」と、衝撃的なタイトルがつけられている。若く真面目そうな女性が、言葉を選びながら慎重に話すその様子が、彼女の苦悩と、語られた内容の信憑性を浮き彫りにしていた。凄まじい性暴力に向き合う彼女に話を聞いた。

憧れて入った自衛隊で、自身が受けた性暴力について語る五ノ井里奈さん。凄まじい内容だが、彼女の口調は終始冷静だった…  撮影:足立百合

朝でも昼でもセクハラが行われていた

五ノ井(ごのい)里奈さん(22歳)が、陸上自衛隊に入隊したのは2020年4月。5歳から始めた柔道を極めたかったこと、自身が被災者となった東日本大震災のとき支援してくれた女性自衛官への憧れから、大学を中退して受験、合格した。

半年間の研修期間を経て、東北方面の中隊に配属が決定したとき、「あの中隊はセクハラがひどいらしい」という噂を耳にしたのだという。だが初めての配属を拒否などできるはずもない。

着任すると早速、新入隊員の彼女に対する「セクハラ」が始まる。

「廊下を歩いていていきなり抱きつかれたり、勤務中に柔道の技をかけてやると言われて腰をつかまれ、『バック』のような体勢にされて腰を振られたり。周りに人がいてもおかまいなしでした」

新入の女性隊員への性暴力は「夜、酒の席」だけではなかった。朝でも昼でも、急に身体を触られたり、言葉の暴力や、いきなり「俺のをしゃぶって」と言われるなど、さまざまな信じがたいセクハラがあった。

性行為のポーズをキメて喘ぎ始めた先輩隊員

ついに我慢の限界を超えたのが、昨年8月のことだった。

「遠方で1か月にわたる訓練があったんです。夜は食事をしながら宴会状態になる。私は下っ端なので、食事の準備をしていました。そうしたら『食事はいいから接待して』と言われて宴会の輪に加わったんです。そこで一曹のEさんが急に格闘技の『首をキメて倒す』という話を始めて『五ノ井にやってみろ』と言い出した。するとふだんからムードメーカー的な役割のS三曹が、私の首に両手を当てて倒してきた。そこからSさんが暴走して、私の脚を無理矢理こじ開け、馬乗りになって下半身を密着させて腰を振り、ひとりで喘(あえ)ぎだしたんです。周りの人も笑っていました。E一曹とY二曹は確実に笑っていた。嫌だったし恥ずかしかったです。けど、やはり逆らえなかった」

この時点で彼女は、自衛隊で1年強の経験があり「上の言うことに逆らってはいけない、下っ端がその場の雰囲気を悪くしてはいけない」という意識が染みついていたのだろう。Sは30歳前後の「先輩」隊員。新米の彼女から見たら、部隊の全員が「上」の立場なのだ。

2人目3人目も力ずくで

その異様な状況は、Sの暴走だけではすまなかった。続いてやはりアラサーの隊員・Kが同じように首をキメて倒し、身体に乗って腰を振った。さらに3人目のAは彼女の両手首をつかんで押さえつけながら、同じように何度も腰を振った。

「手首に力を込めて抵抗しましたけど、男性の力にはかないません。Aは、私の身体から下りると『五ノ井って、あんがい力強いな』と言いました。抵抗しているのはわかっていたはずです」

そこで、その場はいったんおさまった。が、しばらくしてまた、E一曹が格闘技の話をし始めた。「さっきの首をキメるやつ、どうやるんだっけ」そう言われるとSがまた出てきて、同じことを繰り返した。

「私、顔が引きつっているのが自分でもわかりました。その行為が終わるとSさんは、こそっと『誰にも言わないでね』と言ったんです。誰にも言わないでと言っても、周りでは多くの隊員が見ていました。さすがにこのときは笑っていない人もいました。恥ずかしいだけではなく、職場でみんなに笑いものにされ、身体が汚されたと思った。その後は、怒りとか屈辱とかいうよりは『無』の気持ちでした。虚しかった、何もかもが」

もうここにはいられない、ここにいたら身体も心も汚れていく。そう感じた彼女は、先輩の女性隊員に相談し、中隊長に「帰りたい」と訴えた。訓練地から帰るなど、許されるはずもないことを知っての上だ。頭と身体と心が、「限界だ」と彼女を突き動かしたのだろう。

「相談した先輩女性は応援してくれていたのですが、中隊長が『訓練は訓練だからね』と言うと、『そうだよ』と手のひら返し。それでも帰りたいと泣いて訴えたため、セクハラが原因ではなく、闘病中の母親の具合がよくないということにして帰宅することになりました。先輩女性は『ウソをついたことは心に留めておいてね』と言ってきました。最初は味方をしてくれるようなことを言っていたのに、いざとなると全然違った」

組織では、誰もが保身を考えるのだろうか。実際に見たことまで、見ていなかったことになってしまうのだろうか。内部告発をしたら自分の居場所がなくなるような組織なのだろうか。憧れて入った自衛隊は、思っていたのとはかけ離れた世界だった。

小4のとき、大震災があった

五ノ井さんは1999年、宮城県東松島市に兄2人の末っ子として生まれた。大好きな柔道を始めたのは5歳のころ。

「当時、母がガンを患っていて、『私がいなくなっても強く生きてほしい』と、何か武道をやらせようと思ったようです。母が剣道をやっていたので、剣道の道場へ行ったけど、私はあまり興味を示さなかったみたいで。兄2人と一緒に柔道場へ見学に行って、これをやると言ったそうです。私はほとんど覚えていないんですが」

ちなみに彼女のお母さんは手術をして病を乗り越え、今もご健在だ。

2011年、小学校4年生のとき、宮城県東松島市で東日本大震災の被害にあった。

「あの日、学校にいました。父も母もそれぞれの職場にいて、兄2人は中学、高校にいた。家族はバラバラでした。私は小学校の体育館でフットサルをやっていて、いきなり地鳴りが響いてドーンと揺れた。というか放り出されたような感じでしたね。その数日前に震度5くらいの地震があったけど、そのときとは桁違いだった。最初は校庭に逃げたんですが、津波が来るかもしれないということでみんなで校舎の2階に避難しました。そのあたりの記憶がはっきりしていなくて。怖かったかどうかもよく覚えていないです。ただ、家で飼っている犬が心配だった」

大きな地震の後すぐ、親や祖父母が学校に迎えにきた子もいた。だがその数十分後に津波が襲来、保護者の迎えで学校から出た子どもの何人かが、帰宅の途中で車ごと飲み込まれた。学校の2階に避難した子らは、「水を一口とお菓子のかけら」を食べて、夜を過ごした。

五ノ井さんの母親は隣の石巻市で働いていたため、この日、迎えに来ることができなかった。「津波が来るから」と、現地の消防士たちに止められたという。

「その間、近所の人が学校に来てくれて、『あなたの家の犬を助けようとしたけど玄関が開かなかった』と。犬が2匹いたんです。数日前に地震があったとき家族で、犬のケージを2階に上げようかと相談したんですが。翌日、水が引いたあと、学校から歩いて2分くらいの自宅にひとりで戻ってみました。犬は2匹とも、浸水した1階のケージのなかで亡くなってました。ケージを2階に上げていたらと思わずにはいられなかった。泣きながらまた学校に戻ったのを覚えています」

五ノ井さんは静かに目を伏せた。

ガソリンの匂い、真っ黒な津波、トイレがあふれる臭気などにも、耐えるしかなかった。年端もいかない少女にとって、あの震災がどれほど深い傷となっているのかは想像を超えるはずだ。

小1のころ、愛犬「ちゃちゃ」と寝ている五ノ井さん。震災で多くの写真が流れ、残った大切な1枚

避難所での自衛官との出会い

ようやく母親に会えたのは1週間くらいあとだった。母が迎えに来て、臨時の避難所になっていた母の職場へと向かった。そこで家族が合流して数日過ごし、その後、地域の公民館で3か月間、生活したという。

「そこに北海道の自衛隊が救援に来てくれていたんです。それまでも地元の基地でブルーインパルスが飛ぶお祭があったりはしたけど、自衛隊員に直接触れたのは初めてでした。

女性隊員がお風呂を作ってくれて、風呂上がりに腕相撲をしてくれた。強かったですね。かっこいい、いつか絶対勝ちたいと思いました。その人が『柔道、続けてね』と言ってくれたのがうれしかった。自衛官への憧れが芽生えました」

避難所からバスで学校にも通うようになった。1年ほどたって、避難所からアパートに入居できた。彼女が6年生のとき両親が離婚。以来、母がひとりで子ども3人を育てあげた。

「中学に入ると、家計を助けるために新聞配達をして、学校の部活で柔道、道場にも通って、柔道漬けの日々でした。でも楽しかった」

震災前に住んでいた自宅では、父が子どもたちのために和室を改造して柔道部屋にしてくれた。父自らも柔道を始め、努力して黒帯までいったという。母は「気合いが入りすぎて、柔道をしたことがないのにあれこれ指図して子どもたちに気を遣わせていた」と笑う。そんな「家族がいた家」がなくなり、家族の形も変わった。彼女は柔道に全力を注ぐしかなかったのかもしれない。

「中学では1年生のときに県大会の個人戦で優勝、2年生では団体戦で勝って全国大会へ行きました。3年生のときも個人戦で優勝しました」

多くの高校からスカウトされ、私立高校に入学して寮生活が始まった。柔道の指導者にも先輩にも恵まれたが、柔道部の同級生とどうしてもソリが合わない。同級生と話し合い、「みんなで一緒にがんばっていこう」と結束を固めたはずなのに、翌日からまた無視された。

「私がよけいなことを言ったのかと謝ったんですが、それでも無視。無視がいちばんきついですよね。私は弱いところがあるので、ボス的な人に強くあたられると何も言えなくなってしまって」

心は閉じていった。結局、高校を中退し、半年ほど自宅にひきこもった。どうして言い返せなかったのかと自分を責めた。そんなとき、テレビで柔道の熱血先生を見た。この先生のところなら自分も強くなれるかもしれない。母に頼んで電話をしてもらった。

「関西のその高校に入って高校2年からやり直しました。全国大会でベスト16まで行ったんですが、膝を痛めて敗退。悔しかったですね。でも明らかに自分が精神的にも強くなれたと思ったし、その先生に救われたと思っています」

中学生の頃、憧れの選手と。柔道が大好き。今も練習は欠かしていない

当時はお笑いも大好きだった。イモトアヤコや出川哲朗のように「おもしろい人になりたい」と思っていた。大阪でオーディションを受けて、TikTokの人気者と共演したこともある。それでもやはり彼女にとって、柔道は特別なものだった。

山口県の大学から誘いを受けて入学。ここでも柔道一直線でがんばっていたが、誘ってくれた監督が辞めてしまい、柔道部がサークルと化した。そこで思い出したのが、女性自衛官への憧れの気持ちだった。

「自衛隊の中には柔道部があって、その先、体育学校に行く道もある。オリンピックに出たいという幼い頃の夢がよみがえってきました。人のために働きたい、そして柔道を極めたいと思って、自衛隊を受験したんです」

2020年の4月に入隊、6か月の研修期間を経て、彼女は「野戦特科」という中隊に配属された。大きな大砲を扱う部隊である。

そうして、憧れて入った自衛隊だが、配属された部隊ではセクハラが日常的だった。8月の決定的な事件の2か月ほど前にも、彼女は訓練中の夜の宴会で、複数の隊員からもみくちゃにされ、胸を触られたり頬にキスされたりした。この件は、部隊内で問題にもなっていた。

 

<自衛隊の中で、壮絶なセクハラ被害に遭った彼女がどうしても許せなかったのは…。【後編】「複数の隊員からもみくちゃにされて…22歳の女性自衛官が見た地獄」に続く>

自衛官の仕事に憧れて入隊、教育期間中の五ノ井さん。この頃はハラスメントもなく意欲に燃えていたという
仕事にはやりがいを感じていた。「辞めたくはなかった」という
  • 取材・文亀山早苗撮影足立百合

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