お化け屋敷プロデューサー五味弘文が語る 一番怖かったお化け屋敷
東京ドームシティ「怨霊座敷」が大人気 30年にわたり「怖さ」を追求し続けた男 恐怖を楽しませる空間作り
真っ暗な闇の中、足に何かが触れ、ヒュッと息をのむ……。
「ギャー! やっぱり出た!」
叫びながら走り出てくる客はみな息切れしているが、なぜか笑顔だ。
この夏に5年目を迎える東京ドームシティの人気お化け屋敷「怨霊座敷」(おんりょうざしき)。手掛けたのは100件以上のお化け屋敷をプロデュースしてきた五味弘文(ごみひろふみ)氏(65)だ。’92年にはじめて後楽園ゆうえんち(当時)の「麿赤兒(まろあかじ)のパノラマ怪奇館」を手掛け、それ以来、全国でお化け屋敷をプロデュース。この30年間で彼のお化け屋敷を体験した客は600万人にも上る。元々、演劇に携わっていた五味氏は、お化け屋敷と演劇の違いをこう分析する。
「怖がっている自分と、『どうせ偽物だから怖くない』と思っている自分、その二つを行き来するのがお化け屋敷の楽しさです。現実の自分を忘れて没入感を楽しむ演劇や映画とは根本的に違いますね」
赤ん坊の人形を出口まで運んだり、女性の顔に白粉(おしろい)をはたいたり、客が能動的に動くことを要求されるのが彼のお化け屋敷の特徴だ。恐怖を生み出す際のこだわりも聞いた。
「お化け屋敷の中でミッションをクリアしようとすると、本来距離をとりたい怖いものと距離をとれなくなる。このストレスが楽しさにつながるのです」
役割を与えられ、「逃げられない」という気持ちになることで楽しみつつも恐怖感が増すのだ。さらに「空間」そのものにも、仕掛けをしているという。
「意図的にたんすや棚などを壁から離して配置すると、壁との間に暗闇が生まれます。そこでお客さんは『ここから何か出てくるかも』と想像するのです」
五味氏がお化け屋敷にかかわって30年。お化け屋敷業界全体にはどんな変化があったのか。
「大きく二つの変化がありましたね。まず’11年くらいから、遊園地のアトラクションの一つではなく、お化け屋敷単体で営業するという形態が増えました」
ところが、お化け屋敷には、ビジネスとして大きな問題があったという。
「とにかくお金がかかるんですよ。常設のお化け屋敷だと諸々含めると3億円から4億円かかる。どうにかリーズナブルに作れないかと工夫し、’15年あたりから敷地面積は抑えつつ、謎解きの要素を組み合わせるお化け屋敷も増えました」
最後に、30年にもわたり、「怖さ」を追求し続けてきた男が「最も恐怖を感じた」お化け屋敷を問うた。
「京都・東映太秦(うずまさ)映画村のお化け屋敷ですね。江戸時代が舞台なのですが、おそらく普通のお化け屋敷の1.2倍くらい広く作ってある。そうすることで、暗くて何も見えない場所ができるのです。それがすごく怖かった。あの闇の深さはなかなか作り出せませんね」
VRお化け屋敷など、新しい見せ方が生み出されているが、恐怖を生み出す原点は今も昔も変わらないのだ。
この夏、お化け屋敷のトップランナーの世界観を味わってみてはいかが!?
五味弘文:お化け屋敷プロデューサー
1957年長野県生まれ。
立教大学在学中に演劇を始め、アルバイトとしてイベントの運営に携わる。
1992年にダンサーが出演するお化け屋敷「麿赤兒のパノラマ怪奇館」を手掛け驚異的な動員を記録。
2015年には『情熱大陸』に出演。 代表作に、 幽霊の髪の毛を梳かして進む『恐怖の黒髪屋敷』、 『楳図かずおのお化け屋敷』など。著書多数


『FRIDAY』2022年8月19・26日号より
PHOTO:濱﨑慎治