『ちむどんどん』も…? 「酷評される朝ドラ」共通する5つの法則 | FRIDAYデジタル

『ちむどんどん』も…? 「酷評される朝ドラ」共通する5つの法則

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果たして次の朝ドラ『舞いあがれ!』は…

「ちむどんどん反省会」のタグが盛り上がり続けたNHK連続テレビ小説『ちむどんどん』。しかし、朝ドラにはSNSが浸透する以前からネット掲示板などで酷評される作品も数多く、それが視聴率と一致していないケースは多々あった。

もちろん『おしん』(1983年度)のように、視聴率も評価も高い作品もある。しかし、「低視聴率」とばかり報じられた2000年代後半の作品には『カムカムエヴリバディ 』(2022年度上半期)の藤本有紀脚本の前作で熱狂的ファンの多い『ちりとてちん』(2007年度下半期)や、16年ぶりのBS再放送で高く評価された『芋たこなんきん』(2006年度下半期)があったように、メディアの報じる「好調」「苦戦」の多くが、いかに数字ばかりで内容を見ていないものだったかがわかる。

そこで、ここでは「数字」ではなく、評価が芳しくなかった朝ドラの共通点を挙げてみたい。

NHK公式HPより
NHK公式HPより

1_「ヒロイン至上主義」ゆえの「ご都合主義」

実在のモデルがいる作品かオリジナル作品かを問わず、朝ドラの多くはヒロインの半生や一代記を描くために、ヒロイン至上主義の物語になりがちだ。そのため、脇役はヒロインを輝かせるための駒として配置され、脇役が巻き込まれるトラブルの数々は「ヒロインの明るさ、元気さ、素直さで全て解決」するための材料に過ぎない。

これは、複数の朝ドラ関係者から聞いたことのある「朝ドラ10箇条」的なルールのひとつ「できるだけすべてのシーンにヒロインを登場させる」に則って作られるせいもあるだろう。ヒロインを真ん中に置き、次々にトラブルを持ち込む人として脇役を配置するから、他の登場人物のキャラクターがブレまくり、多重人格になるのもありがちなパターンだ。

2_脚本家が取り上げる「職業」「モチーフ」に興味を持っていない

「ヒロインのやりたいことが見えない」「仕事へのリスペクトが感じられない」「仕事舐めすぎ」という批判は、これまでも散々繰り返されてきた。

朝ドラでは、様々なモチーフや職業が描かれる。それが脚本家の書きたいものであれば良いが、なかには『ちむどんどん』の「沖縄本土復帰50年」など、テーマありきで進む作品もあり、そうした場合は内容が薄い作品になりがちだ。ヒロインが職を転々とすることは昔から多いが、近年では『ちむどんどん』の料理人(沖縄料理、イタリア料理)+教師+ボクシング(一瞬)+養豚業+民謡歌手や、『カムカムエヴリバディ 』のラジオ英語講座+和菓子+ジャズ+時代劇(+職業ではないが、野球)、『なつぞら』(2019年度上半期)のアニメ+和菓子など、描かれる仕事が複数にわたる作品も多数ある。

そんな中、『ちむどんどん』のように、「NHKドラマ・ガイド 連続テレビ小説ちむどんどん Part.1」の座談会で脚本家の羽原大介氏が「ここで白状しますと、僕たちおじさん3人(脚本家と制作統括、チーフ演出)は料理の知識が全くないんです」と公言してしまっている作品もあれば、『なつぞら』のように脚本家が「ホームドラマ」が描きたい一方で、アニメに対する関心があまりなさそうだった作品、『おかえりモネ』のように「震災からの復興を非当事者目線で描く」ことが重要で、気象の話は薄くなるような作品もあった。

その点、要素だらけの『カムカムエヴリバディ 』の場合、斜陽の時代劇は、『平清盛』『ちかえもん』に通ずるモチーフだ。また、ラジオに至っては、『ちりとてちん』の遠藤理史チーフプロデューサー×藤本有紀脚本タッグによる『ミニモニ。でブレーメンの音楽隊』(2004年)ですでに『ちりとてちん』モチーフの落語と共に登場している。思えば20年近くもの長年にわたって強い関心、なんなら執着と言って良いほどの思いを脚本家が抱き続けてきたテーマの集大成なのだから、作品全体に並々ならぬ愛情が感じられるのも当然なのだ。

3_書きたいことが物理的に少ない

朝ドラはとにかく圧倒的に物量が多い。そのため、最初に大まかな年表を作り、どのくらいの放送時期にどんなことが起こるかを決めて進めていくケースが多い。しかし、書きたいことが脚本家もしくはチーフプロデューサーの伝えたいメッセージやセリフからスタートする場合、どうしても半年分の尺を持て余す悲劇に。

しかも、週単位で物語を作ることが多いため、1週ごっそり省いても困らないエピソードだらけになりがちだ。必然的に内容が薄くなる、人物が生きていない、その土地の温度や匂いが感じられない、唐突なゲストキャラが次々に登場しては2度と思い出されもしないといった事態に陥りがちだ。

その一方で、意味不明な妙なキャラやサブストーリーが生まれることがあるのは、朝ドラならではの珍妙な味わいでもある。

また、朝ドラは複数の演出家が週単位で担当するため、物量が多いことを最大限に生かし、演出家の様々な挑戦・実験の場になることも多い。全体はまとまりなく、何を描いているのかわからない作品においても、週単位で斬新な演出・映像が登場する作品がときどきあるのは、作画が安定しなかった昔のアニメにも近い印象だ。

4_恋愛過多になる

1や2、3とも関連するが、職業の描写が薄く、ヒロインのやりたいことも薄く、同じ展開を何度も繰り返すような作品の場合、隙間を埋める要素がたいてい「恋愛」になる。

そのため、誰にでも好かれるヒロインモテモテパターンがまず一つ。あるいは、誰も彼もが恋愛していないといけない世界の住人になり、順番に恋愛がらみの騒動が起きて、順番に「片付く」構成になりがち。なかには、誰も何の愛着も持っていない、よく知らないゲストキャラの恋愛が唐突に描かれ、そのキューピッド的役割をヒロインが果たすケースもある。

恋愛過多になりがちなのは、隙間を埋める目的の他に、作り手側が「朝ドラ=女性視聴者=恋バナが好き」という先入観を抱き続けているためというケースもある。

恋愛の描写が多いのであれば、いっそのこと『澪つくし』(1985年度上半期)のように恋愛をど真ん中に据え、人間の業や愛憎など生々しい感情も含めて逃げずに描いてくれるほうが、むしろ清々しい気もする。

朝ドラ『舞いあがれ!』は2022年10月3日(月)放送スタート!(NHK公式HPより)
朝ドラ『舞いあがれ!』は2022年10月3日(月)放送スタート!(NHK公式HPより)

5_実在のモデルがいるからこその停滞感 

オリジナル作品は破綻しがち、実在のモデルがいる作品のほうが面白いという人もいる。

しかし、その実、モデルがいることが、ストーリーの支えになる一方、実在のモデルの関係団体等との間で様々な忖度が入り、「忠実に描く部分」「スルーする部分」の塩梅にモヤモヤすることも多数。

また、大きな流れや結末・出口が決まっていることで、そのつなぎとして意味のない水増しや牛歩をしがち。

ちなみに、酷評される作品の場合、主演や脚本家ばかりが叩かれがちだが、うまくかみ合っていない原因には、脚本家の「作家性」が尊重されておらず、書きたいものを書いていないこと、チーフプロデューサー&チーフ演出と脚本家の相性が悪い、もしくはコミュニケーションが不足していることなどがありがちだ。そのため、脚本家やチーフプロデューサー、チーフ演出などの過去作などを調べてみると、その原因の所在がうっすら見えてきて、「ああ……だからこうなったのか」と腑に落ちることも多い。

ただし、朝ドラの見方も、視聴者が望むものもいろいろで、クオリティの高さを追求するばかりでは、今日まで続くコンテンツにはならなかったはず。はたして次の朝ドラ『舞いあがれ!』はどんな作品になるのか。楽しみに見守りたいと思う。

  • 田幸和歌子

    1973年生まれ。出版社、広告制作会社勤務を経てフリーランスのライターに。週刊誌・月刊誌等で俳優などのインタビューを手掛けるほか、ドラマコラムを様々な媒体で執筆中。主な著書に、『大切なことはみんな朝ドラが教えてくれた』(太田出版)、『KinKiKids おわりなき道』『Hey!Say!JUMP 9つのトビラが開くとき』(ともにアールズ出版)など。

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