故郷が激戦地になった女子大生ら…ウクライナ「戦禍で生きる人々」
フォトルポルタージュ 、 空襲警報下でバーを再開したマスター、 外出禁止令を破っての深夜の音楽会、 軍支援リボンを巻いたホームレス……
ウクライナを初めて訪れたのは、まだ肌寒さが残る今年5月末だった。隣国ポーランドのワルシャワから15時間、バスに揺られ、首都キーウへ。ロシア軍が侵攻を開始して3ヵ月が過ぎ、車内は避難先から戻る人々で一杯だった。
賑わいが戻りつつあった首都を拠点に、近隣のブチャとイルピンへ。6月からはさらに東へ460㎞ほど進み、ハルキウを訪ねた。激しいミサイル攻撃を受けて多くの住民が避難しており、首都に比べて人通りは半分以下だった。8月末までに100人程を取材し、その表情の険しさに驚かされた。
ウクライナはソ連が崩壊するまで独自の国家を持たなかった。中世以降の歴史をみても、モンゴルやロシア帝国、オーストリア、ナチス・ドイツなど、様々な「帝国」によって国土を蹂躙(じゅうりん)され、長く忍従を強いられてきた。ホームレスまでもがウクライナ軍の勝利を祈願するリボンを手首につけているのを見て、「戦争に負けたら国家がなくなってしまう。逃げはしない。戦ってロシアに勝つんだ」という悲壮な決意を感じた。
戦時下のこの国には様々な”顔”があった。地元住民のために店をいち早く再開させたバーのマスター、外出禁止令下の住宅街でストリートセッションする若者たち……。表情は険しくとも、街角にはささやかな営みが息づいていた。どれだけロシア軍が街を破壊しても、心まで破壊することは出来ない。「人間は戦争よりずっと大きい」。所々に戦禍の爪痕が残る街で私はそうつぶやいた。
『FRIDAY』2022年11月25日号より
- 撮影・文:川嶋久人