「恋愛はしていました(笑)」…元CoCo 宮前真樹が振り返る「忙しすぎて記憶が飛んだあの日々」 | FRIDAYデジタル

「恋愛はしていました(笑)」…元CoCo 宮前真樹が振り返る「忙しすぎて記憶が飛んだあの日々」

スペシャルインタビュー いまだから話せるアイドルとして活躍した輝かしい日々の舞台裏 「下校30分後には仕事! 忙しすぎて、中森明菜ちゃんと共演した記憶も飛んでます」

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オンエアしない『スター誕生!』『CoCo』と『ribbon』の分離独立
恋と公衆電話 「とりあえず解散しよっか」
料理研究家への転身が生んだ「出会い」

「午後3時に高校が終わったら、30分後には新宿駅南口に集合。停まっている車に順番に乗り込んで、そこからテレビ、ラジオ、取材……それが深夜まで続く。土日はロケや撮影。もう忙しすぎて何が何だかわからなかった。YouTubeで当時の映像を見ると発見の連続ですよ。初めて見る感覚で『こんな番組に出演してたんだぁ』ってまるで他人事。あるときなんか(中森)明菜ちゃんと一緒にクイズに答えていたりして『明菜ちゃんが横にいる! 何で憶えてないのよ、もったいない!』みたいな(笑)」

紆余曲折を経て料理研究家に。「落ち込むことがあったら、『大変でしたが、今となってはいい経験です』って、お風呂で″一人優勝インタビュー″をして昇華させています(笑)」
紆余曲折を経て料理研究家に。「落ち込むことがあったら、『大変でしたが、今となってはいい経験です』って、お風呂で″一人優勝インタビュー″をして昇華させています(笑)」

’89年にデビューした人気アイドルグループ『CoCo』の宮前真樹(49)は、物心ついた頃からアイドルに憧れていた。

初めて買ったレコードは松田聖子の『白いパラソル』。ただ、竹下通りでスカウトされることはあっても、具体的に行動を起こすことはなかった。

「自信がなくて……。当時、『おニャン子クラブ』が大人気で『人数が多いから、ここなら入れるかも!? 高校生になったらおニャン子に入ろう』って思っていたんですけど、中3のときに『夕やけニャンニャン』(フジテレビ系)が終わって、グループも解散。『あーあ』と(笑)」

回転寿司屋でバイトすべく履歴書を書いていた高1のある土曜日の午後、テレビから流れる告知が運命を変えた。

「『乙女塾という新しいグループを作ります』って……ちょうど履歴書を書いていたので、遠足のときの写真を貼って、そのまま送りました。そしたらすぐ返事が来て『合格。2次審査に来て下さい』。でも、いざ行ってみたら最寄り駅の曙橋から、河田町のフジテレビの社屋まで長蛇の列。全員が1次審査の合格者で圧倒されましたね。

フジテレビの入り口にカメラ小僧がいて、目星を付けた子に『写真撮らせて』って声をかけていたんですけど、私はスルー……写真を撮られている子の後ろを黙って通り過ぎました(笑)」

しかし、結果は意外な方向に転がる。「声が小さい」「何しに来たの?」とダメ出しされながらも、8つの審査を通過。気が付けば最終選考に残っていた。

「一緒に審査を通過していったのが、その後、『ribbon』のメンバーになる松野有里巳ちゃん。″こういう子が受かるんだろうな″って思っていたら、私も合格で二人で大騒ぎ。審査の最中『声が小さい』って言われていたのに、最後の最後で『うるさい!』って怒られて(笑)」

’89年4月スタートの新番組『パラダイスGoGo‼』(フジ系)の番組内ユニットとして結成された乙女塾では毎週、シビアな生存競争が繰り広げられていた。

「月~金の夕方の帯番組だったけど、週末に必ずレッスンがあって、翌週の出演者が決まる。今まで番組に出ていた子が出られなくなるなんてザラ。オンエアしない『スター誕生!』を定期的にやっていました(笑)。

スタジオにセットを組んで、MCは河野景子さんとか局のアナウンサー。客席にプロダクションの関係者が座る。舞台に一人ずつ出て行って、一曲歌って自己PR。さすがに札は上げないけど、スカウトされた子は残るし、されなかったら番組からもいなくなる」

過酷な日々を生き抜き、乙女塾から分離独立したのが『CoCo』と『ribbon』だった。

「まず『フジテレビ夏のイメージキャンペーン』に塾生8名が選ばれたんです。そこから、後に『ribbon』のメンバーになるヒロちゃん(永作博美)とアミちゃん(松野有里巳)を除く6人が番組スタッフに呼ばれて『あなたたちは今日からグループね』って。これが『CoCo』の原型。どういう基準で選ばれたのかは、今もわかりません」

学校からNGが出た子が辞め、残った5人で活動がスタートした。

「何に感激したかって、子供の頃から見ていたテレビ番組に出られたこと。例えば『夜のヒットスタジオ』(フジ系)。当時は古舘(伊知郎)さんと加賀まりこさんが司会で、歌う直前に『あんたたち挨拶がなかった』って加賀さんにダメ出しされたんです。本番中ですよ?(笑)。と言うのも、どのタイミングで挨拶に行けばいいかわからなかったんです……」

では歌っていただきましょう! 『CoCo』で『はんぶん不思議』――古舘がそう言った直後、衝撃が走った。

「加賀さんが『全部不思議よ!』って被せたんです。今思えば完全にフリなんですけど、私たちは″ああ、干される……″って落ち込んでいたから、当時の映像を見ると全員顔が引きつっています(笑)」

2枚目のシングル『はんぶん不思議』でブレイクすると、その後も『夏の友達/思い出がいっぱい』(オリコン3位)など、出す曲いずれもチャート入りした。

「恋愛は……していましたね(笑)。同じ業界の人です。ただ、携帯電話のない時代なので手紙のやりとり、交換日記ぐらいのもの。フジテレビの食堂の前に公衆電話が並んでいて『右から2番目の公衆電話の下に手紙を入れとくね』みたいな。収録が終わって、手紙がなくなっているのを確認して……掃除のおばさんに捨てられた可能性もあるんだけど」

カメラを直視できなくなった

その後、メンバーのソロ活動が盛んになり、’92年には瀬能あづさが卒業と、グループは過渡期を迎える。

「楽曲も売れていたし、メンバー間がギクシャクしていたわけでもなかったんですけど、当時は『成人式をすぎたらアイドルとしては……』って時代。一番年下の(大野)幹代が20歳になった段階で話し合って『とりあえず解散しよっか』って、意外と簡単に決めた気がします(笑)。みんな『キャンディーズ』みたいに″惜しまれながら解散したい″っていう願望があったから″解散コンサートがしたい″のが第一希望。実際にやれて満足感はありました。幸せなアイドル活動でした」

解散後のソロ活動は順調だった。レギュラー番組も続いて、ライブも好評。

だが、次第に歯車が狂っていく。

「’90年代後半くらいから、毒舌を売りにするようなバラエティが増えて、言いたくもない悪口を言わなきゃならなくなった。それがストレスになって″じゃあ女優はどうだろう″って思ったんだけど、現場に行くとめちゃくちゃ緊張しちゃって……。そのうち、何をしていいかわからなくなって、カメラを直視できなくなった。″いよいよ、つらい″ってなったのが、30歳になった頃でしたね」

彼女を救ったのが料理だった。「いつか料理の仕事をしたい」とアイドル時代から漠然と抱いていた目標に、芸能界引退を機に取り組むようになる。フランスの名門料理学校『ル・コルドン・ブルー』の門を叩き、食育インストラクターなど、食に関する資格を多数、取得した。

「学校に通うようになって、そこでの出会いが大きかった。本物のプロの世界でした。一緒に学ぶ人もみんな親切。″趣味じゃなくて、本格的にやろう″って思うようになって、私自身も変わりました」

思わぬ再会もあった。

「青山でオーガニックレストランをやっていたときにアミちゃんが遊びに来て、『隣のお店に写真家の萩庭桂太さんがいるよ』って言ったんです。『CoCo』も『ribbon』も撮影していただいたことがあって、それが最初の再会。それから何年かして、サラダ屋さんのプロデュースをするときに、PRのためにFacebookを片っ端からフォローしていたら、関連の人として現れた。『新しいことを始める人を取材しているのだけど、出ませんか』ってメッセージが来て、2度目の再会。そこから……大きく端折って結婚まで至った感じですね(笑)」

料理研究家として地歩を固めつつある宮前真樹にとって乙女塾、そして『CoCo』の日々とは何だったのだろう。

「凄いことをやらせてもらっていたなあって。ヒロちゃんみたいに女優として活躍している人は誇らしい。『ヒロちゃんが出ているから観る』じゃなくて『ヒロちゃんが出ているドラマは面白いから観る』ですから。(三浦)理恵子には随分助けてもらいました。芸能界から離れた頃、凄く節約していたので、理恵子から洋服をもらったり、ご飯を奢ってもらったり。だって、理恵子が今も活躍してくれているから『CoCo』の名前は残っているんです。凄く感謝しています」

芸能界とはもう関わらないつもりだったが、昨今の「昭和レトロブーム」は頑なだった彼女をも飲み込んだ。理論的な解説が好評を博し、オファーが急増する。

「こないだも早稲田祭に呼ばれて、『昭和のアイドル』って紹介されたんですけど、『CoCo』は平成デビューですから(笑)。でも、有り難いです。学生さんにとって母親くらいの年齢だもの。実は今回、アイドル時代にお世話になった人から『CD出そう!』って勧められて、悩んだ末に受けることにしました。こんな機会は二度とないかもしれない。1月15日にはライブまでやってしまう(笑)。芸能界を引退した頃は、こんなことが起こるなんて想像もしていませんでした」

30年ぶりの新曲をひっさげて、『CoCo』メンバーが表舞台に帰ってくる。

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FRIDAY20221223日号より

  • 取材・文細田昌志
  • PHOTO小松寛之(1枚目、5枚目)

細田 昌志

ノンフィクション作家

ノンフィクション作家。1971年生まれ。近著『沢村忠に真空を飛ばせた男/昭和のプロモーター・野口修評伝』(新潮社)が第43回講談社本田靖春ノンフィクション賞を受賞。昨年末には『力道山未亡人』が第30回小学館ノンフィクション大賞を受賞。

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