’75年、三重県生まれ。『日本を捨てた男たち フィリピンに生きる「困窮邦人」』で第９回開高健ノンフィクション賞を受賞。最新刊は『ルポ　国際ロマンス詐欺』。ウクライナ戦争など世界各地で取材活動を行う

水谷 竹秀

向日葵(ひまわり)が描かれたテキストとタブレットを机に並べ、ウクライナの避難民14人が、先生の説明に耳を傾けている。生徒の中で一際目立っているのが、髪を真っ赤に染めた81歳のガリーナさんだ。
<figure id="attachment_297249" aria-describedby="caption-attachment-297249" style="width: 2500px" class="wp-caption alignnone"><a href="#" data-ident_hash="b0310a01"><img src="https://res.cloudinary.com/fridaydigital/image/private/t_article_image/wpmedia/2023/02/dd2f1c002563e5f3e1cc14f44ff20873.jpg" alt=""></a><figcaption id="caption-attachment-297249" class="wp-caption-text">ガリーナさん</figcaption></figure>
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「できます」「できません」
覚えたての日本語を口にし、はにかんだ。２月11日、愛知県名古屋市にあるビルの一室では、日本語教室が開かれていた。
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ちょうど１年前、母国ウクライナの首都キーウで一人暮らしをしていたガリーナさんは、ロシアの軍事侵攻から約２週間後、北部チェルニヒウ州の親戚宅を訪れた。
「そこはロシア軍からの砲撃が激しく、地下の貯蔵庫に隠れたり、また自宅に戻ったりと大変で、恐ろしかった」
日本に住む娘の助言で避難を決めた。キーウの自宅には寄らず、バスで隣国ポーランドの首都ワルシャワへ向かい、３月半ばに来日した。避難生活は、娘が住む名古屋市内で始まった。
「最初は娘の家に住んでいましたが、２回ほど階段から落ちそうになったので一人暮らしを始めました」
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現在は市内の市営住宅に暮らす。自炊や洗濯は昔からやっているためお手の物だ。とはいえ81歳のおばあちゃんが、言葉も文化も全く違う社会に突如として放り込まれ、不安に陥らないのだろうか。ガリーナさんはあっけらかんと言う。
「困ったことは特にないですね。娘が家に頻繁に立ち寄り、イチゴやサーモンなどの食材を買ってきてくれます。買い物にも一緒に行きます。一人でいる時は公園で散歩したり、自宅で映画を観たり。日本語教室も通っていますが、覚えるのが大変ですね」
一度だけ「迷子」になったことがある。娘たちとレストランに行った夜の帰り道、「ここからは大丈夫ね」と自宅近くで車を下ろされた。ところが市営住宅の自分の棟を見つけられず、オロオロしているうちに警察の世話になったという。
「説明しようとしても伝わらなくて、娘婿に電話で伝えてもらってなんとか帰れました。日本は人が優しくて、常にお祭り気分のように楽しいです。でもやっぱりウクライナが平和になったら帰りたい」
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<h2>身元保証人と男女の仲に</h2>
日本が昨年３月、ウクライナからの避難民受け入れを開始してからこれまでに２２９１人（２月８日現在）が来日した。このうち女性は４人に３人の割合だ。61歳以上は300人いるが、ガリーナさんは「最年長クラス」に属するだろう。高齢者の場合、日本で面倒を見てくれる身元保証人は親族が多いとみられるが、避難民の中には、その保証人が見ず知らずの「他人」であるケースが少なくない。
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愛知県安城市の県営住宅に夫と娘３人の一家５人で暮らすオレーナさん（42）は、東部ハルキウ州の出身だ。ロシアの軍事侵攻が始まる２日前に不穏な動きを察してポーランドへ避難した。しかし、侵攻前の入国だったために同国の支援対象にはならなかった。夫のワレリーさん（45）が内装の仕事に就くも、生活は厳しかった。そこで英国への避難を考えていたところ、ＳＮＳである日本人女性と知り合った。
「彼女から日本への避難を勧められたのです。でも日本語がわからないので、全く考えていませんでした。でもその彼女が、住環境も含めた支援内容を何度も説明してくれ、迷った末に決めました」
オレーナさん一家は昨年６月半ばに来日し、その日本人女性が身元保証人になった。自身の避難生活が地元のテレビで紹介されると、支援の輪が広がった。その縁で、ネイリストの仕事を得られた。
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「ウクライナでもネイルの仕事は少しやっていました。今は週に２日働き、お客さんとはポケトークで会話していますね」
オレーナさんは週５日も日本語学習の教室に通う頑張り屋だ。ワレリーさんも内装の職を得て、週に３日働く。娘３人は小学校に通う日々。次女が牛乳アレルギーを抱えているため、体調が急変して救急車を呼ぶのに戸惑うなど、日本での生活にはまだまだ言葉の壁が立ちはだかる。それでもオレーナさんは常に前向きだ。
「周りの日本人たちにも助けられ、ウクライナでの生活よりは経済的に豊かで、子育てもしやすくなりました。戦争が終わらない限りは日本に留まり続けます」
出入国在留管理庁によると、来日した避難民２２９１人のうち、これまでに107人が出国した。その中には、身元保証人とのトラブルが原因だった者もいる。
昨年４月上旬に来日したアナスタシアさん（仮名、30代）は、少しだけ面識があった日本人男性（50代）が身元保証人だった。男性はある大学の准教授で、ウクライナ避難民を支援する基金の中心人物。その男性が住む一軒家で、２人だけの生活が始まり、やがて男女の仲に。
「でも彼は、自分は先生だから真面目に振る舞わなきゃいけないと、人前では私との交際を隠していました」
避難先は地方の山間部だったため、外出時には車が必要で、行動の自由が制限された。男性を通じたメディアからの度重なる取材も断れず、居心地が悪くなった。
「ある日、彼のスマホをのぞくと、別の女性と交換していたメッセージにキスマークがついていたんです。それで喧嘩を繰り返すようになって……」
アナスタシアさんは８月半ばにウクライナへ戻った。現在はドイツに住み、避難生活を再建中だ。
「日本での過去を考えると、ネガティブな気持ちになり、自分の甘さを責めてしまいます。ですが今はドイツでとても自由で落ち着いた暮らしができています」
保証人の当たり外れによって左右される日本での避難生活。ロシアの軍事侵攻から１年が経った今も、異国における彼女たちのドラマは続いている。
<figure id="attachment_297244" aria-describedby="caption-attachment-297244" style="width: 2500px" class="wp-caption alignnone"><a href="#" data-ident_hash="32023170"><img src="https://res.cloudinary.com/fridaydigital/image/private/t_article_image/wpmedia/2023/02/d395c1fccf78d503041c57326ea97e11.jpg" alt=""></a><figcaption id="caption-attachment-297244" class="wp-caption-text">「すごく良い先生に習っています」というガリーナさんだが、高齢のためかなかなか日本語が覚えられないようだ</figcaption></figure>
<figure id="attachment_297245" aria-describedby="caption-attachment-297245" style="width: 2500px" class="wp-caption alignnone"><a href="#" data-ident_hash="407ac23c"><img src="https://res.cloudinary.com/fridaydigital/image/private/t_article_image/wpmedia/2023/02/c4b45e978a5859fbb4224f23ba88490b.jpg" alt=""></a><figcaption id="caption-attachment-297245" class="wp-caption-text">日本語教室での授業風景。先生は日本語で教えているため、在日歴の長いウクライナ人による補足説明が入る</figcaption></figure>
<figure id="attachment_297248" aria-describedby="caption-attachment-297248" style="width: 2500px" class="wp-caption alignnone"><a href="#" data-ident_hash="725c1332"><img src="https://res.cloudinary.com/fridaydigital/image/private/t_article_image/wpmedia/2023/02/8450e9fb9fb1587d76d7de12cc1ca54d.jpg" alt=""></a><figcaption id="caption-attachment-297248" class="wp-caption-text">オレーナさん一家。次女アルビナさん（11）の好物は餃子。長女オレクサンドラさん（12）は今春小学校を卒業予定</figcaption></figure>
<figure id="attachment_297246" aria-describedby="caption-attachment-297246" style="width: 2500px" class="wp-caption alignnone"><a href="#" data-ident_hash="21fdd2eb"><img src="https://res.cloudinary.com/fridaydigital/image/private/t_article_image/wpmedia/2023/02/857f84ec91a626f370577dbfea7f513c.jpg" alt=""></a><figcaption id="caption-attachment-297246" class="wp-caption-text">名古屋市内でネイリストとして働くオレーナさん。「ポケトークの翻訳はデタラメな時があるので大変」と笑う</figcaption></figure>
<figure id="attachment_297247" aria-describedby="caption-attachment-297247" style="width: 2500px" class="wp-caption alignnone"><a href="#" data-ident_hash="ec30c67c"><img src="https://res.cloudinary.com/fridaydigital/image/private/t_article_image/wpmedia/2023/02/cb26edb171d5a5d7dfc8edfee98a878a.jpg" alt=""></a><figcaption id="caption-attachment-297247" class="wp-caption-text">オレーナさんが暮らす県営住宅の壁に貼られた、日本語の「学習表」。家族みんなで英語も同時に勉強中だという</figcaption></figure>
<figure id="attachment_297250" aria-describedby="caption-attachment-297250" style="width: 2500px" class="wp-caption alignnone"><a href="#" data-ident_hash="b2e9800e"><img src="https://res.cloudinary.com/fridaydigital/image/private/t_article_image/wpmedia/2023/02/307b8f32cdb1e6a2f437a34c2a14d83f.jpg" alt=""></a><figcaption id="caption-attachment-297250" class="wp-caption-text">ロシアによる軍事侵攻から半年が経った昨年８月24日、渋谷駅前では避難民たちが平和を願う集会を開いた</figcaption></figure>
『FRIDAY』2023年3月3・10日号より

（ノンフィクションライター）

水谷竹秀

突然のロシア軍事侵攻から、戦禍を逃れた"ウクライナ避難民"。日本での本当の生活とは…！本誌が密着すると、それぞれのドラマが――。１年が経った今も、異国における彼女たちのドラマは続いている…。

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