「台本ペラッペラ」「ハプニングだらけ」懺悔の神様・ブッチー武者が語る「ひょうきん族」の舞台ウラ
’81年~’89年までフジテレビで放送され、ビートたけし、明石家さんまなど錚々たるお笑いのスターたちが活躍した伝説のお笑い番組『オレたちひょうきん族』。その人気コーナーの1つが『ひょうきん懺悔室』だ。
その週にNGを出した出演者(時にはスタッフや関係者)が〝神様〟に罪を懺悔し、○か×かの判定をしてもらう。×であれば、水をぶっかけられ、○ならば無罪放免という内容だった。この〝神様〟を全期間つとめていたのが、ブッチー武者こと武者博和(70)だ。現在は歌舞伎町でスナック『女無BAR』を経営し、劇団ZANGEの代表をつとめる武者が当時を振り返る。
「コントアッパー8っていうコンビを組んでお笑いスター誕生に出ていた時に、制作会社の人から『ひょうきん族から武者にオファーがあるんだけど』って言われたんです。
それでひょうきん族のディレクターを訪ねて行くと、『今度新しいコーナーをやるんだけど、人が失敗した時に○とか×を出すのを、できるだけ表情豊かにやってもらいたいんだよね。だからちょっと練習しといて』とだけ言って、いなくなっちゃって。それで1人で楽屋の鏡で練習していました。しばらくしたらまた戻ってきたから成果を見せたら『おー、そんなもんでいいよ』とあっさりOK。それで神様の格好をして、言われたとおりにやったのが最初でした」
当初はその日だけの仕事だった。
だが評判が良かったため、2回目もやることになり、3回目ぐらいからは「1ヵ月間だけ水曜日は抑えてくれる?」と言われた。それがどんどん伸びて、気がついたら7年もやることになったという。〝神様〟の仕事は『ひょうきん族』の録りがある毎週水曜日。稽古が始まる朝8時から長い時は夜中の27時までという過酷なスケジュールだった。
「いつNGが出るかわからないから、ずっと待機しているんです。NGが出ると、僕は下にタイヤがついた懺悔部屋のセットごと出て行くんです。だから、もうとにかくずっといなきゃいけないんですよ。
後でわかったんですけど、どうして僕だったかっていうと、暇な芸人だったから。朝8時から夜までずっといられる人。それでややデブでギャラが安い人。 それを後で言われると辛いよね。僕だから選ばれたんじゃなかったんだってがっかりしました」
“誰でもよかった”はずの神様だが、実は懺悔に対してジャッジを下すという重責をになっていた。○か×かを決めるのはディレクターの指示でもなんでもなく、基本的にはすべて武者がその場で判断していたという。
「×を出された人からクレームがくるようなことはなかったです。やっぱりコーナーの視聴率が良かったから、みんな出られて嬉しいんですよ。でも○か×かで迷うことはめちゃくちゃありましたよ。ジャーン、ジャーンって音楽がなっている間で考えなきゃいけない。
一番迷ったのは天地真理さんでしたね。僕らにとっては超アイドルだったから、僕の前でひざまずいていてること自体がもう奇跡なぐらいですから。それを何秒かの間に考えるんですよ。でも、いくら天地真理とはいえ、 私的な感情に負けちゃいかんと思って、バツを出しました。で、バツ出したら意外と気持ちよかったです(笑)」
当時、制作のトップだった日枝久・フジサンケイグループ会長が水をかぶったこともあった。そんな忖度のなさも人気の原因だったのだろう、懺悔のコーナーは当時20%以上の視聴率だった『ひょうきん族』の中でも瞬間最高視聴率を記録することがたびたびあった。
「それは、ちょうどドリフがエンディングの時間で、チャンネル変えるとちょうど僕のコーナーだったから。そこでバーンと視聴率が跳ね上がるんですよ。僕にとってはラッキーでした。ひょうきん族自体は26~27%だったと思うけど、懺悔のコーナーは30%近くいっていました」
当時大人気だった『ひょうきん族』の面白さについて、武者はハプニングだと語る。
「神様も慣れてくると、タレントさんが面白くて、ついつい笑ったりしちゃうんです。でもカットがかかることはないです。『ひょうきん族』はそういう偶然が面白いっていうことでやってましたから。普通、1時間番組はバラエティーでも台本の厚さが2、3センチはあるんです。
でもひょうきん族の台本はペラッペラ(笑) 。薄いんですよ。タレントさんにお任せですから。だって構成作家よりもタレントさんたちのほうが面白いんですもん。『ひょうきん族』は偶然起きたハプニングの集大成ですね。
アダモちゃん(島崎敏郎)の『ペイっ!』というギャグだって、とりあえずその格好で出てこいって言われて、偶然に生まれたもの。つまんなけりゃおろされちゃう場合もあるから、 必死ですって。
でも必死だからおかしいんだよね。『ひょうきん族』は全部そんな感じでタレントまかせでした。だけど、そのぶんタレントに自由が利くってこともあった。今はね、束縛されてつまんなくなってますよね、まとまっちゃって。昔は無茶苦茶でした」
『ひょうきん族』で過ごした日々の中でも武者の記憶に残っているビートたけしとのエピソードについては【後編・懺悔の神様・ブッチー武者が忘れられない”たけし軍団への勧誘”とたけしの言葉】をお読みいただきたい。
プロフィール:ブッチー武者(武者博和)
1952年長野県生まれ。「お笑いオンステージ」(NHK)のオーディションに合格、レオナルド熊氏に師事し、お笑いの道へ。劇団ZANGE、BMCエンタープライズ代表。舞台『生きる』は9月3日、上尾市文化センターにて
取材協力:N.Kナーツ