野田昇吾 西武ライオンズから戦力外となったピッチャーがボートレースで初勝利を挙げるまで | FRIDAYデジタル

野田昇吾 西武ライオンズから戦力外となったピッチャーがボートレースで初勝利を挙げるまで

球団を5年でクビ、18㎏の大減量をして養成所へ。過酷な日々を支えた「妻の言葉」 「プロ野球よりツラかった……」

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本番のレースを控えたボートが並ぶピット。この場に一歩足を踏み入れるだけで水の揺れを感じ、緊張感が漂う
本番のレースを控えたボートが並ぶピット。この場に一歩足を踏み入れるだけで水の揺れを感じ、緊張感が漂う

「プロ野球の1勝とは全然違いますね」

西武の中継ぎ左腕投手からボートレーサーという異例の転身を遂げた野田昇吾(30)。この7月にデビュー101戦目にして待望の初勝利を飾った異色のレーサーの表情は、意外にも硬かった。

「1500勝や2000勝している選手がたくさんいる世界なので。たかが1勝で喜んでいてはダメだと思います」

プロ野球では200勝すると超一流の証となる「名球会」入りの資格が得られるが、ボートレースは桁が一つ違うというのだ。

野田は’15年ドラフト3位で西武に入団すると、5年間で144試合に登板し通算4勝1セーブ26ホールドをマーク。’18年には58試合に登板してリーグ優勝に貢献。侍ジャパンに選ばれたこともあるが、肩を痛めて’20年に戦力外通告を受けた。

「まだまだ自分の身体を使ってプロスポーツ選手として勝負したくて、戦力外通告を受けた次の日にはもうボートレーサーになろうと考え始めていました」

ボートレースとの出会いは西武1年目。先輩の浅村栄斗(ひでと)(32・現楽天)に誘われて行ったボートレース多摩川でレースの迫力に魅了された。

レーサーを目指す上で味方したのは当時投手で球界最小の167㎝という背丈。ボートレーサー養成所の試験は「身長175㎝以下」が応募条件の一つだからだ。ただし「体重57㎏以下」という基準もあったため、18㎏もの大減量を迫られた。

約半年間、一日1食の生活を送った。しかも食べられるのは、サラダか豆腐かナッツのみ。朝が早い養成所生活に備え、朝5時からスーパーマーケットでアルバイトを始めた。昼から毎日10㎞走り、サウナで汗をかいて一時、52㎏まで落とし、見事試験に一発合格したのだが――吉報は地獄の始まりでもあった。

養成所は6人部屋で毎朝6時のブザー音で起床。3分以内に布団やシーツを畳み、10分後には中庭へ集合。男子は冬でも乾布摩擦を行う。ここから夜10時の消灯まで分単位で行動が決められていた。

「急激に体重を落としたので、維持するのが大変でした。モーターボート競走法など覚えることも多く、最初の1ヵ月は『もう無理かも』と感じていた。人生で一番、苦しい日々でした」

ボートの訓練で落水した後に、水中で目の前を猛スピードのボートが通過。「死んだ」と思った瞬間は何度もある。脱落者が相次ぎ、同期52人で卒業できたのは25人だった。

「『帰りたい』が口癖で、どこかで挫折してもおかしくなかった」

折れそうな心を支えてくれたのが、西武を戦力外になった’20年に結婚した、妻で声優の佳村はるかさん(37)だった。

「ボートレーサーを目指すとき、妻を説得するのに1ヵ月かかりました。彼女はボート関係の仕事もしていたので危険が伴うことも知っていて……。結婚前、僕が肩に不安があって『野球選手としての寿命はそんなに長くないかも』と打ち明けたとき、彼女は『大丈夫。2~3年ぐらいなら私が養ってあげる』と言ってくれた。あの言葉が心の支えでした」

昨年11月にプロデビュー。プロ野球選手からの転身は史上2人目となった。ただ、ボートレースで求められるものは「一番はプロペラの調整力、二番はメンタル」と複雑だ。ボートの最高速度を持続できるよう水面の状況や気温、湿度、気圧に応じてプロペラを調える。70歳のレーサーが活躍する世界だ。

「野球は小さい頃から自信があったけど、ボートが自分に向いているのかは、まだわからないですね……」

プロ野球時代に最高3000万円だった年俸は大幅ダウン。ボートレースの一般戦で賞金が出るのは3着までだが、最下位の6着でも一日あたり約2万円の日当が発生するため、生活は何とかできる。ただ、4年目以降は2年間の成績が平均4着に入らないと実質クビになるため、この3年間で腕を磨かなければ最短で5年目終了後に出走できなくなる。そのため、2勝目が遠い歯がゆさのほうが強い。

「プロ野球みたいに1年目から新人王を獲れるような場所ではない。勝負できるきっかけをつかむまでやり込むしかない」

体重50㎏台を維持するため1日1食を続けている。「家族を少しでも楽させられるように」――。プロ野球以上に過酷な世界で成り上がるべく、野田は必死に戦い続ける。

西武時代は体重75㎏。LかMだった服のサイズはSまでサイズダウン。「スーツはすべてダメになりました」
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レース中の接触でボートの一部が破損したため、代替ボートにモーターを装着。ドライバーの扱いにも慣れた
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本誌未掲載カット 野田昇吾・ボートレーサー 西武ライオンズから戦力外となったピッチャーがボートレースで初勝利を挙げるまで
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『FRIDAY』2023年9月29日号より

  • 取材・文中島大輔
  • PHOTO小松寛之

中島 大輔

スポーツライター

1979年、埼玉県生まれ。スポーツノンフィクション作家。プロからアマチュアまで野球界全般を取材している。著書『中南米野球はなぜ強いのか』(亜紀書房)でミズノスポーツライター賞優秀賞を受賞。他に『野球消滅』(新潮新書)、『プロ野球 FA宣言の闇』(亜紀書房)、『山本由伸 常識を変える投球術』(新潮新書)など。

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