日ハム・宮西尚生 中継ぎで世界記録を作った「ど根性野球」
スペシャルインタビュー
「スポーツニュースで中継ぎ投手がクローズアップされるのは、抑えた場面ではなく打たれたケースがほとんど。抑えて当たり前だし、打たれれば目立つ。正直しんどいこともありますが、弱音を吐きたくありません。調子が悪かろうが相手が誰であろうが、『行け』と言われればすぐに肩を作り結果を出すだけです」
こう語るのは、日本ハムファイターズの中継ぎエース宮西尚生(33)だ。
昨季までのプロ通算11年で、入団以来毎年50試合以上の登板を記録。先発のマウンドには一度も立ったことがなく、これまでに積み上げたホールド数は309(5月28日現在)。世界記録の数字だ。
「ボクは速球が特別速いわけでも、変化球のキレがいいわけでもありません。球種もストレートとスライダーぐらいしかない。それでも抑えられるのは、一球一球リリースポイントやヒジの位置などを数㎜単位で変え、微妙に変化させているからです。普通は決まったフォームで投げないとケガをしますが、ボクのヒジは医者が驚くほど伸縮性が高いんですよ。負けん気も、人よりかなり強いと思います。根性で投げているんです」
負けん気の強さは子どもの頃からだ。エースだった市立尼崎高校(兵庫県)時代には、こんなエピソードがある。
「3年時の最後の県大会で、38度5分の熱を出してしまったんです。相手は強豪の報徳学園。ただ、戦う前にギブアップしたくなかった。監督にも高熱のことは言わず、試合前に病院へ行き点滴を打ってマウンドに上がりました。結果は8回を投げ7失点と散々なデキでしたが」
関西学院大学に進んだ宮西は、’07年に大学生・社会人3巡目(当時は高校生との分割ドラフト)で日ハムに入団。だが大場翔太(元ソフトバンク)や加藤幹典(元ヤクルト)ら、宮西と同じ大学日本代表に選ばれた同期生は全員1巡目の指名だった。
気持ちが切れて「登板拒否」
「悔しかったですね。『絶対に同期を見返してやる』という気持ちでした。与えられたのは左のワンポイントという役割。中継ぎで投げるのは初めての経験でしたが、とにかく必死でした」
気持ちとは裏腹に、なかなか結果が残せない。1年目の成績は防御率4.37。救援に失敗し負け数も4つを数えた。象徴的だったのが、シーズン49試合目の登板となった楽天戦。3分の2回を投げ5失点と打ち込まれたのだ。
「もう感情を抑えきれず、降板後は『クソッ!』と怒鳴りロッカーの床に帽子を叩きつけてしまった。情けなくて、明け方まで眠れませんでした。それから10日以上登板なし。シーズン残り3試合となったロッテ戦で、ようやく『宮西、行くぞ』と声をかけられました。
しかし、あろうことかボクは『いや、いいっすよ』と登板を拒否したんです。気持ちが切れていたんですね。その時、厚澤(和幸)投手コーチが優しく諭してくれました。『この試合はオマエの野球人生で大きな意味を持つ。行っとけよ』と。ボクは9回2死から打者1人だけを抑えました。
この登板はシーズン50試合を投げさせようという、首脳陣の親心だったんです。ありがた味が身に染みました……。あの試合がなかったら、今のボクはいない。以後は、どんなことがあってもマウンドに上がろうと心に決めたんです」
’15年は、宮西の気持ちの真価が問われるシーズンとなった。オープン戦前の練習中に、左ヒジを故障したのだ。
「『バキバキバキ』と、自分でもヒジが壊れる音が聞こえました。すぐに病院に行くと、軟骨が剥(は)がれ遊離していた。医者からは、『すぐに手術が必要』と言われました。ただ栗山(英樹)監督は、ボクを『欠かせない存在』と信頼してくれています。『それなら意地でも1年間投げ切ったる』と、痛み止めの注射を打ちながら登板し続けました。手術を受けたのは、シーズン終了後の10月のことです」
気持ちが前面に出る宮西には、登板前のルーティンがある。
「何も考えず、トイレに5分間ぐらいこもるんです。冷静にならないと、相手打者の攻略法も考えつきませんから。打たれても、以前のように帽子を叩きつけるようなことはありません。ボクもベテランの域に達し、若手のお手本にならないといけないでしょう。気持ちは熱く、頭はクールな状態なのがベストです」
宮西の目標は前人未到の400ホールド。そして元中日の岩瀬仁紀が達成した、15年連続50試合以上の登板だ。
『FRIDAY』2019年6月7日号より
- 撮影:黒瀬ミチオ