秋田児童連続殺人事件 娘を殺害した犯人「職場での悪評」 | FRIDAYデジタル

秋田児童連続殺人事件 娘を殺害した犯人「職場での悪評」

平成を振り返る ノンフィクションライター・小野一光「凶悪事件」の現場から 第15回

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2006年に秋田県藤里町で発生した児童連続殺人事件では、被害者の一人の母親が逮捕され、現地では激しい取材合戦が繰り広げられた。前回は報道陣ともめる犯人の様子を『「娘を殺害した母親の素顔」が見えた瞬間』と題してレポート。当時、『FRIDAY』は彼女が働いていた温泉地やラウンジを取材。そこでの「悪評」から見える犯人の素顔にさらに迫る

取材中のカメラマンに対し「フイルム出せ。写真撮るなって言ってるだろうが……」と迫る場面もあった
取材中のカメラマンに対し「フイルム出せ。写真撮るなって言ってるだろうが……」と迫る場面もあった

2006年6月4日に逮捕された「秋田児童連続殺人事件」の畠山鈴香(逮捕時33)。彼女の実家前に集まった報道陣に対する”絶叫”が世間の関心を集め、通常では逮捕後にはいったん沈静化する報道合戦も、長く続くことになった。

そうしたなか、取材の対象は鈴香の過去へと向けられた。彼女が小学生時代に同級生から受けたイジメや、中学生の頃に父親(故人)から受けた家庭内暴力、さらには高校時代の盗癖などが次々と炙り出されていく。

高校卒業後に栃木県日光市の観光ホテルに仲居として勤めた鈴香は、1年8カ月後に仕事を辞めて能代市に戻ってくる。そしてその約1年後には、栃木県日光市の温泉にある置屋(取材時は廃業)に住み込みで働いていたこともわかった。

『FRIDAY』は現地での取材も敢行し、当時の雇い主から話を聞いている。

「電話帳で見たといってうちに電話してきて、働きたいというので面接しました。初めて会ったときの印象は背が高く、見てくれも悪くない。でも、果たして座敷に出して役に立つかどうか心配でしたよ。なにせ、まるで愛想がないんです。なんだかボーッとしてるし、やる気がまったく感じられなかった」

面接のときの服装は黒いTシャツに黒いズボン。持ってきたボストンバッグも黒で、全身黒づくめだった。店で見習いとして働くことになったが、辞めるまでのあいだ、ずっと同じ黒づくめの服で通していたという。

「バッグの中には替えの下着が1着あるだけ。パジャマも持ってきてなかったんです。こっちで服を買うそぶりもなかったし、仕事で着物を着るとき以外はずっと同じ服。洗濯しているところも誰も見たことがなかった」

その雇い主は嘆息する。案の定、客からの評判もよくなかったようだ。

「座敷でもほとんど喋らず、ブスッと押し黙っていたみたいですからね。あの子だけじゃ、絶対に座が持たない。お膳の片付けも、いわなきゃやらないし、とにかく気が回らない子でしたよ」

結局、鈴香はこの置屋をわずか2週間で辞めることになる。

「クビにしたようなもんです。というのも、彼女はいつも薬品の匂いをプンプンさせていて、前からなにかおかしいと思っていたんです。それで彼女と同じ地元の同僚に聞くと『鈴香はシンナーを吸っている』と話すんです。前から別の子も『鈴香はいつもシンナー臭い』と言っていたから、不審に思っていたんですよ。彼女を問い詰めたら、『吸ってない』と否定したけど、うちの信用問題にかかわるから、すぐに彼女の親に電話して、引き取るように頼みました」

雇い主から連絡を受け、鈴香の父親と宇都宮に住む叔父が「きりたんぽ」を手土産に迎えにきたが、鈴香はその際に行方がわからなくなっていた。

「町中を探し回りましたよ。やっと見つけたと思ったら、別の置屋にいたんです。仁義もへったくれもない。こっちは心配してたのに、黙って行くなんてとんでもないヤツですよ」

鈴香が次に働いた置屋も取材したが、評判は最悪だった。当時を知る関係者は語る。

「どうしようもないウソつき女。だらしがないし、怠け者でした。座敷だって、しょっちゅうスッポカしてましたからね。腹が痛いとか頭が痛いとか、適当な理由をつけて、約束の1時間前にドタキャンするんです。それで休んで、男に会いに行ってるんですよ。あれには本当、参りました」

鈴香は置屋の近くにあるアパートを借りていたが、生活は乱れていたと関係者は語る。

「1回行ったことがあるんですが、アパートはゴミの山。いつもカップラーメンしか食べてないようで、その容器がゴミとして山積みになってるんです。片付けなんかはまったくしていなかった」

ここでの仕事も長続きすることはなかった。

「何カ月かして、『子供ができた』なんてウソをついて辞めました。思い返しても、本当にウソばかりついていた女でした」

こうした取材を重ねて鈴香の過去が浮かび上がってくるなか、私は彼女が能代市内のラウンジで働いていたときの写真を持つ男性と知り合い、現物を入手した。彼女が水商売をしていたとの噂はあったが、同業者の誰ひとりとして店を特定できていない時期のことだ。後日談となるが、その後も同時期の新たな写真が出ることはなく、男性から入手した1枚が、鈴香が水商売をしている姿を写した唯一のものとなった。

能代市内のラウンジで働いていた当時の畠山鈴香
能代市内のラウンジで働いていた当時の畠山鈴香

鈴香が当該のラウンジで働いていたのは、日光市の観光ホテルでの仕事を辞め、能代市に戻ってきていた約1年の間のこと。そしてその後、彼女が再び日光市へと舞い戻り、置屋で働いたというのは前述の通りだ。

知り合った男性によれば、ラウンジはすでに廃業しているとのことだった。そこで私はスナックでの聞き込みを続け、ママの住所を突きとめることができた。自宅で取材を受けてくれたママは言う。

「もともと彼女は、私が行きつけの××にある喫茶店で働いてたんです。いつもミニスカートでベレー帽を被っている姿でしたね。それで話をしたら、向こうからうちの店で働きたいと言ってきたんです。上背があるうえに、当時はスリムで足も長く、スタイルが良かったでしょ。それで見た目も悪くないから働いてもらうことにしたんです」

ただ、いざ働くという段階になって、彼女の悪い部分が露呈した。

「口の利き方や行儀がまるでなってなかったんで、危なくてお客さんの横につけることはできませんでした。だから彼女にはカウンターの中で、ボーイと一緒に飲み物を用意する仕事をしてもらいました」

鈴香が店に出るのは週に3日だったが、4~5回店に出たところで、彼女の父親から店に電話が入ったそうだ。

「いきなり、『娘が無理やり水商売をやらされた』と怒鳴られたんです。うちは無理強いなんかしていないのに、きっと彼女がそう説明したんでしょう。だったら来なくても構わないということを伝えました」

その日以来、鈴香は店を休んでいたそうだが、1カ月ほど経ったときに『父親とは話をつけました』と再び店にやってきたのである。

「ただ、店での態度は相変わらず悪くて、気が利かないことを注意すると、舌打ちするようなこともありました。それであるとき、他の店の関係者から、彼女が店のお客さんと寝ているという話が入ってくるようになったんです。それも相手は1人とかじゃなくて、10人近くいるとの話でした。さすがにこのままだと店の評判が落ちてしまうと考えて、辞めてもらったんです」

鈴香がラウンジで働いたのは、途中で来なかった1カ月を含めても3~4カ月間とのことだった。

だが、彼女がそれ以降も数多の問題を起こしていたことが、後の取材によって明らかになるのである。(以下次号)

  • 取材・文小野一光

    1966年生まれ。福岡県北九州市出身。雑誌編集者、雑誌記者を経てフリーライターに。アフガン内戦や東日本大震災、さまざまな事件現場で取材を行う。主な著書に『新版 家族喰い 尼崎連続変死事件の真相』(文春文庫)、『全告白 後妻業の女: 「近畿連続青酸死事件」筧千佐子が語ったこと』(小学館)、『人殺しの論理 凶悪殺人犯へのインタビュー』 (幻冬舎新書)、『連続殺人犯』(文春文庫)ほか

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