大阪ミナミ姉妹連続殺人事件 「快楽殺人犯」の異常すぎる犯行 | FRIDAYデジタル

大阪ミナミ姉妹連続殺人事件 「快楽殺人犯」の異常すぎる犯行

平成を振り返る ノンフィクションライター・小野一光「凶悪事件」の現場から 第22回

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大阪ミナミで発生した姉妹連続殺人事件。犯人は当時22歳の男性だった。この犯人は6年前に実母を殺害しており、警察の取り調べに対して「人を殺すのが楽しかった」と話し、世間を騒然とさせた。ノンフィクションライター小野一光氏が事件の背景に迫る。

2005年12月20日、送検時にも山地悠紀夫は薄笑いを浮かべていた
2005年12月20日、送検時にも山地悠紀夫は薄笑いを浮かべていた

大阪府大阪市のマンションで火災報知器の音が鳴り響いたのは、2005年11月17日の午前3時頃のこと。すぐに火元の4階の部屋に消防が駆け付け、消火活動が行われた。室内のソファとその周辺の火はすぐに消されたが、近くで血まみれになった2人の若い女性の遺体が発見された。

被害に遭ったのは同市内の飲食店に勤める上田涼子さん(仮名、死亡時27)と上田清香さん(仮名、死亡時19)の姉妹。ともに飲食店で働きながら、姉の涼子さんは友人とブライダル関係の会社を開業する準備をしており、妹の清香さんは看護専門学校への入学資金を貯めようとしていた。

事件から18日後の12月5日、大阪市内の路上で身柄を確保されたのは、住所不定・無職の山地悠紀夫(逮捕時22、09年7月に死刑執行)。その場で自分の名前を呼びかけてきた刑事に対し、彼は「完全黙秘します」と答えている。逮捕時の彼の所持金は2万数千円で、そのうち500円玉が40枚あり、これは被害者の姉妹の部屋にあった500円玉貯金箱から奪ったものだった。

逮捕後、建造物侵入は認めたものの、殺人については否認していた山地だったが、12月18日には殺人を認め、「人を殺すのが楽しかった」と快楽殺人を主張するようになり、送検される車内では、報道陣のカメラに向かって不敵な笑みを浮かべるなどして、世間を騒然とさせた。

じつはこの事件で逮捕される前に山地は2度逮捕されている。最初の犯行は2000年7月。16歳のときのことだ。彼は山口県山口市で実母(死亡時50)を金属バットで撲殺し、中等少年院送致の保護処分を受けた。同院を3年で退院した山地は、山口県内のパチンコ店勤務を経て、福岡県を本拠とするパチンコのゴト師グループに加入。05年3月に岡山県のパチンコ店で不正行為を実行しようとしたとして、窃盗未遂容疑で逮捕されたのである。

その後、元のゴト師グループに復帰した彼は、大阪での”仕事”に参加していたが、11月になってグループをクビになり逃走。それから間もなく今回の犯行に及んだのだった。山地は犯行動機について以下のように語っている。

「昔、母親を殺したときのことが楽しくて、忘れられなかったためです。それでもう一度人を殺してみようと思い、2人を殺しました。殺す相手は、この2人でなくても、誰でもよかったのです」

とはいえ、その犯行内容は酸鼻を極めるものであり、最初からこの姉妹を狙ったとしか思えないものだった。大阪府警担当記者は語っている。

「山地は最初から姉妹を狙っていたようです。事件前日の午前3時頃に姉妹の部屋の電気が点滅し、あとで調べると配電盤がいたずらされていた形跡がありました。また、事件の4時間前には、ベランダ側から姉妹の部屋へと侵入を試みた山地が、隣接するビル伝いに配管をよじ登ろうとする姿を、近隣住民が目撃しています」

事前にマンション内に侵入した山地は、階段の踊り場に身を潜め、姉妹の帰りを待った。そのうえで、午前2時過ぎに姉の涼子さんが帰宅してドアを開けると、背後から彼女を室内に突き飛ばしてドアを施錠。すぐにナイフで左頬を刺している。そして部屋の奥にまで引きずると、幾度もナイフで刺し続けながら性的暴行を加えたのだった。

そして山地が目的を遂げたあとで、運悪く妹の清香さんが帰ってきてしまう。玄関ドアを開錠する音に気付いた山地は死角に身を隠し、彼女が室内に入ると手で口を塞ぎ、いきなり胸にナイフを突き立てたのだった。そして姉と同じく彼女を部屋の奥まで引きずると、執拗にナイフで切りつけながら性的暴行を加えたのである。先の記者は続ける。

「いったんベランダに出て煙草を吸った山地は、室内に戻ると涼子さん、清香さんの順で心臓に深くナイフを突き立て、とどめを刺しています。そのうえで姉妹の所持品などを奪い、室内に火をつけて証拠隠滅を図ると、見つけたカードキーで玄関を施錠。階段で2階まで下りると、隣接するビルの敷地を伝って逃走したことが判明しています」

じつは姉妹が住むマンションは、山地がクビになったゴト師グループが、大阪でのアジトとして部屋を借りていたマンションでもあった。同グループを知る人物は語る。

「事件のあとで、彼らが共同生活をしていた部屋にも刑事が聞き込みにやって来ました。そこで『最近このあたりでよく見かける、身長170㎝くらいで天然パーマ、眼鏡をかけたリュック姿の男を知らないか』と聞かれ、それが山地の姿そのものだったため、ゴト師の元締めは『大変なことをしてくれた』と頭を抱えたそうです」

近隣住民にその姿を目撃されていたうえ、彼が同年3月に岡山県で窃盗未遂容疑で逮捕された際に採取された指紋と掌紋が、マンションの犯行現場から発見されたものと合致したことで、山地の名前はすぐに重要参考人として浮上した。

だが、これほどの重大事件を起こしながらも、山地は”高飛び”することなく、犯行現場からさほど離れていない場所に潜んでいた。前出の記者は逮捕に至る流れを説明する。

「山地は犯行後、コインランドリーで血まみれの服を洗い、その夜は現場から約200mしか離れていない公園で寝ています。その後も、『地元の新聞で一番詳しい捜査情報を知る』ために大阪から離れることはしませんでした。逮捕時も、現場からわずか1㎞ほど先の銭湯から黒いリュックを背負って出てきた段階で捜査員に尾行され、100円ショップに入って店の外に出てきたところで、犯行現場のマンションに隣接するビルへの建造物侵入容疑で逮捕されています」

06年5月1日、大阪地裁で開かれた初公判にグレーのスウェット上下の姿で出廷した山地は、罪状認否で「(起訴状で)読まれた事実は間違いありません」と、まるで他人事のように淡々とした表情で答えた。

この裁判において、検察側、弁護側はともに冒頭陳述で、今回の犯行に及ぶ前の00年7月に山地が実母を殺害した際、彼が強い興奮を覚えていたことに言及している。それは以下の通りだ。

〈被告人は、少年時に実母を殺害した際、激しい暴行を加えたことや、それによって同女が苦痛のなかで死んでいった姿に、かつてない激しい興奮と快感が得られたことを思い出し――〉(検察側冒頭陳述より)

〈被告人は平成12年7月29日、母親をバットで撲殺した。その際、被告人は、母親殺害行為に性的な興奮を覚え、射精した――〉(弁護側冒頭陳述より)

被害者やその親族にとってはあまりにも理不尽な山地による犯行。その源流を辿っていくと、彼が実母を殺害した山口市での生育環境に行き着くのである。

(以下続く)

  • 取材・文小野一光

    1966年生まれ。福岡県北九州市出身。雑誌編集者、雑誌記者を経てフリーライターに。アフガン内戦や東日本大震災、さまざまな事件現場で取材を行う。主な著書に『新版 家族喰い 尼崎連続変死事件の真相』(文春文庫)、『全告白 後妻業の女: 「近畿連続青酸死事件」筧千佐子が語ったこと』(小学館)、『人殺しの論理 凶悪殺人犯へのインタビュー』 (幻冬舎新書)、『連続殺人犯』(文春文庫)ほか

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