大阪ミナミ姉妹連続殺人事件 犯人が16歳で母親を撲殺した理由

平成を振り返る ノンフィクションライター・小野一光「凶悪事件」の現場から 第23回

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大阪ミナミで発生した姉妹連続殺人事件。「殺す相手は、誰でもよかったのです」と語った犯人は逮捕時22歳。実は、この事件の6年前、16歳の時には実母を撲殺していた。ノンフィクションライターの小野一光氏が、事件の背景に迫る。

大阪ミナミ姉妹連続殺人事件 前編はこちら

中学時代の犯人はイジメが原因で不登校を続けていた

2005年11月、大阪府大阪市のマンションで飲食店に勤める上田涼子さん(仮名、死亡時27)と上田清香さん(仮名、死亡時19)の姉妹を殺害した住所不定・無職の山地悠紀夫(逮捕時22、09年7月に死刑執行)。

山地は姉妹を殺害した犯行動機について、次のように語っている。

「昔、母親を殺したときのことが楽しくて、忘れられなかったためです。それでもう一度人を殺してみようと思い、2人を殺しました。殺す相手は、この2人でなくても、誰でもよかったのです」

彼はこの5年前の2000年7月、16歳のときに山口県山口市で実母の花江さん(仮名、死亡時50)を金属バットで撲殺し、中等少年院送致の保護処分を受けていた。

なぜ彼が母親の殺害に至ったのか。その流れを追う前に、山地自身についての説明が必要となる。彼は中等少年院に収容されている時期、精神科医との面接を重ね、広汎性発達障害の一種であるアスペルガー症候群である可能性が高いとの診断を下されている。これは先天的なもので、症状としては知的障害がなく、普通に話していると問題があるとは思えないが、共感性に乏しく、感情ではなく理論でしか状況を理解できないという傾向を持つ。そのため、相手がどう感じているかということを忖度できずに、一方的に自分の意思を伝えるなど、コミュニケーションに影響を及ぼしてしまうことが多い。

1983年に生まれた山地の家は裕福ではなかった。もともと大工だった父の昭二さん(仮名)は、体を壊してパチンコ店に勤め、それも長続きせずに辞めていて、酒浸りの生活を送っていた。家の生活費は花江さんがスーパーで働いて稼いでいたが、決して十分な収入ではなかった。

親子3人が住んでいたのは、山口市中心部にある6畳と4畳半のアパート。気の強い花江さんが、仕事をせずに酒を飲む昭二さんにきつい言葉を浴びせ、喧嘩になることもしばしばだった。近隣住民は言う。

「お父さんは酔って暴れると手がつけられんかった。ガラスを割ったり、箪笥をひっくり返したり。お母さんにも手を上げてました」

山地が小学5年生のときに、肝臓疾患を抱えていた昭二さんが自宅で血を吐き、搬送先の病院で死亡する。じつはその際の母や親族の態度に対して深い憎しみを抱いたと、山地は後の姉妹殺人事件の公判で口にしている。この公判を傍聴した記者は明かす。

「自宅で父親が吐血したのを見て、山地が母親の職場に電話したところ、『放っておきなさい』と言われたことが忘れられなかったようです。その夜、母親が救急車を呼びましたが、父親は死にました。その父親の通夜の席で母親が、『死んでせいせいした』と話していることを耳にして、父親の死は母親のせいだと思うようになったそうです」

この公判のなかで、山地は父親について「大切な人」と言い、一方の母親については「大切でない人」として、「はっきり言って、嫌いでした」と断言している。

この父の死をきっかけとして、山地は学校での問題行動が多くなり、自分よりも弱い者に難癖をつけて殴ったり、校舎の窓を割ったりするようになった。

やがて山地は地元の中学校に進学するが、2年の2学期からは登校をしなくなる。学校では周囲と合わせられない彼へのイジメが起きていて、同級生によって教室から締め出されるなどしたため、それに反発して行かなくなったのである。

また、この頃になると、山地家の経済的な困窮も表面化した。電気やガスがたびたび止められ、借金取りが自宅にやってくるようになったのである。そこで花江さんは、再婚によって生活を立て直そうと考えたようで、化粧が濃くなり、服装もだんだん派手になっていった。

中学を卒業した山地は、友人から誘われて新聞配達の仕事を始める。それは彼の性格に合っていたようで、熱心に働き、初めてみずから稼いだ給与を得るようになった。自由に遣えるカネを持つようになった山地は、家から近いAというおもちゃ屋に通うようになる。そこでトレーディングカードを使ったゲームを、小中学生相手に楽しんでいた。

やがて山地は、その店に新しく入った女性店員の遠山久美さん(仮名)に、密かな憧れを抱くようになる。彼女は当時16歳の山地よりも7歳上の23歳だった。

久美さんには付き合って5年になる交際相手がいたが、彼女はその男性との付き合いに迷いがあるような口ぶりで、年下の山地に期待を抱かせていた。そしてある日、久美さんは彼女に思いを告白した山地を一人暮らしの部屋に招き入れ、肉体関係を結んだのである。

この外泊で山地は新聞配達の仕事を休んでおり、心配した販売所の関係者が山地家を訪問した。家にいた花江さんも山地の行方がわからないため、心当たりがないかと関係者に尋ねたところ、そこで山地がよく口にしていた久美さんの名前を洩らしてしまう。息子の財布から時折、カネを抜き取っていた花江さんは、財布のなかにあった名刺でその名前に心当たりがあった。

外泊後、山地はますます久美さんへの思いを募らせたが、彼女は交際相手と彼を天秤にかけ、焦らし続けていた。そんな折、山地は久美さんから、彼女の携帯電話に何度か無言電話がかかってきたことを聞かされたのである。着信履歴から、すぐにそれは母の花江さんによるものだということがわかり、山地は母親が借金で自分を苦しめるだけでなく、恋路まで邪魔しようとしていると思い込む。

そしてその日の夜、花江さんが家に帰ってくると、山地はまず借金のことについて尋ねた。だが花江さんは「あんたには関係ない」と答えようとしない。キレた山地は、「彼女に無言電話したろう」と声を上げる。しかし、それに対しても「知らんわ」との言葉が返ってきた。それが引き金となった。

山地は花江さんの顔を拳で殴ると、首を持って隣の部屋に転がした。続けて顔や背中を蹴り、近くにあった金属バットを手にすると、足や胸や腹に向けて振りおろす。さらに、執拗に顔や腹を踏みつけ続けたのだった。彼が一連の暴力行為の最中に興奮を覚え、射精していたことが後の裁判で明らかになっている。

そして我に返ったときには、目の前に血だらけで息絶えた母親の姿があった。

翌朝、山地は普段通りに新聞配達の仕事に出かけた。その後、Aに行ってカードゲームで遊び、休憩中の久美さんを誘って喫茶店でランチを食べると、店を出て彼女に2000円のポーチを買ってプレゼントしている。

夕方、自宅に戻った山地は母親の死体を毛布でくるみ、首のあたりと足首のあたりを紐で結ぶと玄関の土間に運んだ。そのうえで翌日の未明に電話で110番し、母親を殺したことを告げたのだった。

山地が中等少年院を仮退院したのは、この事件から3年3カ月後の、03年10月中旬のこと。続いて3~4カ月の保護観察期間があり、04年の前半には本退院となった。それから2年も経たないうちに、姉妹殺害という凶悪犯罪に手を染めてしまったのである。

小学校卒業時の文集。父親は小5の時に亡くなり、母親とは不仲だった
  • 取材・文小野一光

    1966年生まれ。福岡県北九州市出身。雑誌編集者、雑誌記者を経てフリーライターに。アフガン内戦や東日本大震災、さまざまな事件現場で取材を行う。主な著書に『新版 家族喰い 尼崎連続変死事件の真相』(文春文庫)、『全告白 後妻業の女: 「近畿連続青酸死事件」筧千佐子が語ったこと』(小学館)、『人殺しの論理 凶悪殺人犯へのインタビュー』 (幻冬舎新書)、『連続殺人犯』(文春文庫)ほか

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