壮絶半生 レスラー長与千種“1億円の借金と深夜のボコられ事件” | FRIDAYデジタル

壮絶半生 レスラー長与千種“1億円の借金と深夜のボコられ事件”

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来年デビュー40周年を迎える長与千種。得意技はランニングスリー、スーパ―フリーク、2段蹴りなど。タイトルはWWWA世界シングル王座など多数
来年デビュー40周年を迎える長与千種。得意技はランニングスリー、スーパ―フリーク、2段蹴りなど。タイトルはWWWA世界シングル王座など多数

「身体はボロボロですよ。ただ、ファンの声援があるからやめられない。貴重な時間を削って観にきてもらっている以上、お客さんには楽しんでもらいたいですからね」

こう語るのは、女子プロレス界のレジェンド長与千種だ。12月8日、長与は55回目の誕生日を迎えた。’05年に引退を宣言したが、機会があれば今でもリングにあがる。バースデーに後楽園ホールで行われたイベントでも2試合に参戦。迫力あるパフォーマンスで観客を魅了した。

‘80年に15歳でデビューして以来、長与は40年近く第一線で戦い続けてきた。ライオネス飛鳥と’84年に結成した「クラッシュ・ギャルズ」は、中高生を中心に一大ブームに。だが人気の裏で、長与の歩んだ道は苦難の連続だった。知られざる彼女の半生を振り返る――。

12月8日の誕生日に行われたイベントでは愛弟子・彩羽匠と壮絶な試合を演じた
12月8日の誕生日に行われたイベントでは愛弟子・彩羽匠と壮絶な試合を演じた

「突然、災難が降ってきたのは私が小学生の時です。父親が借金を背負い込んだんですよ。友人の保証人になっていたんですが、その人がトンズラ。1億円近い負債を抱え、親戚の家を転々とする日々です。親戚には毎月数万円渡していたんですが、『少ないおカネしかくれないのによく食べるね』などと嫌味を言われてね。家にいるのが気まずくて……。迷惑にならないよう、常に周囲に気を遣っていました」

幼い頃は喘息ぎみで、身体が弱かったという長与。当初プロレスには、まったく興味がなかったという。転機は中学生の時におとずれる。

「たまたま読んでいたアイドル雑誌に、新人レスラー募集の広告が載っていたんです。月給は10万円。15歳の子どもにとっては大金です。悶々とした居候生活から抜け出したくて、すぐに応募しました」

身体の弱さを克服するため、母親の勧めで空手を習っていた長与は一発合格。だが練習のキツさは想像以上だった。

「午前中は20kmのランニングや縄跳びなどで基礎体力作り。午後は技の稽古やスパーリングと、一日中練習漬けです。初めてブリッジ(手を使わず首と足だけで身体を支える練習)をした翌日は、ヒドい筋肉痛で首が曲がらない。するとトレーナーが、おもむろに『Tシャツを脱げ!』と言うんです。上半身裸になり恥ずかしさでモジモジしていると、マットの上に寝かされた。何をされるんだろうと、不安でたまりません。するとトレーナーは軟膏クリームを手にたっぷりつけ、私の身体に乱暴に塗りたくりました。有無を言わさないやり方です。レスラーは、女性として扱われないことがよくわかりました」

スパーリングでは、日によって先輩レスラーから200回も投げ飛ばされる。時には「オマエの代わりはいくらでもいる。荷物をまとめて(長与の出身地)長崎へ帰れ!」と厳しい言葉を浴びせられることもあった。

「毎日、本当にツラかった……。一度、夜逃げしたこともあります。寮を飛び出して、山手線に乗ったんです。田舎から出てきたばかりだったので、山手線に乗れば羽田空港に行けると思っていたんですよ。当然、空港に行けるワケがない。終電まで山手線に乗り続け、夜中に歩いて寮に戻りました」

試合では結果を出せず、セミファイナルやメインのゲームにも起用されない。「もう辞めよう」と考え、「最後の試合」として戦ったのがライオネス飛鳥だ。長与は、同じように伸び悩んでいた飛鳥と意気投合。2人で結成した「クラッシュ・ギャルズ」が人気を呼び、女子プロレスブームを巻き起こした。

ライオネス飛鳥との大ゲンカ

長与千種がリングに上がるとファンから無数の真っ赤なリボンが。人気の高さがうかがえる
長与千種がリングに上がるとファンから無数の真っ赤なリボンが。人気の高さがうかがえる

「人気が出ると、猛烈に忙しくなりました。昼間はテレビ局やラジオ局を飛び回り、夜はイベント会場で歌ってプロレスして……。年間310試合はこなしていた。家では十分な睡眠時間を確保できず、移動の車の中で眠るような生活でした」

精神的に余裕がなくなり、飛鳥と衝突することも徐々に増えていった。

「いくら仲が良くても、四六時中一緒にいれば関係は悪化していきます。あれは結成3年目頃だったかな。プライベートのない生活に疲れた飛鳥が、地方公演中に突然、新幹線で帰ってしまったんです。『帰るなよ!』『うるせぇ、心が折れた』と怒鳴り合い、周囲が必死に止めるほどの大ゲンカに。飛鳥は、当時を『千種が箸を上げるのを見ているだけでイライラした』と振り返っています」

‘89年、人気絶頂の中、長与と飛鳥は相次いで引退を発表。「クラッシュ・ギャルズ」は解散する。再結成は、2人がプロレス界に復帰した後の’00年まで待つことになる。

「今は、飛鳥に感謝の念しかありません。当時は精神的に余裕がなく相手を受け入れられませんでしたが、冷静に考えると最高のパートナーでした。彼女の安定感のおかげで、私は好き勝手にやれたと思います」

‘05年に正式に引退した長与は、新団体を設立。後進の指導にあたってきた。ようやく若いレスラーの育成が軌道に乗ってきた’18年11月、事件がおきる。北海道・札幌での興行後、大ケガを負ったのだ。

「後輩レスラーたちとジンギスカンを食べ深夜の街を歩いていると、近くの立体駐車場から『もうやめて!』『助けて!』という女性の悲鳴が聞こえたんです。考えているヒマはなかった。『レイプされていたら大変だ』と、スグに警察に通報し駐車場の3階まで上がると、男が馬乗りになり若い女性を抑えつけていました。女性は素足でヒザから血を流し、スカートははだけ、あたりにはバッグなどが散らばっていた。私は『女のコに何やってるの! 離れなさい!』と怒鳴りました」

男は「いやいや、わかったから」と言って、一旦は女性から離れる。そして、長与が女性を起こそうとした時だ。男が長与の頭に掴みかかる。ブチブチブチブチ! 長与の髪の毛が大量に抜けた。

「男の手を振りほどこうとすると、彼は私の小指を一気にひねったんです。『ヤバいな』と感じると同時に、『このヤロー』と猛烈に腹が立ちましたよ。ただ私はレスラーです。反撃したら、こちらが加害者になり女子プロレス界に泥を塗ってしまう。警察官がかけつけるまで防御に徹していました」

女性と男は夫婦だった。警察は男を暴行容疑で現行犯逮捕。長与は左手小指を骨折する重傷を負ったが、相手に手を出さなかった態度はファンの喝さいを浴びた。大借金に相方・飛鳥との大ゲンカ、そして深夜のボコられ事件……。女子プロレス界のレジェンドは、壮絶な道を歩み伝説を作り続けている。

…………………………

ながよ・ちぐさ ’64年12月、長崎県大村市生まれ。父親の繁さんは競艇選手。’80年に全日本女子プロレスに入団。’84年にライオネス飛鳥と結成した「クラッシュ・ギャルズ」が爆発的人気に。ダンプ松本らの「極悪同盟」との抗争が注目される。「クラッシュ・ギャルズ」として発売したレコードは、シングル8枚、アルバム7枚でいずれもスマッシュヒット。’89年に引退し芸能界に転身するも’93年に復帰。’05年に正式に引退してからは、興行プロデューサーや実業家として活躍している

マイクパフォーマンスも絶好調。「ファンあってのプロレス。ファンに楽しんでもらわなければ意味がない」と語る
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試合後に彩羽匠と。珍しいマスク姿を披露。「今後はマスクマンとして素顔を隠し裏方に徹する」と話した
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イベント後にはファンと熱心に交流。家族撮影にも気軽に応じていた
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リング上では鋭い視線に厳しい表情も試合後はこの笑顔
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  • 撮影吉場正和

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