女子マラソン・有森裕子 メダル獲得後“地獄の苦しみ”からの復活

ノンフィクション作家・小松成美が迫ったオリンピアンの栄光と苦悩 第2回

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インタビューに答える有森裕子。’66年、岡山県生まれ。日本体育大学卒業後、リクルートに入社。日本陸上競技連盟、日本プロサッカーリーグなどの理事を務める

半年後に開幕する東京五輪。今回はどんな人間ドラマが展開されるのだろう。過去の大会に出場したオリンピアンたちも、アスリートでなければわからない様々な逆境を乗り越え栄冠を掴んできた。多くの選手たちをインタビューしたノンフィクション作家の小松成美が、彼らの苦悩を取材。話を聞いたのは、バルセロナ五輪(’92年)とアトランタ五輪(’96年)の女子マラソンで、銀メダルと銅メダルを獲得した有森裕子(53)だ。

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バルセロナ五輪女子マラソンで銀メダルをつかんだ有森。女子陸上競技では、実に64年ぶりに日本へもたらされた栄光のメダル。快挙を成し遂げ凱旋した彼女は、メダルに熱狂する人々のはざまで、経験したことのない苦しみを味わうことになる。有森が語る。

「バルセロナからの飛行機を降り、空港に進み出ると、私の目に飛び込んできたのはすさまじい数のフラッシュです。大勢のメディアの方々の中でもみくちゃになりながら、メダルを獲らずに帰国したらどうなっていたんだろうと、ものすごく怖くなったのを覚えています。帰国後、私はオリンピック前と何も変わらず、普通に過ごしていたのですが、急に『有森は天狗になっている』『女王様気取りだ』と周囲が騒ぎはじめました。以前と同じように話しても、そう言われてしまうんです。周囲はもとより、日本中の方々が銀メダルを喜んでくれていると思ったのに、関心は私の一挙手一投足に集まっていて、呼吸ができないほどの息苦しさを感じていきました。自分自身、『なんだか面倒臭い存在になってしまったんだな』と感じるようになってしいったんです。それで心も身体も、ギクシャクし始めてしまったんですね。いろいろなことが上手くいかなくて、信じられないかもしれませんが、銀メダルを見るたびに泣いていました。これって経験してみないとわからないことで、本当に追い詰められていました。周囲の人もイヤだったでしょう。私はいつも機嫌が悪く、表情も暗かったでしょうから」

落ち込んだ状況での練習は、楽しさとはかけ離れたものだったが、「諦めない力は誰にも負けない」と自負する有森は、「このまま選手生活を終わらせるわけにはいかない」という思いも強くする。

「故障もしましたし、周囲との人間関係もうまくいかない。そんな状況で信じ続けたことはただ一つです。オリンピックにもう一度出てメダリストという肩書を再び掴むことが、この苦しみを乗り越えるための唯一の方法だろう、と。私の人生の絶対条件だと思いました。まぐれで勝ったランナーではないことを、信念を持ち走り続けてきたことを、二大会連続メダル獲得で証明するしかない。そう思い詰めていました。行きたいというより、行かなきゃいけないと考えていたので、練習では、とことんまで自分を追い込んでいきました」

「自分で自分をほめたい」

インタビューには終始笑顔で答えた有森。引退後もたびたびマラソン大会に出場している

‘95年に行われた北海道マラソン――。有森はバルセロナ以来3年ぶりとなるフルマラソンで、大会新記録を樹立し優勝。この一回のレースでアトランタ五輪の出場権を獲得する。

アトランタのレースでは、ドイツのカトリン・ドーレをゴール直前で追い上げ、わずか6秒差でかわして銅メダルを獲得。願い続けた二大会連続のメダルが確定し、彼女は天を仰いだ。そして、少し表情をゆがめ、残りの力を振り絞るように両手を上げたのだ。

レース直後のインタビューでは、後にメディアで繰り返し取り上げられるコメントを残している。

「終わってから、なんでもっとがんばれなかったかと思うレースはしたくなかったし、今回はそうは思っていないし……。初めて自分で自分をほめたいと思います」

有森は、その刹那に沸き起こった気持ちを忘れることがない。

「あの時のゴールは、静かな喜びでした。感情を爆発させはしゃぐのではなく、淡々と自分に語り掛けていました。『これで終わった。これで終われる。後は前に進むだけだ』と」

アトランタ五輪から帰国した有森は、すっかり肩の力を抜いていた。周囲の過剰な反応にも臆することなく、自分の信じた思いは言葉にしていこう、と心に誓うのだ。まず、陸上連盟のトップに話したのが、肖像権の自主管理(陸上選手の肖像権は陸連が日本オリンピック連盟に委託していた)。選手の権利を守ろうと考えたからだった。

「アスリートの生きる権利を守る。それが当然の環境になるよう、社会をうながしていきたいと思いました。肖像権やその対価を主張するのは、最初は私しかいなかったのですが、少しずつ共感してくれる人たちが増えていきました」

有森は、アスリートとしての活動を一旦休養し、’02年に選手のマネジメント会社「RIGHTS.」を立ち上げる。

「日本という社会は、アスリートにおカネを払いたがりません。プロとしての価値が認められていなかった。アスリートになりたい人は減る一方です。マラソンなんて、最もワリが合いませんよ。アスリートに生活の基盤がないのはおかしいと感じていた私にとって、マネジメント会社の運営は、存在証明でもありました」

「こんな金ならいらない」

有森の目には’00年のシドニー五輪で金メダルをとった高橋尚子の走りはどのように映ったのだろうか。

「素晴らしい金メダルに心を揺さぶられました。日本の女子マラソン界にもたらされた金メダルに、ただ感激もしていました。けれど……自分に置き換えたなら『こんな金ならいらない』と思っていました。彼女の指導のされ方は、とても独特でした。金メダルだけをひたすら目指し、そのための時間を小出義雄監督と過ごしていたんです。監督も褒めちぎっておだてて、金メダル史上主義の選手を育てていました。結果としては素晴らしいけれど、私には無理です。自分のない生活を強いられて、それでしか手に入れられないメダルなら、いらない、と考えていました」

結果を出すために、ただ誰かの言いなりになる。それはスポーツではないと、有森は思っていた。

「私は『スポーツをするために生きる』のではなく、『生きるためにスポーツをする』。そんな存在でありたかった」

しかし、相反する考えが自分にこう問うた。

「おいおい、金メダルを獲ったこともないのに、そんなこと言えるのか、と。普通、高橋選手が金メダル獲ったなら、『私も、もう一度がんばろう』とライバル心を燃やすのがプロフェッショナルです。でも私はそうできなかった。それができない自分は、もはやプロ失格だな、と思ったんです。『競技者』としてより『人間』を優先すべきだと考えた時から、もう現役はダメかな、と思ってしまったんですね」

‘07年2月に行われた東京マラソンを最後に、有森は現役を引退する。レース前日、有森は自分の足に向かって、こう優しく話しかけた。

「もういいからね。もう痛くないからね。ここまでよく、がんばってきたね」

(文中敬称略)

話を終えて、インタビュアーの小松成美と。取材は2時間に及んだ

 

  • 取材・文小松成美

    ノンフィクション作家、インタビュアー、小説家。取材対象者は中田英寿、イチロー、五郎丸歩、有森裕子などのトップアスリートからYOSHIKI、歌舞伎役者など多岐にわたる。著書に『横綱 白鵬』(学研教育出版)、『それってキセキ~GReeeeNの物語~』(KADOKAWA)など。最新刊は平成の歌姫・浜崎あゆみをモデルにした『M 愛すべき人がいて』(幻冬舎)。

  • 撮影福岡耕造協力アーシャルデザイン

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