スノボ・成田童夢 父の超スパルタ指導法に疑問“五輪直前の家出”

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ノンフィクション作家・小松成美が迫ったオリンピアンの栄光と苦悩 第4回

成田童夢 ’85年、大阪府生まれ。ワールドカップではカナダのウィスラー大会などで4つのメダルを獲得している。ポップカルチャーにも精通している。

今年の7月に開幕する東京2020オリンピック。各競技では記録やレースでの順位のもと、出場選手が続々と決まっている。大会の花となる水泳や陸上の最終選考は、春の日本選手権だ。アスリートにとって、その運命を分ける五輪内定。オリンピック出場にいたるまでの道のりは決して平坦ではない。過去のオリンピアンは、どのような道を辿り、逆境を乗り越えて「五輪出場」という栄冠を掴んだのだろうか。長年アスリートをインタビューしてきたノンフィクション作家の小松成美が、知られざる選手たちの挑戦と苦悩の日々を取材する。話を聞くのは、’06年のトリノ冬季五輪スノーボードハーフパイプ日本代表の成田童夢(34)だ。

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成田家に生まれた子どもたちは、父親の隆史さんからトップアスリート、オリンピアンになるための英才教育を受けて育った。

長男の童夢は、’06年トリノ冬季五輪にスノーボードハーフパイプで出場、長女の今井メロも同じトリノ五輪のスノーボードハーフパイプに代表選手となった。次男の緑夢(ぐりむ)は、’18年平昌パラリンピックのスノーボードバンクドスラロームで金メダルを獲得し、現在は走り高跳びで東京2020パラリンピック出場を目指している。

幼い頃から、家族一丸となってスポーツに取り組むことが成田家の日常だった。童夢自身、言葉では表現できないほどの厳しい指導を受け、それに応え続けた。だからこそ掴んだ、オリンピック出場という輝かしい栄誉。その夢を掴んだ童夢とその家族は紛れもない成功者だった。しかし同時に、心には孤独が忍び寄り、気持ちの休まる時間は皆無だった。

「今から振り返ると、父親には感謝の気持ちしかありません。人にはできない経験をさせてもらいました。けれど、オリンピアンは常に孤独である、ということ。時には、叫び出すほどの苦悩が心の奥に渦巻くこともありました」

童夢が、オリンピアンになるまでの日々を振り返る。

「父親は会社を経営しており、冬になると雪山へ部下の人たちと一緒によくスキーをしに行きました。普通なら楽しい社員旅行ですが、ワンマン経営者の父はそこでとんでもないことを言い出すんです。モーグルの一流選手でも躊躇するような急斜面のコブコブのコースに連れて行き『直滑降で降りてみろ』と言うんですよ。若い社員さんは、社長の命令なので必死で挑戦するのですが、結局雪面にしがみついて降りるのがやっと。何人かは転んで滑落し、骨折していましたね。幼い子どもだった私も、例外ではありません。恐怖をかなぐり捨てて、切り立った斜面を滑り降りるしかなかった」

スキーに行くたびに人が減り、最後に残ったのは家族だけだった。幼い童夢は父の特訓を1人で受け、いつしかその急斜面を制覇する。

「それで褒められることもありません。もっと早く、もっと鮮やかに、と父の要求は留まることがありませんでした」

童夢とメロにスキーを教えた父が、今度は脚光を浴びはじめたスノーボードのトレーニングを開始する。間もなく家の屋上には大きなトランポリンが備え付けられた。

「屋上のトランポリンで、毎日トリック(技)の練習するんです。朝も学校から帰ったあとも夜も、長時間飛んでいました。私のライバルは年の近い妹のメロです。妹は男の私と同じ量の練習をこなし、人一倍飲み込みも早かった。彼女の身体的センス、能力の高さが、当時は本当にうらやましかったですね」

父親から教えられたのは、スキーやスノーボードの技術だけではない。トップアスリートとしての在り方、考え方も叩き込まれた。

「アスリートとして影響力を持つためにはスポンサーを得てメディアに出ることが大切だ、と父は説いていました。私に、最初にスポンサーがついたのは6歳の時です。社長であった父親はプロのカメラマンとしても活動していて、メーカーから機材を提供され、報酬も受け取り、その対価としてメーカーには撮影した私の写真を納めていました。父はよくこう話していました。『おカネをいただいているスポンサーのことを考えて戦わなければならない』『スポンサーを裏切ってはいけない』と。『テレビなどのメディアに出られるのも活動資金を提供してくれるスポンサーがいるからだ』とも、繰り返し言いました」

童夢はプロとしての立ち振る舞いを身に付けていった。

「子どもでしたが、それが私の“常識”になっていったんです」

競技は「エンターテインメント」

アーティストとしても活躍した彼は、1日1000回のブログ更新というギネス記録も持つ。

スポンサーへの意識、アスリートとしての役割を叩きこまれた童夢は、もう一方で、自分が志した競技の人気を高めたい、自分のテクニックで好奇心を喚起する存在になりたい、と考えていた。

「当時、流行し始めたスノーボードをさらに多くの人に知ってもらい、実際に滑って楽しんでもらうこと。それが私の“仕事”だと思っていました」

小学生、中学生と成長していく過程で、その使命感はより大きなものなっていく。

「もちろん、技を決め、高得点を得て、表彰台に上がることは嬉しいですよ。でもファンや観客に、自分のパフォーマンスを認めてもらった時はもっと嬉しいです。私がスノボで滑る時に考えているのは『とにかく観客の皆さんを楽しませたい』ということだけ。五輪のような大舞台ならなおさら、その気持ちが強かったですね」

人々を喜ばせ楽しませる。童夢にとって競技は「エンターテイメント」そのものだった。

オリンピックを目指すきっかけは、中学3年、15歳の時に訪れる。父親から「スノボをプロとして続けるか、高校へ進学して普通の学生になるか、どちらかを選べ」と言われたのだ。

「私は、父に、『どちらでもない。僕は声優になりたい』と答えました。その頃、人気アニメや少年マンガにとても興味があったんですよ。父親は声優についてよく理解していないようでしたが、しばらく考え、中学3年生の私にこう提案しました。『わかった。お前がやりたいことをやらせてやる。ただし条件が一つある。進学せずにスノボをやれ。スノボに専念してオリンピックに出たら、好きなことをやらせてやるから』と」

童夢は、スキーとスノボを自分に教え込んだ父親が容易に考えを変えないことを知っていた。

「私自身は、夢である声優になるために、父の提案を受け入れました。もちろん、アスリートとしてスポンサーやファンの方々への責任も果たしたい、と思ってもいました」

絶対にスノボで五輪に出場する。そう心に決めた童夢は、競技に専念し、父とともに雪山にこもる。’01年、日本代表の強化指定選手になり、翌年3月の全日本スキー選手権スノーボード競技で優勝を手中にする。同年12月のワールドカップウィスラー大会でも外国勢をものともせず頂点に立ったのだ。しかし、日本で最も有名なスノーボード選手になった絶好調の童夢に悪夢が襲う。彼が、19歳の時だった。

「前十字靭帯の断裂という、大ケガをしてしまったんです」

入院中、動けない体をベッドに横たえ、彼はアスリートたちの本を読み漁った。

「水泳の北島康介さんやイアン・ソープさんの自伝、そのコーチたちの指導法など、スポーツに関する本を多く読みました。そこで私は、自分の父親の指導方法に、初めて疑問を持ってしまったんです。父親の指導は選手を追い詰め、壊してしまう。明らかにやり過ぎでした。私が靭帯を断裂したのも、ふいの事故ではなく、蓄積した疲労が原因です。心身ともにストレスをかける父のやり方では、これ以上の結果は出ない、と身に染みてわかりました」

数週間後、退院して実家に戻ると、父は童夢に「すぐにトランポリンだ。飛べ!」と命じた。

「私は『ムリだよ。今は身体を休ませないと』と反論しました。父親は『何を言っているんだ! 病院でさんざん休んだだろう』と怒鳴ります。その時はトリノオリンピックが目前に控えていましたが、私はまだ日本代表に選ばれていなかった。ケガを完全に治し、万全の態勢で練習や試合に臨ませてほしいと、伝えたんですが、父親は理解してくれませんでした。だから『これからは自分の思うようにやらせてもらうよ』と言って、家出をしたんです」

父親の運営するスノーボードチーム「夢くらぶ」を脱退し、実家のある大阪から東京に出た成田。誰一人頼る者もなく、1週間ほどマンガ喫茶などで寝泊まりしていた。

「大きなスノーボードのケースを抱えての移動も大変でした。父親に反発し、家を飛び出しましたが、そこから進む道がない。絶望し、呆然としている私に『ああ、久しぶり! 童夢、何してるの?』と、知り合いを通じて声をかけてくれる人がいました」

それは、’94年リレハンメル五輪のモーグル代表、三浦豪太だった。

「家出を知った豪太さんは、何も言わず私を家に連れて行ってくれました。そして多くを聞かず、住まわせてくれたんです」

トリノ五輪日本代表への道に、光が射した瞬間だった。

(つづく、文中敬称略)

アイドルユニットのプロデュースを手掛けたことも。’15年に一般女性と結婚し一児の父親でもある
インタビュアーの小松成美と。話はアスリートとしではなく一人の男性としての人生観、趣味の深い世界にも及んだ
  • 取材・文小松成美

    ノンフィクション作家、インタビュアー、小説家。取材対象者は中田英寿、イチロー、五郎丸歩、有森裕子などのトップアスリートからYOSHIKI、歌舞伎役者など多岐にわたる。著書に『横綱 白鵬』(学研教育出版)、『それってキセキ~GReeeeNの物語~』(KADOKAWA)など。最新刊は平成の歌姫・浜崎あゆみをモデルにした『M 愛すべき人がいて』(幻冬舎)。

  • 撮影福岡耕造協力アーシャルデザイン

Photo Gallary4

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