「のん」6年ぶり映画復帰 キャリアの喪失と不滅のスター性 | FRIDAYデジタル

「のん」6年ぶり映画復帰 キャリアの喪失と不滅のスター性

「能年玲奈」出演の映画『星屑の町』が公開中。主演作『ホットロード』『海月姫』から6年目の帰還 人気ライターCDBが考察

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下北沢の飲食街をスキップする、のん。音楽劇『私の恋人』の共演者たちと庶民的な中華料理屋で宴会し、帰路につく(19年9月)
下北沢の飲食街をスキップする、のん。音楽劇『私の恋人』の共演者たちと庶民的な中華料理屋で宴会し、帰路につく(19年9月)

のん。かつて能年玲奈と呼ばれた26歳の女優の6年ぶりの劇場映画復帰作『星屑の町』は、日本が新型コロナウイルスの感染を防ぐための国家レベルの自粛要請の中で封切初日を迎えた。

彼女の登壇が予定されていた新宿の舞台挨拶は中止となった。筆者が映画を鑑賞した横浜市都筑区のショッピングモールの映画館(イオンシネマ港北ニュータウン)の客席を、「満席」と表現していいのかどうか今も僕には分からない。

ウイルスの感染対策として、観客はひとつずつ席を空けて座ることを求められ、最初から劇場の半分の座席しか販売されていなかったからだ。映画館の中では手を繋いでやってきた恋人同士でさえ一席空けて座っていた。いまだかつて、そんな映画館の光景を見たことはない。

でもひとつだけ言うことができる。街の飲食店がガラガラになり、演劇やライブが中止され、映画館は危険だ、と言われる中でその日劇場に足を運んだ人たちが、彼女のことをずっと待ち続けていたということだ。

そこには若者から老人まで、広い世代の観客がいた。1人では歩けず、脇を支えられるようにして劇場の席につく高齢女性とその娘らしき2人がいた。小さな子供を連れた家族がいた。大きな劇場ではない。でもその小さな劇場の観客の多彩さを、僕はとても彼女らしいと感じた。

6年かかった。

彼女がなぜ6年もの間、映画に出演できずにいたか、多くの説明は不要なのではないかと思う。彼女はいわば、日本中の視聴者の目の前からある日消えた。朝の連続テレビ小説『あまちゃん』(2013年)で国民的な人気女優となった彼女は、事務所移籍についてのトラブルであっと言う間に表舞台から姿を消した。 映画『ホットロード』『海月姫』(共に2014年)などの映画の公開が終わると、新しい映画の出演情報もなく途絶えた。

本名での活動をやめ、「のん」という芸名で活動を再開した。いったい自由な意志を持つ個人が社会で自分の本名を名乗れないなんてことがあるのだろうか? もちろんある。それが僕たちの社会である。

94年初演の舞台劇が映画化 のんがスクリーンに生み出す劇的瞬間

映画『星屑の町』の主演は、実は彼女ではない。この映画の原作は、ラサール石井、大平サブロー、小宮孝泰、渡辺哲、有薗芳記、でんでんというベテラン俳優たちが、25年前から下北沢の劇場を中心に演じてきた舞台劇である。

ハローナイツという昭和歌謡を歌うコーラスグループの物語は、初演の1994年から時代とのミスマッチを意図して書かれた悲喜劇だ。巨額の予算を投じた大作映画ではなく、大上段に構えたテーマもない。小さな町を舞台にした、小さな人々の物語だ。

だが『星屑の町』を見た観客は、スクリーンに戻ってきた彼女、「のん」の輝きに目を奪われるのではないかと思う。これほど長くメディアの表舞台から締め出されてきたにも関わらず、彼女の輝きはまったく色あせていない。

かつて朝の連続テレビ小説『あまちゃん』があれほど多くの視聴者を惹きつけたのは、宮藤官九郎による巧みな脚本もさることながら、天野アキという主人公を演じた彼女の持つ鮮烈なパーソナリティに多くを拠っていた。

彼女の中には東北の田舎町の少女の牧歌性と、東京でスターを目指して舞台に立つ現代性という相反する2つの面が同居している。港北の小さな劇場の中の多彩な客層が象徴していたように、老人と若者、男性と女性という相反する客層を同時に惹きつける国民的スターの輝きが今も溢れている。

この『星屑の町』の中で起きるのは人が死ぬような大きな事件ではない。田舎町を回る時代遅れのコーラスグループと、東京で歌手を夢見る少女のささやかな人情喜劇だ。

だが彼女、「のん」が演じる少女、久間部愛がスクリーンの中でふと目を伏せたり言い争ったりするたびに、本来のささやかなストーリーの枠を超えるような劇的な瞬間が映画の中に次々と生まれては消えて行く。

おそらくは休業中にも様々なレッスンを積み重ねてきたのだろう。だがむしろ目を引くのはテクニックよりも、努力や技術ではどうにもできない素材としての輝きだ。

映画の中で彼女が怒るシーンがある。それはあくまでコメディの流れの中の怒りの演技であり、そこまで深刻なシーンではない。だがその怒りの表情は、観客がはっと息を飲むような切実さとリアリティに満ちている。他愛のないコメディでありながら、そこからはみ出すような強い物語性が彼女の周りで渦を巻く。

劇場演劇として25年にわたり多くの観客を楽しませてきた『星屑の町』という物語を楽しみながら、僕は本来なら彼女のそうした演技はもっと多くの作品、名だたる監督たちによるシリアスな作品の中に置かれるべき演技だったのではないかという思いを拭えずにいた。

それは彼女にとってのキャリアの喪失である以上に、日本映画が6年間にもわたって彼女を失い続けてきた、そして今も多くの機会で失い続けているという苦い事実を突きつけているように見えた。

それはある面においてはこの映画の作り手たち、ラサール石井らベテラン俳優たちの意図の中にもあったものではないかと思う。

映画パンフレットの中でラサール石井は
「のんちゃんを観に来る人が多いかと思いますが、僕らのこともちょっと観て欲しいです(笑)」
と冗談めかして語っている。

しかし言葉には出さないが、この映画は明らかに、ラサール石井や大平サブローといった確固たる足場を持つベテラン俳優たちが、輝く才能を持ちながら出演の場を与えられない26歳の女優のために作り上げた作品に見えた。

1994年の初演時、物語の主人公であるハローナイツたちは30代後半という設定だった。2020年の今、ベテラン俳優として大御所の位置にある彼らはもう70代から60代だ。彼らは俳優人生の円熟期に、のんという若い女優を映画に復帰させるために手を引いて引き上げているように見える。

声優、演劇、音楽 クリエーターたちが支え、のんの努力と才能が応える

この数年間、多くのクリエイターがメディアに出ない彼女の活動を助けた。彼女が声優として主演したアニメ映画『この世界の片隅に』(2016年)は社会現象となり、海外での評価と受賞が相次いだ。音楽活動では名だたるミュージシャンたちが彼女と同じステージに立った。

映画『星屑の町』に先立って、演劇界では渡辺えり、小日向文世、のんの3人舞台『私の恋人』(2019年)が下北沢の本多劇場はじめ全国で上演された。『星屑の町』でのんのボーイフレンドを演じる数少ない同世代の俳優の1人、小日向星一の父は小日向文世である。そうした多くの人の影日向の支えの中で、彼女の復帰は少しずつ前に進んできた。

2020年3月10日、NHK総合の朝の人気番組『あさイチ』にはゲストとして彼女が招かれた。3月10日の『あさイチ』、3月11日の『ニュース7』、そして3月12日の『素顔のギフテッド』(NHK Eテレ)。3・11、東日本大震災の前後にかけて3日連続でNHKに出演するという扱いは、彼女に対するメディアの扱いの大きな転換点に見えた。

だがその初日となる3月10日の前夜には、もうひとつの大きな事件が世界を駆け巡っていた。新型コロナウイルスの感染による不安でNYダウは暴落し、リーマンショックを超える下落率を記録した。それは世界同時株安の始まりを告げる号砲だった。

災害の記憶と、新たな災害の始まりの中で、彼女は国民の前に戻ってきたのだ。

「東京国際映画祭」のレッドカーペットで多くの注目を集めた、のん。『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』が上映された   撮影:川上孝夫
「東京国際映画祭」のレッドカーペットで多くの注目を集めた、のん。『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』が上映された   撮影:川上孝夫
「東京国際映画祭」のレッドカーペットで多くの注目を集めた、のん。『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』が上映された   撮影:川上孝夫
「東京国際映画祭」のレッドカーペットで多くの注目を集めた、のん。『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』が上映された   撮影:川上孝夫
「東京国際映画祭」のレッドカーペットで多くの注目を集めた、のん。『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』が上映された   撮影:川上孝夫
「東京国際映画祭」のレッドカーペットで多くの注目を集めた、のん。『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』が上映された   撮影:川上孝夫

失われた6年間が のん に与えた社会的な物語

この6年間は、多くの作品、たくさんの物語に出演する機会を彼女から奪った。しかしその「失われた6年」は同時に、のんという1人の女優に社会的な物語を与えたと思う。

彼女は誰からも愛される国民的女優でありながら、この国の芸能メディアの中心から疎外された、「世界の片隅」を象徴する文化的アイコンでもあった。

かつてカシアス・クレイというボクサーがベトナム戦争への徴兵拒否でチャンピオンベルトを剥奪されるという、その空白の期間によって歴史に残る特別なボクサー、モハメド・アリとして戻ってきたように、彼女はある意味では以前にも増して僕らの社会で特別な意味を持つ存在になった。

本来は26歳の若い女優にそうした大きな象徴的な意味を背負わせるべきではないのかもしれない。3・11前後のテレビ出演を見ても、積み重ねたレッスンやスキルとの成長とは別に、彼女は今も天野アキを演じた二十歳の時と変わらない、危ういほどイノセントな部分を持ち続けている。

そしてそれはもちろん、表現者としての彼女の才能と表裏一体なのだが。しかしそれでも、彼女はその不器用さと共に、かつていた場所に戻ってきたのだ 。

災害は今も続く。この数年間に彼女を助けてきた演劇界と音楽界は、今世界的な感染症対策による自粛要請で興行の危機に瀕している。

あれほど穏やかで静かな人柄にも関わらず、彼女の活動はいつも激しい災害の傷痕と背中合わせの運命の中にいる。

『あまちゃん』はまぎれもなく3・11の物語、国民的な災害の記憶と結びついた物語だった。『この世界の片隅に』は戦争と原爆をめぐるアニメーションだ。

東京の大手メディアから閉め出された数年間、被災地である東北の人々は彼女を地元銀行や企業のCMに起用し支え続けた。被爆地である広島の観客にも彼女は温かく迎えられた。

災害の深い傷痕の中で人々が必要とする存在、スターというものがやはりこの世にはいるのだと思う。彼女はゆっくりと戻ってくるだろう。絶え間なく災害が降り注ぐ、この世界のすべての片隅の象徴として、もう一度この国のメディアの中心に。

◆文:CDB(ライター)
好きな映画や人物について書いています

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