宝塚歌劇団を引退した「男役OG」が抱く第2の人生への不安 | FRIDAYデジタル

宝塚歌劇団を引退した「男役OG」が抱く第2の人生への不安

「東の東大、西の宝塚」永遠のフェアリーたちのセカンドキャリア

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今年2月に退団したばかりの実羚淳さん。身長173cmとスラリとした体型を生かし、モデルなどに挑戦したいという(提供:宝塚OGサポーターズクラブ)
今年2月に退団したばかりの実羚淳さん。身長173cmとスラリとした体型を生かし、モデルなどに挑戦したいという(提供:宝塚OGサポーターズクラブ)

天海祐希、真矢みき、大地真央……。ぱっと名前が浮かぶ宝塚歌劇団出身の芸能人は、みな男役だった。在団中は「主軸」として脚光を浴びることが多い男役も、第2の人生でも引く手あまたとは限らず、新しい世界に飛び出す不安は一般の人となんら変わりない。これから第2の人生を歩もうとする男役だった宝塚OGたちに、今の心境を聞いた。

「恋をしなさい。そして捨てられなさい」

2019年3月まで在籍した響れおなさんはミュージカル公演に定評がある「月組」の男役として15年間活躍。最後の舞台となった同年6月9日に行われた月組東京宝塚劇場公演「夢現無双-吉川英治原作『宮本武蔵』より-」「クルンテープ 天使の都」の千秋楽を終えると、土砂降りの中、出待ちのファンに盛大な拍手で送られた。

退団したその年に宝塚の先輩、松本菜穂子氏プロデュースの舞台『やさしさのとびら』に出演したが、その後は新型コロナウイルスの感染拡大の影響もあって、まだ具体的な活動はできていない。響さんが明かす。

「宝塚の千秋楽公演が終わった翌日、帯状疱疹が出てしまい寝込みました。でも治ったら『自由だ!』と思えたんです。それまでほぼ休みなしにスケジュールが決まっていて、ベルトコンベアに乗っている状態。そのこと自体はありがたいことなんですが、辞めた瞬間、全て自分でセレクトしなければいけない。ですから、セカンドキャリアに対して不安が全くない、といえばそれは嘘になります」

響さんが2度目の受験で宝塚音楽学校に合格したのは2002年。音楽学校の合格発表の次の日に、伸ばしていた髪の毛をバッサリ切りに行った。幼少期からバレエを続けていたが、男役になる「覚悟」を決めていた。男役になるか、娘役になるかは希望で選ぶことができ、身長がひとつの基準だった。当時のボーダーは165㎝。すでに170cmあった響さんに迷いはなかった。

入学当初、日本国内は初めて開催されたサッカーのワールドカップ(W杯)で盛り上がっていたが、寮にテレビもなく、今ほどSNSも発達していなかった。「夏休みにW杯があったことを知った」というほど、響さんは、漫画に出てくるような美男子を演じる男役を極める稽古に没頭していた。

「宝塚には『男役10年』という言葉があります。だから私もどんなことがあっても10年はいようと決めていたんです。17歳で宝塚に入り、34歳で歌劇団から離れるまでの17年間は一度もスカートは履きませんでしたから(笑)」

OGたちは決して口にしないが、宝塚歌劇団での待遇はベールに包まれている。音楽学校卒業してから、研究科1年生となり「研1」と呼ばれ、5年目「研5」までは親会社の阪急電鉄の正社員で固定給という扱い。中学卒業後に歌劇団に入った子は18歳で初任給を手にすることができ、一説では10万円台前半とも言われている。

寮生として入れるのも5年目まで。在籍6年目から全員宝塚歌劇団とタレント契約を結びギャランティー制度になる。契約は1年ごとの更新で引退勧告はない。恋愛についても、宝塚ならではの「指導」を受けていた。

「恋愛はしてもいいんです。でも演出家の先生からは『恋をしなさい!そして捨てられなさい!』と言われました。『(演技に)味が出るから』という理由でしたが、衝撃でしたね。でも宝塚の男役が、私生活で男性と歩いているところファンの方が見たいか、といえばそうではないと思うんですよね。特別意識したつもりはないんですが、歌劇団、という看板を背負っていたんですね」

退団後の初舞台となった『やさしさのとびら』では、毎回照明の合わせ方も違い、公演を重ねれば「あうんの呼吸」で周囲が動いてくれる宝塚歌劇団の時とは勝手が違った。それでも響さんが戸惑いをあまり感じなかったのは、宝塚時代の教えがある。

「怒られたらまずは受け入れる。『なんでそうなったの?』と理由を聞かれない限り、言い訳をしてはいけないのが基本です。でもそのおかげで、違う考えを持っている方のことも受け入れらるようになりました」

響さんは「男役10年」をまっとうし、17年間いた宝塚を退団。「バファリンは半分、優しさからできている、といいますけど、私は半分、宝塚でできています」
響さんは「男役10年」をまっとうし、17年間いた宝塚を退団。「バファリンは半分、優しさからできている、といいますけど、私は半分、宝塚でできています」

「舞台の一番端にいても一番輝こう」

響さんと同様、男役として活躍した実羚淳さんは新型コロナの感染拡大が急速化した2月、13年間在籍した宝塚歌劇団を離れた。

「1年前から辞めるための気持ちのシュミレーションは常にしていました。ずっと宝塚にいようと思ったらいられたかもしれませんが、男役をやるにもいい時期がある。華があるうちにやめようと考えました。

これからのことは期待と不安、五分五分でほんまに不安もあります。宝塚に入ればお金のことは考えることは一切なかったんですが、いざ出たらどうしたらいいのか、と考えることもあります」

宝塚歌劇団には、娘役が男役を立てるしきたりがある。たとえば、男役のお稽古着のシャツのボタンがとれていたら、娘役が男役の見ていないところで縫ったりする。さらにバレンタインデーには娘役から男役にチョコレートが渡される儀式もあったという。「女性が憧れる男性像」を演じてきた彼女たちならではの持ち味を生かすため、173cmと人目を惹く実羚さんは挑戦したいことのひとつとしてモデルをあげる。

「男役だったのでカッコよくパフォーマンスできるかなと。誰かに憧れた、というよりは自分の中から湧き出てきました。近い将来、ファッションショーに出たいとかいう気持ちもありますが、ただ普通にやろうとしていたら、年齢的には遅いと思うので同じ枠組みではいけないと思っています。今までやってきたダンスもやり続けたいし、小さな子供たちに教えてもみたいです。

舞台はもういいかなと思っていたんですが、コロナの自粛期間中に家で踊ったりしちゃって、『私には踊りが必要なんだ』ということも再確認できました」

ポテンシャルがある実羚さんは、やりたいことがどんどん浮かぶ。在団中、「もっと他人を蹴落としてでも前に出なさい」とも言われながら稽古を続け、自分では120%やりきったつもりでも、トップスターにはなれなかった。

トップになる人のストイックさ、責任感に対して尊敬の念を抱きつつも、実羚さんは「舞台の一番端にいても一番輝こう」という気概はいつも持っていた。そのエネルギーを発揮しきれる、次なる「舞台」を実羚さんたちは探し求めている。男役の先輩にあたる、響さんが明かす。

「自分が今までやったことがない仕事に挑戦したい気持ちは強いのですが、やはり個人だと限界もあります。たとえば企業からお話をいただくにしても何かのツテがないと難しい。宝塚は選りすぐりの人が集まってきてキャラはみんな濃くて、人間関係においてとても磨かれましたが、見方を変えると“小さな世界”でもありました。私はもともと、いろんな人に出会いたいなと思う性分なので、何か新しい人間関係が築ければと思っています」

響さんや実羚さんのように、「主軸」でいられた宝塚を出て、新しい世界で第2の人生をスタートさせる宝塚OGたちが活躍できる場をアシストするために、「宝塚OGサポーターズクラブ」を結成した瞳ゆゆさんはこう明かす。

「かつて宝塚OGのセカンドキャリアといえばいいお嫁さんになることで、その次は芸能界に進むことがトレンドでした。最近は芸能界に進むことが一般的ではなくなり、選択肢が増えたことはとてもいいことですが、私が社会に出て感じるのは、宝塚出身の人はあまり挫折を感じたことがない人たちだと思うんです。宝塚に合格しているし、(宝塚の)中にいるときはそこまで挫折を感じさせられたことはないと思うんです。

それに宝塚では演技などは手取り足取り教えていただけますが、外に出たら何も教えていただけなくなる。せっかく人間関係が確立されているのに、とてももったいと感じていました」

時折出てきた瞳さんの厳しい言葉の裏には、厳しい稽古や規律を通して磨かれた宝塚OGの「人間力」に対する自信がある。瞳さんは“小さな世界”で中心的存在だった男役OGたちが、第2の人生でも主役を張れる『舞台』を見つけられるよう、サポートを続けていく。

響れおなさん

提供:宝塚OGサポーターズクラブ
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実羚淳さん

提供:宝塚OGサポーターズクラブ
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