「悔しくてシャワーを浴びながら泣いた…」唯一生存する宝塚歌劇団”初代組長”が乗り越えた葛藤 | FRIDAYデジタル

「悔しくてシャワーを浴びながら泣いた…」唯一生存する宝塚歌劇団”初代組長”が乗り越えた葛藤

「東の東大、西の宝塚」永遠のフェアリーたちのセカンドキャリア

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02年3月、「カステル・ミラージュ/ダンシング・スピリット!」をもって、宝塚歌劇団を退団した大峯さん。宙組の初代組長に任命されたときから「組長」として辞めることを決めていた
02年3月、「カステル・ミラージュ/ダンシング・スピリット!」をもって、宝塚歌劇団を退団した大峯さん。宙組の初代組長に任命されたときから「組長」として辞めることを決めていた

宝塚歌劇の各組には、トップスターとは別に「組長」がいるのをご存じだろうか。たとえるならば、一般企業でいうところの支社長のようなものだという。花・月・雪・星・宙の5組にそれぞれ一人ずつ、組長が存在する。もちろん演者でありながら、組長の仕事を両立させるのは至難の業。組長を引き受けると、ある意味スターの道はあきらめることになるのだ。

これまであまり語られることがなかった組長の仕事について、唯一生存する“初代組長”を務めた大峯麻友さんに話を聞いた。5組の中でも、いちばん若い組が宙組。大峯さんは68期生として入団し、月組に配属された。1998年に宙組が新設される際に初代組長に就任し、2002年に退団するまでの間、組長を務めあげた。

「組長のお話をいただいたときは、とてもできないと思ってお断りをしましたが叶わず。ならば、やるからには伝統を受け継ぎながらも、ある意味、伝統に縛られずに若い人でもみんなが楽しく生き生きと舞台に集中できるような空気感を作ることを考えて、組のために仕事をしようと覚悟を決めました。組長の仕事はずいぶん大変でしたが、いまとなっては初代宙組組長を務めあげることができてよかったと思っています」

「モヤモヤはディスコで発散した」

こう語る大峯さんの母もまた、タカラジェンヌであった。中学1年生の夏休みに観劇した、雪組の「ザ・レビュー」に心を動かされ、中学3年生で宝塚音楽学校を受験。家族の支えもあって、無事に1回で合格を勝ち取った。月組には、大地真央さんと黒木瞳さんのトップお披露目の頃から在籍していた大峯さん。ふたりのタカラヅカでの黄金期をそばで見られたことは、大峯さんのその後の人生に大きな影響を与えたことは言うまでもない。

入団してからも、1年目~5年目までは2年に1度行われる試験の成績で配役や楽屋での並び順が変わる。入団当初は成績2番とあって、いい役をもらい、とても順調に進んでいるように見えた。しかし、この次の試験で大峯さんは挫折を味わうことになる。

「ちょうど試験の頃の公演で、いい役をいただいていたんです。新人公演ではスター役。バウホール公演も最下級生で悪代官の役をいただいて。若いということもあって、太い声が出なくて……演出家の先生から、声が作れるまでセリフを言うなと言われてしまったんです。試験のためにもがんばらなきゃいけなかったのですが、公演の方に力を入れたため、試験の成績が2番から12番に転落してしまったんです」

周りの同期生たちがどんどんいい役をもらいはじめ、大峯さんには台詞のない立っているだけの役が回ってくるようになってしまい、ストレスが溜まる日々。

「試験結果に納得がいかなくて……スターにしたい子の順位を上げるんだとすねたりして。自分に足りないものは何だろうと悩みました。そんなモヤモヤをディスコで発散していたんです。昔のディスコって、音楽に合わせて自由に踊れたんですよね。私のグレ期です(笑)。それが1年ほど続きました」

このままではいけないと、立ち止まって考えた大峯さんは「順位の上の人たちのよいところ、その逆が私の欠点なんじゃないか」と考え、毎日レッスンに通うようになった。朝9時半からバレエ、ジャズダンス、歌、演劇、日舞と片っ端からレッスンを受け、しかも立ち位置は必ず1列目のセンターを定位置にした。

レッスンに通う姿を見ていた演出家が次第に認めてくれるようになり、脇役をたくさんもらうようになっていく。主役とは違って、役作りの提案が比較的自由にできる脇役のおもしろさも気に入り、居場所を見つけられたと感じていた。

「組長をやってもらおうと思っている」

1997年の8月、大峯さんは突然理事長室に呼び出された。常務理事が呼んでいるとのこと。何か悪いことでもしてしまったかと、胸に手を当てるが思い当たらない。常務理事が言った「新しい組ができる噂、聞いてる?」。その瞬間、大峯さんは、そこに移動になるんだと悟った。でも、そこで話は終わらなかったのだ。常務理事が続ける。「でな、そこの組長をやってもらおうと思っている」と。

それを聞いた大峯さんは、いろんな組から集められた人たちを束ねることなんて、自分には到底できることではないと断った。しかし、もう既に新聞記者には「組長は大峯麻友だ」と伝えられ、その次の日の夕刊に出るのは止められないとのこと。つまり、断るという選択肢は用意されていなかったのだ。34歳のときだった。

宙組のメンバーは、姿月あさとさんほか、ほかの組からも均等に65名が集められた。当然のことながら、大峯さんがそれまで在籍していた月組以外の人は顔と名前も一致しない上に、もちろん成績順も把握していなかった。

「組長を引き受けたからには、役目を全うして組長の看板を背おって辞めたいと覚悟を決めました。まずやったのは、顔と名前、そして愛称を覚えることです。そのために、宝塚歌劇団全体の名鑑『宝塚おとめ』を2冊購入して切り取って、手作りで『宙組おとめ』を作りました。上級生から順に同期ごとに色分けして、そして成績順も考慮して並べていくんです。寮のお部屋割りや楽屋の配置が、この順番なので、はっきりさせておく必要があるんですよね。初めて会うときには、愛称で呼んであげるんです。すると驚きながらもうれしそうにしてくれるので、それで距離が縮まったと思います。“明るく元気な宙組”を作るために尽くしましたね」

大峯さんは、寮では、あえてランドリー室の向かい側に部屋をとり、下級生たちが洗濯の間、くつろげるように部屋を解放した。そうすることで、下級生から気軽に悩みを相談してもらえる環境をつくることができた。

大峯さんは新しく結成された組に入ってきた子の顔と名前を一致させるため、宝塚歌劇団全体の名鑑『宝塚おとめ』を2冊購入。写真を切り取ったりして手作りで『宙組おとめ』を作った(撮影:長濱耕樹)
大峯さんは新しく結成された組に入ってきた子の顔と名前を一致させるため、宝塚歌劇団全体の名鑑『宝塚おとめ』を2冊購入。写真を切り取ったりして手作りで『宙組おとめ』を作った(撮影:長濱耕樹)
大峯さんが自分で作った「宙組おとめ」は何色も色分けされている。上級生から順に同期ごとに色分けして、成績順も考慮して並べた。寮のお部屋割りや楽屋の配置はこの順番で決まるため、常に整理して把握しておく必要があるという
大峯さんが自分で作った「宙組おとめ」は何色も色分けされている。上級生から順に同期ごとに色分けして、成績順も考慮して並べた。寮のお部屋割りや楽屋の配置はこの順番で決まるため、常に整理して把握しておく必要があるという

組長を引き受ける=自分は後回しという現実

組長の仕事はかなり忙しい。劇団の会議室で定期的に行われる組長会への出席、楽屋にはいつも一番に到着し準備をする、初日や千秋楽、貸し切り公演の際の舞台挨拶、けが人や体調不良の人に休演するように声をかけ、代役の手配をするなど、直接公演に関係のある仕事から、寮の部屋割りや壊れた洗濯機の購入依頼、下級生のお悩み相談に至るまでとにかくなんでもやるのだ。当然、演者としての活躍に蓋をすることになる。トップスターが表看板ならば、組長はいわば裏看板。劇団側から「組長の仕事は大変だから、出演シーンを減らしてあげた」と言われたときには、とても複雑な気持ちだったという。

「自分のことは後回しですね。宙組のルール作りもしなくてはいけなかったので、いままで所属していた各組から2人ずつ集まってもらい、稽古終了後に毎日会議をしました。星組と月組で採用されていた、衣装を着たまま座ってはいけないというルールは、特に男役は衣装で座ると、パンツの膝が出て格好が悪くなるので、お客様にベストな状態で観ていただくために、宙組でも採用しました。いろんな細々とした仕事がありましたが、すべては宙組の成功のためでしたね」

ときには憎まれ役も買ってでなくてはならない。つらい経験も多々あったようだ。あるとき、下級生から相談があった。本番中にスタッフが行った行為が、お芝居に集中できない原因となったという内容だった。お客様に最善の作品を届けるのが組長の役目と思っていた大峯さんは、スタッフに配慮してほしいと伝えた。すると、次の日から数日間、全スタッフから無視されるようになってしまった。非常に仕事がしづらい状況である。

「いまでも下級生が噓を言ったとは思っていませんが、このままの状態だと宙組のみんなに支障をきたす。ここは私が折れるしかないと思い、謝りに行きました。それからは無視されることはなくなりましたが……悔しくて、シャワーを浴びながら泣きました」

大峯さんは現在、芸能活動のほかに、コミュニケーションアドバイザーとして、タカラヅカの美学とコミュニケーション術を合わせた「組長さんの寺子屋メソッド」というレッスンを開催している。また、ビジネスマンに向けて、パフォーマンス力向上のためのセミナーや、話し方の講座も行っている。

「タカラヅカでも、ビジネスシーンでも共通して言えることなのですが、部下は上司の背中を見てついてくるけれど、そのためには見せる背中を作る努力が必要なんですよね。上司の背中を見て部下が育つ、ということ自体、いまの時代は少ない。どうせ……と最初からあきらめる背中を見せるのではなくて、ブレない姿勢を見せるんです。誰か一人でも、ついてきてくれるならば、その姿勢を続ける価値があります。この話をすると、講演を聞いてくださる多くのビジネスマンがうなずいてくれます」

大峯さんが組長に就任した際は、上級生の中には面白くないと感じていた人もいたようだが、退団するときには「よくがんばったね」とその上級生から声をかけられたそうだ。宝塚歌劇団という、特殊な世界の中で極めたコミュニケーション力とリーダーシップは、時代を超えて、どの分野でも多くの人のために役立つだろう。

2001年、『カステル・ミラージュ -消えない蜃気楼-』でクラウディオ・ディ・ステファーノ公を演じる
2001年、『カステル・ミラージュ -消えない蜃気楼-』でクラウディオ・ディ・ステファーノ公を演じる
1999年6月、『激情 -ホセとカルメン-』ダンカイレ役を演じる
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退団後、講演会で大勢の前で話す大峯さん
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撮影:長濱耕樹
撮影:長濱耕樹
撮影:長濱耕樹
撮影:長濱耕樹

◆3月20日 ライブの詳細

大峯麻友 オフィシャルサイト

  • 取材・文上紙夏花

    (うえがみ なつか)ライター/ビューティープランナー。ルミネtheよしもとにて、吉本新喜劇の女優として出演していたという、異色の経歴をもつママライター。多くの雑誌やWEBで美容から旅行、インタビュー記事などを執筆している。また、化粧品などの商品開発を手掛けるほか、生放送のTV通販番組にも出演中。趣味は台湾ドラマ鑑賞で、特技は中国語(HSK5級)。台湾との二拠点生活を夢見ている。

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