『少年隊』「35周年で錦織一清&植草克秀が退所」の裏事情 | FRIDAYデジタル

『少年隊』「35周年で錦織一清&植草克秀が退所」の裏事情

ジャニー喜多川氏の″最高傑作″に一体何が起こったのか?

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`89年夏、東京などで53公演したミュージカル『Again』の幕間の一枚。この後、それぞれソロでまた舞台に立った。
`89年夏、東京などで53公演したミュージカル『Again』の幕間の一枚。この後、それぞれソロでまた舞台に立った。

’85年12月にリリースしたデビューシングル『仮面舞踏会』はオリコンチャートで初登場1位。『ザ・ベストテン』(TBS系)では7週連続1位に輝いた。翌’86年には『グラミー賞』授賞式に招待されてハリウッドに飛び、マイケル・ジャクソンの振り付け師、マイケル・ピータースの指導を仰いだ。新人なのに歌もダンスもワールドクラス――『少年隊』がジャニー喜多川氏の〝最高傑作〟と言われる所以(ゆえん)である。

事実、3人は舞台を中心に活動した。毎年夏に開催したミュージカル『PLAYZONE』は23年間も続き、1000回弱も公演を重ねた。だが、’08年夏を最後にジャニーズJr.ら後輩に引き継ぐと『少年隊』は活動休止状態に陥った。

「それでもジャニーさんは錦織一清(55)の舞台演出の才能を買っていたから、仕事はあった。滝沢秀明(38)も錦織を尊敬していました。植草克秀(54)も細々と俳優の仕事を貰っていた。とはいえ、収入は月50万円にも満たなかったようで、植草は10万円程度の養育費の支払いにも四苦八苦していたといいます」(元ジャニーズJr.で作家の平本淳也氏)

一方、残留する東山紀之(53)は順調そのもの。情報番組の司会にまで活躍の場を広げて、「年収は3億円オーバー」(放送作家)と言われている。

「東山は藤島ジュリー景子社長と同学年で信頼も厚い。タレント序列でも近藤真彦(56)に次ぐ2番手で、将来の幹部就任は確実です。代替わりによって、メンバー間格差がさらに拡大するのは間違いない。だから錦織らはジャニーさんが亡くなったのを機に退所を決意した。もちろん、慰留されましたが、メリー喜多川会長が9月4日付で名誉会長になったタイミングで押し切った。まだメリーさんが影響力を持っている今なら『少年隊』は残すという〝保険〟もかけられる。今がベストだったのです」(芸能プロ幹部)

「独立」というより「別れ」に近い。前出の平本氏はそう見ている。

「東山の力をもってすれば、『少年隊』を稼働させることはできたはず。35周年の節目だというのに、今年も動く気配がない。25周年のときも30周年のときもそうだった。俺たちはないがしろにされている――錦織らはそう憤っているのではないか。50半ばで出ていくなんて、相当な覚悟と怒りがないとできないですよ。今後ですが、錦織は自分の劇団を持つと思います。交流のあった蜷川幸雄さん、つかこうへいさんによく相談していましたから。植草にはジャニーズの後輩たちの講師をやるプランがあるとか」

新天地で咲く二人に期待しよう。

『PLAYZONE』を卒業して以降、東山はソロ活動に注力。’10年には木村佳乃(左)と結婚するなど公私とも順調
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錦織は社交的で実業家の知人も多い。顔が広いのが災いして、ブルース・リー未亡人とトラブルになったことも
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美人モデルとデート中に本誌と遭遇して取り乱す植草(’92年)。この後、交際宣言して結婚もしたが’10年に離婚
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『FRIDAY』2020年10月9日号より

  • 撮影鬼怒川毅(1枚目)、竹本テツ子(2枚目)、香川貴宏(3枚目)、小檜山毅彦(4枚目)

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