ゴミ部屋に閉じ込め…愛児の遺体を7年放置した父親の「言い分」
ノンフィクション作家・石井光太が凶悪事件の深層に迫る。衝撃ルポ 第2回
神奈川県厚木市の閑散とした住宅街のアパートで、3歳の男の子は2年間、真っ暗な部屋に閉じ込められていた。電気も水もガスも止まり、2トンを超えるゴミが山積みになって悪臭を放っていた。
男の子は部屋から出ることができず、鍵の閉まったドアを叩き、「パパ、パパ」と何度も呼びかけた。運送の仕事をしていた父親はほとんど家に帰ってこず、食べ物もろくに与えなかった。部屋に閉じ込められてから2年後の2006年1月、5歳になった男の子は1人きりで息絶えた。暗く冷たい部屋で身につけていたのはTシャツ1枚だった。
それから7年間、男の子の遺体は部屋に放置されつづけた。小学校に一度も登校せず、中学の入学手続きも行われなかったことから警察がアパートを訪問し、ようやく事件が発覚したのだ。
「居所不明児童」
この事件によってそんな言葉が社会に広まった。戸籍はあるのに、所在が知れぬ子供たちのことだ。私がこの事件を『「鬼畜」の家~わが子を殺す親たち』(新潮文庫)で取り上げた時に感じたのは、事件の責任者を特定し、裁くことの難しさ、そしてゆがんだ愛の形だった――。
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父親の齊藤幸裕は、1978年の生まれだ。3人兄弟の長男だった。
家庭環境は劣悪で、精神を病んだ母親が自殺未遂やボヤ騒ぎを頻繁に起こした。工事でつかう三角コーンを道に並べて火をつけて悪魔ばらいをしたり、家で大量のろうそくにつけた火が体に燃え移って全身火傷して入院したりしたというから、幸裕が相当振り回されてきたことは想像に難くない。
幸裕は高校を卒業した後にそんな家を離れて働きはじめる。非正規労働で職を転々とする一方で、趣味は車の改造やドライブ。物静かであまり友人がいないタイプだった。後に妻となる愛美佳(仮名)と知り合うのは20歳になるかならないかの時だった。
愛美佳は当時高校2年。実家は箱根の有名旅館を経営している名家だったものの、その家庭環境は悪かった。
1年で家庭に興味が失せ……
父親は女をつくって家出、母親にも男の噂が絶えなかったが、自らのことは棚に上げて娘にスパルタ教育を施した。こうした影響からか、愛美佳は非行に走り、夜遊びをしていた時に、幸裕と出会ったのだ。
愛美佳は、家出して幸裕のアパートに転がり込み、同棲をはじめる。間もなく妊娠し、出会った翌年に生まれたのが、長男の理玖君だった。幸裕が21歳、愛美佳が18歳の時のことだった。
2人は厚木市内に新しくアパートを借り、新生活をスタートさせた。愛美佳の実家からはそれなりに金銭の支援があり、幸裕も契約社員を止めて運送会社のドライバーとして働きだした。最初の1年間は、2人は若いなりに精いっぱい子育てをしようとしていた。だが、1年経つか経たないかの頃には心が家庭から離れるようになる。
まず、愛美佳が「自由に遊びたい」と言い出した。同年代の友達が青春を謳歌しているのがうらやましかったのだろう。彼女は家の片付けや料理をしなくなり、理玖が夜泣きをしても放ったらかした。後に拘置所で幸裕は言った。
「仕事から帰っても家は散らかり放題でした。それで注意したら言い返してくるのでケンカです。一方的に俺がやっていたわけじゃありません。俺が注意したら、あいつが物を投げてきたり、つかみかかってきたりするのでやり返す感じです。ほとんど毎日そんな感じでした」
どちらが悪いというのではなく、お互いに未熟だったのだろう。夫婦の関係は日に日に荒んでいた。
遊ぶ金欲しさに風俗店勤務

そんな中、愛美佳は遊ぶ金欲しさに本厚木駅にある風俗店で働きだす。毎日昼過ぎに託児所に理玖を預け、閉店の午前零時頃まで客をとった。当時の店長の話によれば、客や黒服に愛想をふりまく一方で、同僚の女性に対しては嫉妬深い態度をとっていたそうだ。
さらに愛美佳は店の客とは別に、恋人をつくっていたらしい。幸裕が携帯電話をのぞいたところ、知らない男性とラブホテルに行っていることが書かれており、そのことで何度も大ゲンカになったという。
愛美佳がアパートから失踪したのは、理玖が3歳になった年のことだった。夜、買い物に行くと言って出たきり、行方がわからなくなったのである。幸裕と理玖は捨てられたのだ。
幸裕は理玖に言った。
「これからは2人生きていこうね」
幸裕は理玖を自分1人で育てていくことにした。だが、まったく生活感覚のない人間で、やっていたことは子育てとはとうてい呼べないものだった。
まず愛美佳の家でから数ヵ月のうちに、電気、ガス、水道などのライフラインが料金未払いですべて止まった。理玖の食事は1日1回、パンかおにぎりとジュースの「食事セット」を置くだけで、オムツの交換は数日に一度、外へ連れて行くのも月に一度だった。
小便はペットボトルに
幸裕の生活感覚のなさは、電気、ガス、水道が停止した後も、料金を払わずにアパートに住みつづけたことだ。小便はペットボトルにし、水は公園の水道からくんで、ゴミはどんどんたまっていく。給料があるのに未払いのまま放置し、その部屋に寝ていたというから怠慢としか言いようがない。
また、幸裕は仕事で留守をしている間に、理玖が外へ出て行くのを防ぐため、雨戸を下ろして部屋のドアには鍵をかけて閉じ込めていた。暗い部屋に監禁しているのと同じだ。それでも、幸裕は子育てをしていたと思っていたのだから驚きだ。彼の言葉である。
「理玖とは時々遊んでましたよ。家にエロ本があったんです。そのページをやぶって、紙クズをペットボトルに入れて、上から降らせてあげるんです。紙吹雪ごっこ。理玖はすごく喜んでいました」
事件後、幸裕のこうした性格を挙げて「知的障害がある」と語る人もいたが、私は何度も面会を重ねた経験からそうは思わない。車の改造を自分でしていたし、愛美佳をナンパするだけのコミュニケーション能力もあったし、会社での成績も「A」だ。障害というより、生活能力がすっぽりと欠如していただけなのだろう。
一方、愛美佳は家出の後、夜の街にどっぷりとハマって生きていた。夢中になっていたのがホストクラブだ。
金のない時ですらホストクラブへ行ってツケで飲み回り、返済を求められると行方をくらます。ホストクラブの間で、彼女は「掛け飛び(料金踏み倒し)」の常習犯としてブラックリストに乗っていた。
店側はツケの回収のため、彼女が店に置いていった保険証もとに、夫の幸裕を割り出して職場に押しかけ数十万円を肩代わりさせていた。他にも、愛美佳は携帯電話の請求書を幸裕に押しつけて支払わせていたし、幸裕の名義でマンションを借りて家賃250万円を未払いのまま逃げたというから、自分が捨てた幸裕を利用していたと言わざるを得ない。
現実逃避にキャバクラ通い
幸裕にしてみれば、なんで自分だけがせっせと働いて理玖を育て、愛美佳のツケを払わなければならないのかという不満を抱くのは当然だ。経済的にもどんどん苦しくなっていった。
やがて彼は現実逃避するようにキャバクラに通いはじめ、理玖の面倒をみなくなっていく。まじめに生きているのがバカバカしくなったのだろう。そして、そこで出会ったホステスと恋仲になった。
ホステスによれば、幸裕は誠実だったようだ。2人は週に何度かラブホテルに泊まったが、その間、理玖はアパートに置き去りにされた。2、3日帰らないこともザラだった。そんな中で、理玖は衰弱していくことになる。
2006年の12月、幸裕は有給休暇を取って恋人のホステスととともに東京ディズニーランドへ遊びに行った。そこで撮影したプリクラには「いつまでも一緒にいようね」の文字が書かれていた。結婚も考えていた。
理玖が人知れずアパートで亡くなったのは、その1月後のことだった。2トンものゴミが散乱する部屋に敷きっぱなしになった布団の上でうつぶせになって息絶えたのである。
後日、久々に家に帰った幸裕は、そんな息子の姿を見つける。あ然とした彼はコンビニで理玖が好きだったコロッケパンとジュースを買って玄関に供えて手を合わせ、ホステスのもとへ逃げ出した。
その後、幸裕が賃料を払いつづけていたためにアパートの遺体は放置され、7年後まで事件が発覚することがなかったのである。
2015年秋、幸裕は裁判にかけられた。理玖に対する育児放棄と死体遺棄の罪である。
私は拘置所にいる幸裕と面会を重ね、事件に対する思いを聞いた。会うたびに、彼は声を荒げてこう言った。
「俺だけが裁かれるのはおかしいです。だって、理玖を捨てたのは愛美佳ですよね。俺は彼女の代わりに一人で面倒を見ていたんですよ。それなのにあいつは罰せられることなく、俺だけ裁かれる。そんなの間違っています!」
彼が理玖を死に至らしめたのは事実だし、それで裁かれて罰を受けるのは当然だろう。
だが、同時に彼が主張するように、愛美佳が何の罪にも問われないことには疑問を覚えずにいられない。彼女は理玖を捨てたばかりか、その後も夜の街で遊びつづけ、多額の支払いを幸裕に押しつけてきた。事件の一因が彼女にあるのは明らかだ。しかし、日本の司法制度の中では、彼女を罰することは難しい。
もし幸裕の詳しい生い立ち、愛美佳の事件後のことなどを知りたければ、拙著『「鬼畜」の家』を読んでいただきたいと思う。
何にせよ、この事件からわかるのは、生活感覚のまったくない男女が一緒になった時、その犠牲になるのがか弱き子供だということだ。裁判で幸裕と愛美佳もそろってこう語っていた。
「私は理玖を愛していました」
彼らは自分たちの「愛」がゆがんでいることに気づいていない。
愛情の形はそれぞれ違う。その間違った愛ゆえに、子供の命が奪われることもある。そう考えた時、私たちは「親の愛情」「母性愛」といった言葉に信頼を置くのではなく、子育てができない大人が一定数いるという前提に立ち、支援のあり方を考えていく必要があるのではないだろうか。
取材・文:石井光太
77年、東京都生まれ。ノンフィクション作家。日本大学芸術学部卒業。国内外の文化、歴史、医療などをテーマに取材、執筆活動を行っている。著書に『「鬼畜」の家ーーわが子を殺す親たち』『43回の殺意 川崎中1男子生徒殺害事件の深層』『絶対貧困』『レンタルチャイルド』『浮浪児1945-』などがある。