中1男児を43回切り殺害…加害少年3人へ父親が残した慟哭の声 | FRIDAYデジタル

中1男児を43回切り殺害…加害少年3人へ父親が残した慟哭の声

ノンフィクション作家・石井光太が凶悪事件の深層に迫る。衝撃ルポ 第4回

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事件直後、現場となった川崎市内の河川敷には多くの花が手向けられた。15年2月撮影
事件直後、現場となった川崎市内の河川敷には多くの花が手向けられた。15年2月撮影

2015年2月20日未明、神奈川県川崎区の多摩川の河川敷で、上村遼太君という中学1年の少年が殺害された。17歳~18歳の少年3人に、全身43ヵ所をカッターナイフで切られ、真冬の川に複数回にわたって入れられ、命を奪われたのだ。

この痛ましい事件から、ちょうど6年。今年で七回忌を迎えることになる。

私はこの事件を描いたルポルタージュ『43回の殺意 川崎中1男子生徒殺害事件の深層』(新潮文庫)で、遼太君の父親の悲しみに満ちた慟哭の声をインタビューした。その一部を記したいと思う(以下、カッコ内の発言は同書から一部引用)。

********************

事件の被害者となった遼太君は、笑顔のかわいい男の子だった。なぜ、こんな子が殺されなければならないのか。そんな同情とともに事件は一躍脚光を浴びた。

発生から約1週間後、警察に逮捕されたのは3人の少年だった。これを機に、メディアやネットでは加害少年たちの身元を暴くようなことが行われた。

加害少年たちは高校を中退し、毎晩のようにつるんで万引き、賽銭泥棒、バイクの転売といった非行をくり返していた。一部のメディアは、これが川崎の荒れた土地柄だと言わんばかりに、イスラム国(IS)をもじって「カワサキ国」とまで報じた。

また、主犯の少年Aと少年Bはフィリピン人の母親を持つハーフであり、家族写真や自宅住所まで流出した。ネットの住民たちは彼らに対するヘイト的な書き込みをし、家の塀にもカラースプレーで「フィリピンにかえりたい」と落書きをした。

こんなふうに誹謗中傷が飛び交った事件だったが、凶暴なハーフの子たちが起こしたものというイメージは正しいのだろうか。

遼太君の父親の意見は違う。彼は自分自身も川崎で生まれ育った経験から、こう語ってる。

〈ネットの連中は少年Aと少年Bの母親がフィリピン人だったことをことさら強調しています。水商売のフィリピーナの子供だから、あんな残酷なことをできたんだって語調で。

本当に関係あるんですかね。

僕が通っていた中学にも外国人の子はいました。でも、付き合えばみんなごく普通の子です。外国人の子だって日本人と同じように、変わった子もいれば優秀な子だっている。僕の意見を言えば、彼らが事件を起こしたことと、母親がフィリピン人だったことなんてほとんど関係ありません。

じゃあ、なんで事件が起きてしまったのか。僕が言うと語弊があるかもしれませんが、これに尽きると思うんです。――遼太の運が悪かった〉

残酷な性格になった理由

生前の遼太君。明るく人懐っこい性格だったという
生前の遼太君。明るく人懐っこい性格だったという

世の中には人を殺すことを何とも思わない人間がいる。そういう人間とたまたま出会ってしまった遼太君が「運が悪かった」というのだ。

裁判で明らかになったのは、3人の冷酷な殺害方法だった。彼らは遼太君を裸にし、代わる代わるカッターナーフで切りつけた。全身は血に染まり、嗚咽の声を上げていたはずだ。それを無視して首を中心にひたすら40回以上も切りつけて殺したのである。

裁判で弁護士は、そんな加害少年たちを必死に守りつづけた。加害少年たちは虐待や育児放棄の経験から、残酷な性格になってしまったわけで、それを踏まえれば罪を軽くするべきだとしたのだ。

父親はそれに対してこう憤る。

〈弁護士は、少年Aが父親から虐待を受けたことによって人間形成がうまくいかなくなって、あのような凄惨な事件を起こしたというようなことを主張していましたよね。でも、僕からすれば、あんなの虐待とは言えませんよ。

父親が物分かりの悪い少年Aに対して正座をさせたり、叩いたりするのは、しつけの方法としては真っ当です。虐待とは別です。

少年Aの家庭には殺人を正当化させるような甚大な問題はなかったと思っています。家もあるし、学校だって行かせてもらっている。事件後に流出した家族の写真だって、幸せそのものだったじゃないですか。一家でバーベキューをしたり、花見に行ったり、父方の祖母と母方の祖母が仲良く出かけたり。家には大きなクリスマスツリーまで飾られている。

それなのに、弁護士たちは少年Aの罪を軽くするためだけに、両親の体罰を指摘し、日本語での会話が成り立っていなかったと言った。

弁護士はなんだってああいう言い方をするんでしょうかね。本気で長時間正座をさせたことが殺人に結びついていると思っているのでしょうか。もしそうなら、ほとんどの殺人は情状酌量に値するものになってしまいます〉

〈本当に更生するんですかね〉

遼太君の小学校時代の文集。バスケットボールへの夢をつづっていた
遼太君の小学校時代の文集。バスケットボールへの夢をつづっていた

裁判で少年Aと少年Bは反省の言葉をほぼ口にすることがなく、少年Cにいたっては「何もしていません。無実です」と言って裁判中に度々薄ら笑いを浮かべていた。父親からすれば、そんな少年たちをかばって情状酌量を求める弁護士の神経が信じられなかったのだろう。

少年事件であっても、刑事裁判の最高刑は死刑だ。父親は加害少年たちがそうなることを願っていた。

しかし、裁判官が下した判決は、中学1年生の少年の未来を永久に奪ったものとしてはあまりに軽かった。

少年A 懲役9年以上、13年以下。

少年B 懲役4年以上、6年6ヵ月以下。

少年C 懲役6年以上、10年以下。

遼太君は永遠に誕生日を祝ってもらえない。家族も同じように祝うことができない。しかし、少年たちは数年間少年刑務所に入っていれば、その後自由が待っているのだ。父親は判決について語る。

〈(父親の)弁護士からは死刑は難しいだろうと言われてきました。今の裁判では過去の判例が基準になるので、無期懲役にさえならないだろう、と。

判決は、弁護士の予想通りでした。主犯の少年Aですら、13年です。おとなしくしていれば、20代で出てくるでしょう。判決には、これっぽっちも納得していません。

一連の裁判の流れを見ていて感じたのは、「更生ありき」で話が進んでいるということです。少年刑務所に一定期間収容して、作業をやらせたり、何かしらのプログラムを受けさせたりしさえすれば、人間は善人に変わるという、何の根拠もない前提があるように思うんです。

彼らは本当に更生するんですかね。すべての受刑者が少年刑務所に入ったからといって善人になるんでしょうか。

僕はそうは思わない。殺人は、万引きやちょっとしたケンカなんかとはまったくちがうものです。やる人間とそうでない人間の差は大きい〉

少年院を出て再犯率は22%

加害少年たちが遼太君の服を焼いたトイレ。事件直後は生々しく黒焦げていた
加害少年たちが遼太君の服を焼いたトイレ。事件直後は生々しく黒焦げていた

統計によれば、刑務所を出た後に、再び犯罪に手を染めるのは2人に1人とされている。少年院にしたって5年以内の再犯率は22%だ。

こうしてみると、少年刑務所に入ったからといって、少年たちが更生するとは限らないという指摘は間違いではない。

ならば、なぜ裁判所は少年たちに懲役刑を下して幕を閉じようとするのか。そこに父親が感じる大きな矛盾がある。彼はつづける。

〈3人の殺人者は、懲役の期間、税金で食べさせてもらっていればいいだけです。少年刑務所の中には、クリスマスも正月もあるし、高校卒業資格や就職に必要な資格も丁寧な指導を受けながら取ることができる。そう考えると、彼らにとっては、社会でフリーターをするより、よほど有意義な時間をすごせることになる。

遼太がどうなったかを考えてください。何かしたわけでもないのに、単なる勘違いから無残な方法で命を奪われ、クリスマスを迎えることも、学校へ行くこともできなくなった。二度と人生を楽しむことはできないんです。

家族、とりわけ遼太のきょうだいだって同じです。事件後、家族みんなで引っ越しをし、隠れるように名前を変えて生きているといいます。

毎年、遼太の命日には事件のことを思い出して苦しむでしょう。一番下の子の誕生日と遼太の命日は同じなんです。会社に入る時も、結婚をする時も、事件のことを気にしなければなりません。一生涯にわたって事件の重荷を背負っていくことになる。

これが「正しい判決」だと思いますか? そう言える人間がいたら馬鹿ですよ。少なくとも、僕には狂っているとしか思えません〉

父親は判決を正当なものとはまったく認めていなかった。

判決が出た直後で興奮していたこともあったが、父親はもはや司法に期待する気持ちは微塵もないと言い張った。

その無念さは、次の言葉に表されている。

〈今、僕の胸にあることを正直に言います。

3人が刑務所から出てくるのを待って、個人的に復讐をするしかないと考えているんです。

絞首刑みたいにいっぺんに殺したいわけじゃない。あの3人に遼太と同じ思いを味わわせたいんです。

真っ暗な河川敷につれていって全裸にしてやりたい。命乞いを無視して、カッターで43回体を切り刻んでやりたい。立てないほど衰弱させてから真冬の川で泳がせてやりたい。まだ息をしているのに、足蹴にして川に落とし、闇の中に放置してやりたい。

「もう殺してくれ」

そう泣いて頼むまで痛めつけてやりたいんです。

今は裁判官に死刑判決を下してほしいとは思っていません。その代わり、僕が遼太と同じ目にあわせて、その苦しみがどれだけのものかをわからせてやる。それが、加害者が自分の犯した罪と向き合う、あるいは償うということではないでしょうか〉

言葉の本当の意味を理解するには、拙著『43回の殺意』を読んでいただきたい。

ただ、今言えるのは、父親が本当にこの言葉を実行に移すかどうかは別にして、これこそが判決を聞いた直後の父親の正直な気持ちだということだ。逆に言えば、遺族にこれだけの言葉を口に出させるほど、子供を惨殺された無念は大きいのだ。

だとしたら、少年事件をどう裁くべきなのか。少年にいかなる罪を科すべきなのか。もう一度考え直す時期に来ているのではないだろうか。

私は必ずしも重い刑罰を下せばいいと言いたいわけではない。更生の方法も含めて、今ある形が正しいかどうかを検討する時期にきているということだ。

あの残酷な事件から6年。遼太君の死は今なおそうした問題を語り掛けているように思えない。

事件現場となった河川敷。現在は犯行を感じさせるものは皆無だ
事件現場となった河川敷。現在は犯行を感じさせるものは皆無だ
  • 取材・文石井光太

    77年、東京都生まれ。ノンフィクション作家。日本大学芸術学部卒業。国内外の文化、歴史、医療などをテーマに取材、執筆活動を行っている。著書に『「鬼畜」の家ーーわが子を殺す親たち』『43回の殺意 川崎中1男子生徒殺害事件の深層』『絶対貧困』『レンタルチャイルド』『浮浪児1945-』などがある。

  • 撮影蓮尾真司

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