三代目襲名で改めて思う猿之助一門を支えた「藤間紫さんの功績」 | FRIDAYデジタル

三代目襲名で改めて思う猿之助一門を支えた「藤間紫さんの功績」 

芸能リポーター・石川敏男の芸能界”あの出来事のウラ側は……”

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澤瀉屋を人気一門へ押し上げた三代目市川猿之助(左・現猿翁)と、それを影で支えた妻の初代・藤間紫さん
澤瀉屋を人気一門へ押し上げた三代目市川猿之助(左・現猿翁)と、それを影で支えた妻の初代・藤間紫さん

女優で日本舞踊の宗家だった藤間紫さんが亡くなって、間もなく13回忌を迎える。そんな中、孫であり舞踊家の藤間爽子さんが「三代目藤間紫」を襲名することになった。

紫さんが亡くなった後、市川猿翁さん(当時・猿之助)が「二代目紫」を名乗って、流派を引き継いでいた。紫さんには、週刊誌の記者時代からリポーターになっても、本当にお世話になってきた。

だから、元夫・二世藤間勘十郎(勘祖・人間国宝)との離婚も、紫さんの兄妹を巻き込んだお家騒動のときも、不倫から始まった猿之助さんとの熱愛もすべて近くで見てきたし、記事にしてきた。

もちろん、猿翁さんと紫さんの再婚も、猿翁さんを父と慕う俳優・香川照之さんが、歌舞伎の世界に飛び込み「市川中車」を名乗ることもリポートしてきた。そこには、紫さんの息子で、俳優だった藤間文彦さんと個人的に仲が良かったということもあった。

その彼のお嬢さんが三代目を継ぐことになったのは、感慨深い。初代・紫さんが

「孫の爽子が、年ごろ迎えるころになったら三代目家元として、藤間紫を襲名させてほしい」

と願っていた通り、無事に継承式を執り行えた。スキャンダルの渦中に文彦さんの長男・貴彦さん(舞踊家名は藤間翔)や爽子さんとも軽井沢でお目にかかったこともあったが、まだほんとに小さかったから彼らの記憶はなかっただろうな。式が始まる前に、文彦さんに改めて紹介され

「おばあさまの踊りを見た記憶がありますか? どんな印象ですか?」

なんて聞いてしまった。

「祖母が、あまり動けなくなってからの記憶しかありません。残されている踊りの映像を見せられて、感動してきました。初代の功績には足元にも及びませんが、祖母に負けないように頑張ります」

と、爽子さんは誓ってくれた。昨年、継承式を行う予定だったが、コロナの影響で1年延びてしまったが「三代目」の誕生は、全国の紫派のお弟子さんが喜んでいる。

2月28日に「三代目藤間紫」を襲名した爽子さん(左)と「藤間翔」を襲名した兄の貴彦氏(右)
2月28日に「三代目藤間紫」を襲名した爽子さん(左)と「藤間翔」を襲名した兄の貴彦氏(右)

そもそも、お家騒動の中で初代が、藤間流から離れることになる。二世勘十郎さんの後は紫さんが継承するのが筋だけど、離婚と言う中で、宗家藤間流を長女の高子さんが「三世勘祖」を継ぐことになった。

その出来事にお弟子さんたちが反発。紫さんに「紫派藤間流」を起こさせたのだ。それから34年、紫派は脈々と続いてきたのだ。

そして、なんといっても大きかったのは、猿翁さんをスーパー歌舞伎の大スターにした紫さんだった。大先輩の順番や家柄などで一枚看板での興業が打てなかった猿翁さんを、彼女が尽力して一枚看板で興行が打てるようにしたのだ。

紫さんは松竹の演劇担当役員に交渉して、興業の失敗を「すべて被る」と言う約束を取り付けスーパー歌舞伎の興行に打って出た。

‘86年にスーパー歌舞伎「ヤマトタケル」が幕を開けるが、チケットが買えないほどの大ヒットに繋がった。今では猿翁さんではなく、4代目市川猿之助さんに変わっているが、スーパー歌舞伎は「ワンピース」「新作オグリ」「空ヲ刻ム者」など、松竹歌舞伎のドル箱興行に。

それを影で作り上げたのが藤間紫さんだった。紫さんにまつわる兄妹のスキャンダルは、いずれまとめて書いてみたいな…。

  • 石川敏男(芸能レポーター)

    ‘46年生まれ、東京都出身。松竹宣伝部→女性誌記者→芸能レポーターという異色の経歴の持ち主。『ザ・ワイド』『情報ライブ ミヤネ屋』(ともに日本テレビ系)などで活躍後、現在は『めんたいワイド』(福岡放送)、『す・またん』(読売テレビ)、ラジオは福井放送、ラジオ関西、レインボータウンFMにレギュラー出演中

  • 写真共同通信、松竹提供

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