追悼・志村けんさん『加トケン』スタッフが明かす「緊迫の木曜日」

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多くの芸能人に慕われていた志村さん。写真は06年2月の誕生会の様子。明け方6時に志村さんが帰宅しようとするとタレントたちが深々と頭を下げた

薄いサングラスをかけた無表情の男性が入室すると、部屋に緊張が走る。TBS別館のリハーサルルーム。入ってきたのは、コメディアンの志村けんさんだ。毎週木曜日に行われていた、バラエティ番組『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』(以下『加トケン』。86年〜92年放送)の緊迫の台本会議(通称「木曜会議」)が始まろうとしていたーー。

新型コロナウイルスによる肺炎で志村さんが他界し、3月29日で1年になる。世界的にも有名なコメディアンの死は、日本中に衝撃を与えた。なぜ志村さんのギャグは、今も多くの人の心に響くのだろう。あらためて振り返りたい。

冒頭で紹介した「木曜会議」で、放送作家だった西条昇氏(56、現・江戸川大学教授)は常に志村さんの隣に座っていた。西条氏が振り返る(以下、発言は西条氏)。

「テレビでの陽気な雰囲気と違い、志村さんの素顔はストイックです。会議の雰囲気は重かったですね。参加したのは志村さんに加藤茶さん、プロデューサーに担当ディレクター、前番組『8時だョ!全員集合』時代からのベテラン作家4〜5人。そして駆け出しの私です。

部屋に集まるのは午後3時。まず出前の蕎麦を食べながら雑談します。志村さんが『最近こんな映画を見て面白かった』などと話してね。1時間ほどすると、ディレクターが声をかけます。『そろそろ会議に入らせていただきます』。緊迫の会議のスタートです」

ADが、その週担当する作家の台本を全員に配る。西条氏とって、自分が担当した時の会議は針のムシロだったという。

「志村さんや加藤さんが、無言で台本を読み始めます。しばらくすると『う〜ん』とうなって、腕を組み天井を見上げたり、机につっぷして一点をジ~ッと見つめたりする。『良い』とも『悪い』とも言ってくれません。沈黙がひたすら2時間近く続くんです。ため息などつかれると、こたえましたね。何か意見を言わなければと思うのですが、深い沈黙を破るのに相当なプレッシャーを感じました。

しばらくすると、ポツリポツリと『ここはこうしよう』と志村さんや加藤さんがアイデアを出し始めます。それをADがホワイトボードに書き出す。美術さんも控えていて、セットができるか相談することもありました。話し合いは行ったり来たり。煮詰まって、振り出し戻ることもたびたびです。会議が終わるのは早くて夜10時。深夜12時を超えることもしょっちゅうでした」

嬉しかった何気ない一言

『FRIDAY』は美女と連れ立ってバーにくり出す志村さんの姿をたびたびキャッチした

提出した台本が原型をとどめることは、まずない。まったく違う構成になることもあり、作家としてシンドい時間だったという。会議では、なかなか発言できなかった西条氏。まだ緊迫感の薄い蕎麦を食べながらの雑談中に、志村さんに話しかけるようにしていた。

「志村さんが『面白い』と言った映画を鑑賞し、『ボクも見ました』と積極的に感想を言うようにしたんです。すると志村さんが、少しずつ『このドラマも良かったよ』と話してくれるようになりました。

『加トケン』のスタジオ収録に立ち会った時のことです。モニターでご自身の出演シーンをチェックしていた志村さんが、離れた所に立っていた私にこう話しかけてくれました。『西条君、毎週フジテレビでも収録しているから見にくれば』と。気にかけていただいたのが、嬉しかったですね。先輩作家は『志村さんがあんなことを言うのは珍しい』と驚いていました」

『加トケン』には、海外の笑いが積極的に取り入れられていた。

「志村さんは、笑いに関して誰よりも研究熱心でした。東京・六本木にあった『WAVE』という輸入レコード店に行き、日本では発売していない海外のコント番組やコメディ映画のビデオを何十本と注文するんです。志村さんはお酒好きで有名ですが、どんなに酔って帰宅しても必ずビデオをチェックしていたとか。

鑑賞の仕方も独特です。早送りで見て、面白そうな場面になると通常の速度に戻す。志村さんは『笑いは動き7割、言葉3割』と言っていました。ストーリーよりも、役者の動きに注意していたのでしょう」

志村さんが参考にしたのが、例えばカナダ出身の俳優レスリー・ニールセンの『フライング・コップ』だ。最後のタイトルロールで出演者がストップモーションになっているように見せかけ、実は動きを止めているだけという仕掛け。固まっている出演者の後ろで、動物たちが勝手に動くというギャグをアレンジして採用した。

「志村さんが好きな映画に、ジャック・レモン主演の『おかしな夫婦』があります。地方の夫妻がニューヨークに来て、さまざまなトラブルに巻き込まれるというドタバタコメディです。私も取り寄せて見ましたが、終始笑いっぱなしでした。

私が『加トケン』を離れ、7〜8年ほどたったころでしょうか。雑誌の企画で、志村さんをインタビューしたことがあります。志村さんは私の顔を見るなり、こう言いました。『西条君、ジャック・レモンが、ついてない夫の役を演じる映画、なんだっけ?』。志村さんは映画やドラマを、コントのために見ています。だから、タイトルは覚えていないんでしょうね」

毎晩酒を飲んでいた意味

『加トケン』の放送作家だった西条氏。『ニッポンの爆笑王100』(白泉社)などお笑いに関する著書は多い。「サイジョーズ」というバンドを結成し芸能事務所を経営したことも

志村さんが参考にしたのは、海外の作品ばかりではない。歌舞伎や狂言、上方漫才など、あらゆる笑いを研究していた。両目を中央に寄せる「だっふんだ」の表情は、落語家・桂枝雀の影響を受けているといわれる。酒の席でも、頭の中には笑いがあったようだ。

「志村さんの酒は、単なる息抜きではなかったと思います。スタッフと飲みに行くことは、ほとんどありません。ご一緒願うのは、以前は片岡鶴太郎さんや『とんねるず』の木梨憲武さん。最近では、『ダチョウ倶楽部』の上島竜兵さんや『千鳥』の大悟さんでした。

タレントや役者さんと飲みに行くのは、二つの理由があったと思います。一つは、気の合う共演者を探していたから。もう一つは、一緒にテレビに出る演者と気心を通じさせるため。プライベートでも、呼吸を合わせたかったのでしょう」

西条氏は、志村さんのストイックされ触れたからこそ、その後もお笑いの仕事にたずさわれたと考える。

「『加トケン』のヒリヒリした会議で鍛えられ、他のバラエティ番組からも作家として声をかけてもらえたと思います。それまでの番組は、台本を作家やプロデューサー任せにすることが多かった。コメディアンが中心となりアイデアを出すようになったのは、『ドリフターズ』や志村さんがさきがけといっていい。緊張感やプレッシャーは強かったですが、おかげで笑いに本気で取り組めるようになりました」

志村さんが亡くなって1年ーー。新境地でスタートする矢先の訃報に、あらためて偉大なコメディアンの死が惜しまれる。

「山田洋次監督の映画『キネマの神様』で、主役として出演することが決まっていましたからね。山田監督といえば、代表作は渥美清さんの『男はつらいよ』でしょう。志村さんも『志村魂』で座長を務めるなど、コメディアンから喜劇俳優として活動の幅を広げようとしていました。志村さんは、映画でどんな演技を見せてくれたのか。実現しなかったのが、残念でなりません」

「バカ殿様」「変なおじさん」「ひとみばあさん」……。志村さんが演じた、愛すべきキャラクターたち。日本一ストイックなコメディアンのコントは、これからも私たちを笑顔でいさせてくれる。

  • 撮影桑田真

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