実母が妹と弟を絞殺…親子の縁を絶った女性の悲痛な叫び | FRIDAYデジタル

実母が妹と弟を絞殺…親子の縁を絶った女性の悲痛な叫び

ノンフィクション作家・石井光太が事件の深層に迫る。衝撃ルポ 第12回

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親族間では関係が近いゆえにトラブルが大ごとになるケースが多い(写真はイメージです。画像:吉澤菜穂/アフロ)
親族間では関係が近いゆえにトラブルが大ごとになるケースが多い(写真はイメージです。画像:吉澤菜穂/アフロ)

ある日、私のもとに、殺人事件の加害者家族から1通のメールが届いた。母親が、その女性の妹と弟を殺害したのだという。彼女は言った。

「私が16歳だった時、母親が幼い妹と弟を殺害しました。それ以来、私はずっとその現実に苦しみながら生きてきました。妹と弟を殺された被害者である一方で、殺人者の母親を持つ加害者家族として、誰にも胸の内を語ることができませんでした。そのことを打ち明けたいのです」

現在、日本の殺人事件の半数以上が、親族間で起きていることを知っているだろうか。

ニュースで大々的に報じられる強盗殺人や猟奇殺人は、実は年間でも数えるほどしかない。ほとんど報じられない親族間の殺人が、多数を占めるのだ。

親族間の殺人事件では、遺族は加害者家族と被害者家族という両面を持つ。それゆえ、彼らは被害者としての苦しみを抱えているのに、殺人者の家族として冷たい目を向けられなければならない。

そんな複数の家族の人生を、私は『近親殺人ーーそばにいたから』(新潮社)で描いた。その中から一つの事件を紹介したい。

祖母を「ママ」と呼んだワケ

栃木県の温泉街に近い町で、岡垣瞳(仮名。以下すべて仮名)は生まれた。物心ついた時、瞳は祖父母の手によって育てられ、祖母のことを「ママ」と呼んでいた。実の母親から育児放棄されたためだ。

瞳の実母である弓子は、1966年の生まれ。幼少期から素行が悪く、窃盗やトラブルをくり返した。中学卒業後は温泉街で住み込みのコンパニオンとして働きはじめ、毎晩浴びるように酒を飲んで、温泉街の男たちと恋仲になったが、情緒不安定で頻繁に自殺未遂を起こした。その都度、両親は警察や関係者に呼ばれたという。

弓子が瞳を妊娠したのは、17歳の時だった。相手の男と籍を入れたものの、毎日のように大喧嘩をし、数ヵ月で追い出して離婚してしまう。

彼女は一人で瞳を出産し、乳飲み子の瞳を実家に押しつけ、温泉街のコンパニオンに舞い戻った。

その後も、弓子は瞳のことを放ったらかしにしたり、捨てるように乳児院に預けたりした。祖父母は見るに見かねて瞳を引き取り、弓子に代わって育てることを決めた。瞳が祖母のことを「ママ」と呼ぶようになったのは、そのためだ。

実家での暮らしは平穏だったが、たまに弓子がやってくる時は台風に巻き込まれるようだった。

弓子は気まぐれに弓子を自分のアパートに連れて行って食事を食べさせたりするのだが、些細な事で怒鳴り散らしたり、手を上げたりした。瞳を車に乗せて心中未遂を起こしたこともあった。

瞳は弓子のことを母とは呼ばず、「あの方」と呼んでこう語る。

「私が幼い頃から、あの方の言動はまったく理解できませんでした。ひどい潔癖症で消しゴムのカス一つ落としただけで怒鳴って叩いてきたし、話もほとんど筋が通っていませんでした。とにかく〝わからない人〟〝怖い人〟という印象だったんです。年齢がいってからは、あの方が実の母だとわかりましたが、一緒に暮らすイメージはまったくわきませんでした」

瞳が小学6年生の頃、弓子は二度目の結婚をする。相手は自動車メーカーに勤める年下の男だった。瞳によれば、弓子はこう言ったそうだ。

「瞳は私の籍に入っているんだから、再婚後は新しい家族の一員になる。だから一緒に暮らすでしょ?」

瞳は、弓子と暮らすのも、誰とも知らない男性の義娘になるのも嫌だった。それで伯母の養子にしてもらい、引き続き実家で暮らす道を選んだ。それほど恐れていたのだ。

悲劇がはじまったキッカケ

弓子は夫の実家で新婚生活をスタートさせたが、生活は最初から壊れていた。

彼女は三十代後半になっても生活能力がまるでなく、感情的な言動をくり返した。夫の方も酒癖が悪く、家庭内暴力をふるうような男だった。二人は毎日のように罵り合い、傷つけ合った。家庭内暴力が行き過ぎて、弓子が病院に担ぎ込まれることもあった。

二人の間には最初に女児、次に男児が生まれたが、子供たちも暴力をふるわれていたらしい。特に女児が標的になることが多く、体にはアザや傷が絶えなかった。

それでも家族の生活がなんとか成り立っていたのは、実家にいた夫方の両親がブレーキ役になっていたからだろう。

ところが、結婚から約3年が過ぎた時、二人は実家を出て、勤め先の社宅へ移り住むことになる。これが悲劇のはじまりだった。

生活能力のない弓子と、暴力をふるう夫、そして幼い子供だけになれば、家族の関係はあっという間に悪化していく。

社宅での家庭内暴力、子供への虐待は日に日に激しくなっていき、弓子はこれまでにないほど精神が不安定になっていった。

事件が起きたのは、そんなある日のことだった。

夫が会社へ行った後、精神的に追い込まれていた弓子は「心中しよう」と決意する。そしてまず女児の首を絞めて殺害し、次に寝室にいた男児を同じように絞殺した。そして二人の子供の遺体を車に乗せ、自分が自殺できる場所を探した。

何時間も車を運転して町をぐるぐると回ったが、弓子は自殺することができなかった。夕方近くなり、彼女は会社にいた夫に電話をし、すべてを打ち明けた。あわてて帰宅した夫が見たのは、すでに冷たくなっていた二人の子の遺体だった。

「警察に連絡しよう」

夫がそう言って110番通報したことで、事件が発覚したのである。

裁判で、弓子は懲役8年の刑を言い渡され、刑務所に収監されることになった。

当時、瞳は16歳で、中学を卒業した後、理容室で見習いのような仕事をしていた。事件を知った時は、愕然とすることしかできなかった。いくら弓子が異常だとはいえ、まさか妹と弟を殺すなんて……。

「あの方」

その後も実家に暮らしながら理容室の仕事をつづけたが、世間の空気は冷たかった。周りからは〝殺人者の娘〟として見られ、仲良くしていた友達が次々と離れていった。スーパーへ行っても、誰かから後ろ指をされているような気持ちだった。

瞳は語る。

「小さな町だったので、人々からの冷たい眼差しをすごく感じました。親が殺人事件を起こしたので仕方ないのかもしれませんが、私は妹と弟を殺された被害者でもあるはずなんです。なのに、そのつらさを誰にも話せないし、理解もしてもらえない。それがとてもつらかったです」

たとえば、通り魔に妹を殺された姉であれば、世間から同情してもらえるし、誰かに悲しみを打ち明けることもできるだろう。だが、加害者家族という一面があるがゆえに、それがかなわないのだ。

瞳はそんな苦しみの中で、刑務所の弓子に会いに行き、事件についての思いを聞こうと決めた。せめて、自分や殺された妹弟に対する謝罪の言葉を述べてもらいたかった。

それから、瞳は刑務所に通ったり、手紙を出したりしたが、弓子はまったく事件について語ろうとしなかった。刑務所での生活の愚痴をたらたら述べたり、出所した後の夢を語ったり、新聞で読んだ別の子殺し事件の犯人を平然と批判したりするだけなのだ。

さらに弓子は、瞳に差し入れするように要求した。菓子、洋服、現金と次々と高いものを求めてくる。

当時、瞳は理容室とスナックで仕事を掛け持ちしていたが、手取りは10万円そこそこ。その大半を、弓子への面会や差し入れのために費やさなければならなかった。

瞳の言葉だ。

「あの方は、事件のことを話そうとしませんでした。すっかり忘れているような感じだったんです。でも、私としては絶対にそれじゃダメだと思っていました。あの方が事件を反省して更生する意思を見せなければ、殺された妹や弟が浮かばれないじゃないですか。私の人生が壊された意味だってなくなってしまう。だから、私はお金を払いつづけてまで、あの方に会ったんです」

瞳は、どこかで事件を納得できるものにしたかった。それには弓子が事件を起こした理由を話し、謝罪する必要があったのだ。

刑期を終えて出所しても、弓子は事件のことには触れようとしなかった。

社会復帰した彼女は、反省するどころか、風俗店で働きだし、その店長の愛人となった。長い刑務所暮らしがつづいた反動か、彼女は四十代後半になっているにもかかわらず、年甲斐もなくギャルのようなファッションに身をつつみ、ブランドバッグを持ち、美容整形手術まではじめた。青春を取りもどそうとしていたのだろう。

瞳は、そんな弓子のことがますます理解できなくなった。そしてある日、正面から事件のことを切り出した。事件のことをちゃんと説明し、反省してほしい、と。

だが、弓子は、「事件は終わったことだ」「自分は懲役へ行ったんだから責任は果たした」「もう考えたくない」とくり返し、がんとして過去と向き合おうとしなかった。

瞳は言う。

「あの方の主張は信じられないものでした。それだけじゃなく、少し後に祖父が病気になっても会いに来なかったばかりか、葬儀が終わった後に財産分与まで求めてきたんです。事件後、祖父はあの方の代わりに方々に謝罪し、寂しい晩年を過ごしました。あの方はそんなことをこれっぽっちも考えず、お金を取ろうとしか考えていなかったのです」

この体験がきっかけとなり、瞳は弓子との関係を絶つことに決めた。

――もう、この人間に期待してもムダだ。

瞳はすでに結婚し、子供がいた。自分の家庭を守るために生きていくことにしたのだ。

この事件から見てくるのは、親子であってもわかり合えない現実と、加害者家族であり被害者家族でもある親族が置かれる苦境だ。

通り魔事件のようなものなら、被害者は周囲から同情されるし、犯人を恨むことができる。だが、家族間の殺人だと、なかなかそうはならず、その複雑な気持ちを口に出すことさえできない。だからこそ、瞳のように長い間、一人で苦しむことになる。

私はこうした家族の立場をオムニバス事件ルポとして『近親殺人』の中で複数描いたので、詳しくはそちらを読んでいただきたい。

ここで言いたいのは、日本では年間に親族間の殺人事件が418件(未遂含む)起きていて、それに関係する瞳のような家族は、何倍もの数に上るということだ。

殺人事件を本当の意味で理解するには、表面的な出来事の他に、家族が背負うこうした思いまで考える必要がある。

  • 取材・文石井光太

    77年、東京都生まれ。ノンフィクション作家。日本大学芸術学部卒業。国内外の文化、歴史、医療などをテーマに取材、執筆活動を行っている。著書に『「鬼畜」の家ーーわが子を殺す親たち』『43回の殺意 川崎中1男子生徒殺害事件の深層』『絶対貧困』『レンタルチャイルド』『浮浪児1945-』などがある。

  • 写真吉澤菜穂/アフロ

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