タイムマシーン3号が語る「M-1で容姿ネタ」から苦悩した10年 | FRIDAYデジタル

タイムマシーン3号が語る「M-1で容姿ネタ」から苦悩した10年

『賞レースで栄光をつかめなかった男たち』タイムマシーン3号

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M-1ラストイヤーに「太らせる」で大爆笑が起きた理由

“容姿イジり”に対する批判の声が大きくなった昨今。“デブネタ”を武器とするタイムマシーン3号の山本浩司と関太は、この問題とどう向き合ってきたのか――。

デビュー間もなく『爆笑オンエアバトル』(NHK総合)で頭角を現し、「M-1グランプリ 2005」の決勝に進出するなど早くから注目を浴びたタイムマシーン3号。爆発的なブレークこそないものの、現在でも『有吉の壁』(日本テレビ系)にレギュラー出演するなど、常に第一線で活躍している。 

初めてのM-1決勝での“容姿イジり”で挫折し、約10年に渡って試行錯誤を続けた彼らから出たのは「観客の笑い」という、実にシンプルな答えだった。その経歴を振り返りながら、真意に迫る。

タイムマシーン3号の山本浩司(左)と関太(撮影:スギゾー)
タイムマシーン3号の山本浩司(左)と関太(撮影:スギゾー)

『有吉の壁』はコラボが面白い 

――現在、『有吉の壁』(日本テレビ系)で活躍されています。レギュラーメンバーの中では年長組になると思いますが、出演されていて何か感じるところはありますか?

山本:最初の頃は『先輩の壁』っていうのがあって、僕らよりちょっとお兄さんたちも出てたんですよ。ただ、今はその枠もだんだんなくなってきて。オレら以外だとロッチの中岡(創一)さん、アルコ&ピースの平子(祐希)さんぐらいで本当に少ないですね。 

関:第七世代の出し物とか見てると、やっぱり若い発想だなと思います。いい意味で、「第七世代vs第6~6.5」みたいな図式もちょっとあるので、おじさんたちが頑張ろうみたいになってますし。お互いに切磋琢磨して、いいライバル関係になってると思いますよ。 

山本:第七世代じゃないですけど、コラボのネタやる時にインポッシブルの2人から「山本さんはこっちから動いていただいて、最後に死んでいただいて終わりです」って説明を受けたんですよ。ただ、よくよく考えても“死ぬオチ”って何だかわかんない(笑)。理解不能だったりしますけど、そういうのも面白いですよね。 

関:今まで経験したことのない笑いがとれるのはすごく新鮮ですね。「あ、この笑い気持ちいいね」って日がたまにあるんですよ。(とにかく明るい)安村とやってみて、初めて「こうなるんだ!」みたいな。そういうのはコンビじゃ絶対に生まれないので。 

山本:『有吉の壁』は、見たことない景色に連れてってくれる。「こんなに酸素薄いのか」っていうぐらいの(笑)。「安村ってずっとこんなところでおぼれてるのか!」って驚きますよ。スベッたら普通はそそくさと帰りたくなるものじゃないですか。安村は「スベッた時こそ現場にいるべきでしょ」って言うんですよ。すごいトコで生きてるなーって思います。

「お客さんにウケる」しか正義がなかった 

――お二人はデビュー間もなく『爆笑オンエアバトル』(NHK総合)に出演していて、「満点545KBを獲得」「4連続オーバー500」など様々な記録を残しています。なぜ最初からここまで受け入れられたと思いますか?

関:あの当時は、お笑いに強い事務所に所属していたわけでもなかったですし、本当にオンバトしか仕事がなかったんです。やっぱりお客さんが入る形式なので、「お客さんの笑いをとる」って一点に集中してた気がします。世界観出してウケるまでやろうって感じではなかったので。 

山本:自己分析すると、一番は「やりたい笑いがなかった」ってことだと思うんですよね。我々には「周りにウケなくてもいいから、とにかくこの笑いをやりたい」とかっていうのがなくて。それが良くも悪くも、たまたまオンバトにハマっちゃってたんだと思う。それで何年後かに苦い思いをするんですけど。 

ただ、その当時は目先の笑いが一番だと考えて、「この客層でこういう場だったら、こういう笑いじゃない?」ってやってましたね。ちょっと頭でっかちというか。だから、恐らく“当て勘”はいいほうだったんでしょうね。 

関:やりたい笑いが「もうとにかく目先のお客さんに笑ってもらいたい」だったんですよね。まずウケないと嫌というか。 

――時代的には、いわゆる「ダウンタウン病」を患う芸人さんが多かったと思うんです。逆にそっちのほうが珍しかったんじゃないですか?

山本:ダウンタウンさんは好きだけど、「ダウンタウンさんになりたい」ってことではなかったんでしょうね。もちろん笑って見てましたけど、「ああいうふうになりたい」とはならなかった。格好いいからそうなりたいって感じではなかったのかもしれないですね。 

あとは最初の事務所(アップフロント)にお笑いの先輩がいなかったんですよ。だから、身近にそういう人がいなかったのもあるかもしれない。「お客さんにウケる」ってことしか正義がなかったので。ちょっとずつ蓄積していって、自分の中でそれが正義になったんじゃないですかね。 

関:「ライブに出られるならいいか」って感じで最初の事務所に入ったので。それは大きいかもしれないですね。

M-1で挫折「オレたちの漫才は通用しないんだ」 

――2005年には、M-1グランプリ決勝に進出。勢いに乗っていた時期だと思いますが、この時はどんな心境だったんですか?

関:まさか行くとは思ってなかったので、「行っちゃったな」っていうのが正直なところです。漫才歴としても3年目ぐらい。そもそもネタ数もあんまりなかったですし、小っちゃい事務所で活動してるのもあって自信もなかったんですよ。何年も積み重ねての結果ではないから、不安がものすごかった。 

山本:(関に深くうなずいて)不安のほうが大きかったですね。 

関:もちろんすごい方々が出てる大会なのはわかっていたから、「あの決勝に行くかね」っていう感じというか。何千組のうちの8組に残るわけですから。

――実際に披露したネタに対して、審査員のコント赤信号・渡辺正行さんが「デブネタ一本通しなのがね……」とコメントしていたのが印象的でした。決勝を迎える前はそういう指摘がくると予想していましたか?

山本:ぜんぜんしてないです。逆に言えば、決勝の審査に影響するとか思ってなかったので。目の前のお客さんにウケることしか考えてなかったですから。 

関:めちゃくちゃウケると思ってやりました。とにかく準決勝がすごかったんですよ、世の中であの日が一番ウケたんじゃないかってくらい。

――すると、渡辺さんから不意を突かれたような感じだったと。

関:「デブネタ一本通し」と言われたことより、「ネタが届かなかった」ってことにガックリしましたね。あの日は「オレたちの漫才は通用しないんだ」ぐらいの気持ちがありました。そもそも想像してるようなウケではなかったし、審査員のみなさんからも、褒めるというよりは悪いこと言われてるし。それでいて、ほかの芸人の漫才がよかったので、「あの人たちには届いてないな」と納得できるというか。 

山本:デブネタのせいにするのが一番手っ取り早いんですけどね(笑)。「もし別のネタをやってたら……」って想像したところで、僕らはそれでウケたから決勝に行ったわけだし。単純に僕たちのお笑い力、漫才力が至らなかったんですよ。 

“作り物”が受け入れられない10年間 

――その後、容姿ネタを封印しようみたいな感じはあったんですか?

山本:それで、10年ぐらい新たな武器を探す旅に出たんですよ(苦笑)。これがぜんぜん楽しくなくて。 

関:楽しくなかったですね、本当に。土日も会ってネタ合わせするんですけど、精神論しか話してないみたいな(苦笑)。解決策が見当たらないんですよ、いくらしゃべっても。 

山本:当時って、“人”を見せるような漫才がM-1で優勝していて。ブラマヨの吉田(敬)さんだったらネガティブ、チュートリアルの徳井(義実)さんだったら妄想っていうすごい武器を持ってたんですよね。そこをいくと、「じゃオレたちは一体どういう人間なんだ?」と。しばらく考えてはみたんですけど、「そもそも人柄を押し出すような漫才をやってこなかったからなぁ」って煮詰まっちゃうんですよ。 

関:「え、ゼロからか? ゼロから探すのか?」っていうね。 

山本:自分自身を見つめ直すと、意外と空虚で「ああ、何もねぇなぁ」みたいな。とはいえ、ライブがあるからネタをつくらないといけない。「とりあえず今まで通りやるか」と実際にやってみるんですけど、「そこそこウケるけど、やっぱあの人たちには勝てないなぁ」っていう負のスパイラルが延々と続いてました。 

関:オレよりも山本のほうが喜怒哀楽の感情を出せるからってことで、ボケとツッコミを入れ替えてみたりね。でも、結局は違和感があってしっくりこなくて。その数年は本当にしんどかったですね。 

山本:“作り物”が受け入れられない状態が10年ぐらい続いてて。とくにM-1がそうだったんですよね。その芸人の“オンリーワンの笑い”しか認めない玄人受けするものというか。「はいはい、その笑い知ってるよ」っていう審査員の方たちを、どううならせるかって考え続けてたら、「もう無理だ」ってなりました。 

関:むしろオレらはそこを拒否してやってきたコンビだったので。自分たちの形じゃなくて、お客さんの形に寄り添うネタをやってきたわけですよ。それが急に「いや、それダメなんですよ」って言われてもなぁっていう。 

山本:そもそも1年目からずっと間違えてたってことになるからね(笑)。つながるんですよ、全部話が。オンバトでいい思いしてきたから、逆に何年か経ってM-1で苦しむみたいな。俯瞰して見た時に、それが間違いなのかって言われると「それしかできなかった」っていうのが正直なところで。だから、「じゃあそうしなきゃよかったじゃん」って選択肢はないんですよね。もともとそれ以外の形とか武器を持ってなかったから。

 

漫才の潮流が変わった2015年

――2015年にM-1グランプリが復活して、ラストイヤーで再び決勝に進出しました。この時は、長い潜伏期間を抜け出した感覚があったんですか?

山本: 「やめたやめた、そもそもオレたちは個性なんてないんだ」と吹っ切れて、とにかくウケることのみを突き詰めていこうってなりましたね。そしたら2014年の後半あたりから、やけにライブシーンで受け入れられるようになったんです。 

漫才の潮流も、本当にちょっとずつ玄人受けするものから変わってきて。サンド(ウィッチマン)さんとか、割と万人受けするわかりやすい笑いがウケるようになっていった。我々のわかりやすい笑いと世間の潮流が合致したのが、ちょうど2015年だったんだと思います。 

M-1の予選って玄人のお客さんが多いんですけど、入れ替わった感覚もあったんですよ。当時のお笑いが大好きな人と、NON STYLEとかを応援してきた人たちが徐々に育ってきた感じ。M-1がなかった5年の間に畑がフラットに戻った感じはありました。 

関:太田プロに入ってから、先輩のマシンガンズ・西堀(亮)さんに「客受けはいいけど、芸人受けしないんですよね~」って相談したことがあるんですよ。そしたら、「え、ウケるのが嫌なの?」って逆に驚かれて。たしかに“ウケるのが嫌な理由”ってわかんないなと。そこで気持ちが切り替わったんですよ。 

だから、2013年に事務所を移籍した影響は大きいと思います。前は僕らが一番先輩で、そういう悩みは自分たちで解決するしかなかったので。あと太田プロには月1回の事務所ライブがあるんです。そこでちゃんとネタをつくって反応を見るっていう習慣ができたのもプラスに働きました。 

山本:もう一つ、それまで僕は「世界観を持ってる芸人は、誰でもできる笑いをわざとやってないんだ」と思ってたんです。けどある時、「どうやったらそんなにウケるの?」って聞かれたことがあって。「あれ? あえてやってないわけじゃないんだ」って、そこで初めて気付いたんですよ。 

それから改めて自分たちの漫才を考えた時に、「一応、オレたちもプロの人ができないことができてるのか……じゃあこのままでいいんじゃないか」ってスイッチが入った感じはありましたね。 

関:もう十分悩みましたからね。それで、結局は同じところに戻ってきた。悩んだ果ての形だから、2015年は余計な不安を感じることはなかったですね。 

M-1 で名誉挽回「ようやく払拭できた!」 

――決勝で見せた「太らせる」ってネタは当時見ていて感動したんですよ。容姿ネタとはいえ、言葉遊びと伏線回収、後半で山本さんと関さんの立場が入れ替わる意外性を含めて画期的だったなと。

山本:審査員にリーダー(渡辺正行さん)がいなかったのが残念ですよ(笑)。「最高だね、デブネタ!」って言わせたかった。本当にいろんなネタを試してる時の1個だと思うんですよね。 

関:最初は小ボケの一つか何かだったんですよ。「ちょっと今からジャニーズJr.入る」「え、デニーズJr.?」ぐらいの。そこから、「ダジャレで太らせる」ってニュアンスを広げていく中で、「太らせる能力を身につけた」っていう角度に変えただけでウケがよくなったりして。 

山本:ただ、「オレもできる」ってなったのはなんでだろ(笑)。たぶん、シンプルにひとボケ目までが早くて、全ボケに振りがいらなくてポンポンポンッと行くから、息切れが早いんですよ。その感じで5分ネタとかをやってたら、「これはちょっと飽きられてるな」と思って打開策で考え始めたんじゃないですかね。 

それで、「途中から『オレは痩せさせる』にしてみたらどうだろう」とやり始めたら、もうひと展開できたっていう。でも、目新しく見えるだけでやってることは変わらない。結局は角度を変えてるだけですから。 

関:それもオンバト時代に培ったものじゃないですかね。最後は飽きないように味を変えようっていう技術的な部分だと思います。

――結果的に4位だったわけですが、この時の心境は?

山本:前回のことがあったから、「あー、ようやく払拭できた!」「通用したー!」って感じでした。僕は結果ってどうでもよかったんです。手前みそですけど、その場がめっちゃ盛り上がってすっげぇ気持ちよかったんで。ラストイヤーで楽しく終わって最高の舞台。もしファイナルに進めたらラッキーぐらいの感じでした。 

関: 毎日思い詰めていたわけじゃないけど、どっかに10年溜まってたわけで。それと比べて「よっしゃ!」って感じでしたね。優勝どうこうとかはぜんぜん意識してなかったです。まぁ乗ってるコンビだったから、「トレンディ(エンジェル)が敗者復活できたら嫌だな」って話をしていた年ではあったんですけど。 

よく賞レースで「すごく得するコンビと、出ただけで終わっちゃうコンビがいる」って言うじゃないですか。それでいくと、2015年のM-1の中では得したコンビだと思うんです。「面白いね」って言ってくれる方がバーッと増えましたしね。当時、フォロワー数も4000人ぐらいでしたけど、一気に数万に増えましたから。 

山本:大衆向けにやってきたことが、そこで少し花開いたかなって気はしますね。 

関:今も割と幅広い世代に声掛けてもらうんですよ。お父さん世代はオンバト、お兄さん世代がM-1、今の小学生は『有吉の壁』を見てる。だから、ある意味で一番知ってもらえてる芸人かもしれないですね。何だかんだオレらずっといるんですよ、本当に。

 

容姿ネタがどうこうよりも、「笑えるかどうか」が大事 

――ここ数年で、“容姿イジり”に対する批判の声が大きくなっています。容姿ネタを武器とするお二人は、こうした世間の風潮についてどう考えていますか?

山本:やっぱり我々は有吉さんを見てますからね。あの方はそういうことを一切言わない。もし言ったとしても、面白おかしくあえてコメンテーターぶったりとか、コントっぽくするから。ああいう人があの立ち位置だと、やっぱり下は絶対そういうふうにならないんですよね。 

それがダメとかいいとかじゃなく、「そういう後輩にはならないでいよう」っていう。オレたちは難しいこと言わないで、裸になってワーワーとおでんを食っていたい(笑)。こっから先の若手のことはわからないですけど、オレたちが現役でいるまではそっちでいたいですね。 

関:「デブ」を腫れ物にしてほしくないんですよね、やってるほうとしては。フジモン(藤本敏史)さんとか好きな先輩に「おい、デブ!」ってひっぱたかれると、「嬉しい!」って思いますから。そういう愛情もあるってことですよ。 

山本:『ワイドナショー』(フジテレビ系)で3時のヒロインの福田(麻貴)さんは、「昔と客の反応が変わった」って言ってましたけど、僕らはとくにそういうのないですけどね。だから、松本(人志)さんがおっしゃるように、やっぱり“ポテンシャル”ってことなんじゃないのかなって。 

関:たしかにオレらのネタで、嫌な思いをする太った子もいるかなと思う時はあるんです。けど、さすがに自分たちの持ち味を全部に受け入れられるのは限界があるじゃないですか。僕も嫌な気持ちになった側なので、それはもう自分で解決するしかないと思うんです。そういう経験を糧にしてほしいなと。 

山本:ただ、我々はホンジャマカの石塚(英彦)さんや彦摩呂さんほどデブを昇華できてないんです。あの人たちは「よっ、出たー!」っていう伝統芸みたいなものですから。だからこそ、我々は飽きられないように時代に合わせてちょっとずつ研磨してくしかない。デブネタ一つにしても、やっぱりウケるように変えていくってことは心掛けてます。 

関:ちょっと偉そうな言い方ですけど、クレームが入らないくらいしっかり考えてやってるっていうのはあるんですよ。デブネタ1個にしても、ちゃんと漫才の流れの中で必要性があるから入れてるわけで。だから、言葉尻だけで「デブネタはよくない」っていうふうにはなってほしくないというか。 

山本:世間の人が「デブネタじゃ笑いになんないだろ」って言ってるのを聞いたことがないんですよ。もし笑えないんだとしたら、芸人はみんなアンテナ張ってるので最善の策をとると思います。容姿ネタがどうこうよりも、笑えるかどうかが大事だから。 

関:あとは言い方一つじゃないですか。太ってる女性に「デブ」って言うんじゃなくて、「スレンダーですね」「お美しいですね」って切り口もありますし(笑)。 

山本:ただ、その振りがあると「そんなわけねぇだろ!」とは絶対に言えない(笑)。爆破のスイッチ押すだけになるから。単純なツッコミができなくなるんですよ、「不快なことは言ってませんよね」っていう不思議な探り合いになっちゃう。 

たぶん、今までグレーなことがあまりにも多過ぎたんでしょうね。ずっと昭和的な社会だったというか。今になって「そのラインを決めましょう」となったら、そりゃどっかで歪みが生まれますよ。 

関:グレーだからこそ面白いこともいっぱいありますからね。少数派の後ろめたさも含めて、僕は人間味を感じるんですけどね。 


オレらの場合は個性を捨てて正解だった 

――今後、こんな活動をしていきたいというビジョンがあれば伺えますか?

関:今年で42歳になるんですけど、いまだに「今後こうしていこう」みたいな目標がないんですよね。「地元帰って活動しよう」とか「政治に打って出よう」とか。『有吉の壁』でやってる「一般人の壁」のネタを考えるので精一杯というか。 

山本:僕は、『有吉の壁』に出てから「みんなと一緒につくるやり方もある」って楽しさに気付いたんですよね。変に前に出させられて、めっちゃイジられて「うるせぇ!」って言っただけで笑いがくる。「何? この爆発力」って毎回新鮮なんですよ。だから、今はそこを楽しみたいと思ってます。

――お二人は一貫してますよね、与えられた環境の中で最大限にポテンシャルを発揮しようという姿勢が。

山本:常に最大公約数を探してますね、誰もが笑うだろうポイントを。『有吉の壁』で「どうしようか?」「こうしてみよう」とかって一緒に考えてくれる人数が増えたので、最近は本当に楽しいです。 

関:そっち方面のプロだとは思います。ただ、それって芸人というより、企業にいる新人研修の講師とかそのへんの能力なんじゃないかなって(笑)。一般企業に置き換えた時に、非常に優秀なアプローチをしてるなって思う時があるんですよね。

山本:そんな気はするなぁ(笑)。「ヒット商品を生み出したけど衰退した」とか「目の前のお客様に最善の形で届ける方法」とか。「それが一番でしょ?」って言われる一方で、「個性がない商品はダメだよね」って言われるとか。 

関:進んでるように見えて、同じところを歩んでますね(笑)。でも、ちょっとは螺旋を描けてるのかな。 

山本:きっと我々の芸風って、問題提起ではありますよね。いい悪いじゃなくて、「こういうのがあるよ」「これはどうなんだい?」っていう。改めて振り返ってみると、オレらの場合は個性みたいなものを捨てて正解だったのかなと思います。

  • 取材・文鈴木旭

    フリーランスの編集/ライター。元バンドマン、放送作家くずれ。エンタメ全般が好き。特にお笑い芸人をリスペクトしている。4月20日に『志村けん論』(朝日新聞出版)が発売された。個人サイト「不滅のライティング・ブルース」更新中。http://s-akira.jp/

  • 撮影スギゾー

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