生活が困窮した末…74歳母親と心中を図った息子の「悲しい動機」 | FRIDAYデジタル

生活が困窮した末…74歳母親と心中を図った息子の「悲しい動機」

ノンフィクション作家・石井光太が重大事件の深層に迫る。衝撃ルポ 第14回

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立て続けに襲ってくる逆境に母子は絶望し無理心中を図った(写真はイメージです。画像:吉澤美穂/アフロ)

「もう、死のっか」

――コロッと死ねればいいけど、どうにかなったらどうするの?

「大丈夫だよ。炭があるから楽に死ねる。最後に一杯飲む?」

――そうね。いただこうかな……。

これは、44歳のタクシー運転手の息子と、74歳の障害のある母親が、心中をする直前に交わした言葉である。

現在、コロナ禍によって格差がこれまでにないほど広がっていると言われている。そして貧困ゆえに死へと追いつめられる者も決して少なくない。

NHKの調査では、2020年に起きた心中事件は全国で46件、101人。しかも、その半数近くが、コロナ禍の影響で自殺者が急増した10月~12月の3ヵ月間に集中していたという。

私は、心中事件を含む親族間で起きている殺人事件を『近親殺人――そばにいたから』(新潮社)にまとめた。その中から、貧困が原因で起きた心中事件について述べたい。

放蕩三昧だった父親

東京都大田区には、「京浜工業地帯」と呼ばれる地区がある。昭和の時代までは工場で働く労働者が溢れ、活気を帯びていたが、今はさびれた風情だけが残っている。

まだ景気が良かった1970年代、一軒のそば屋があった。1階が店舗で、2階が自宅になっていた。この店は、井田一雄(仮名、以下同)と妻の彩子による家族経営だった。

近所の工場は3交代のシフト制を取っているところも多く、店はそれなりに繁盛していたようだ。夫婦は朝から晩まで働きづくめで、子供の貴志を2階に放ったらかしにしていた。

貴志が放置されていたのには事情があった。一雄は夜遊びがひどく、仕事が終わると、レジの金をポケットにねじ込み、キャバレーやスナックをハシゴし、帰宅する頃には一文無しになっていた。そのため、店は常に金欠で、彩子に多大な負担がかかり、息子の世話にまで手が回らなかったのだ。そのせいで貴志は2歳になってもしゃべれなかったというから、育児放棄に近い状態だったのだろう。

後の公判で、貴志は幼少時代を次のように振り返っている。

「子供の時に、親に構ってもらった記憶はまったくありません。覚えているのは、誰もいない部屋で朝から晩までテレビの前で過ごしていたことです。ただただ寂しいという気持ちでした」

こうした生活のせいか、貴志は会話することが苦手で、人付き合いを避けるようになった。

地元の小学校に進学した後も、一雄の金遣いは荒く、酔って帰ってきては家で暴れて、彩子を殴りつけた。貴志の言葉である。

「お母さんはかわいそうでした。あんなに働いているのに何でもないことで叩かれて……。子供の時は助けてあげたくてもあげられなかったので、別れればいいのにって思っていました。そうでなければ、僕が大きくなってから守るしかないと考えていました」

母親はボロボロの布団にくるまり……

父親の暴力の影響で、貴志は中学生になっても常におどおどし、人の目を見ることができなかった。周りからは「ネクラ」だと嘲られ、つまはじきにされた。それほど父親は貴志の人格形成に影響を及ぼしていたのである。

高校卒業後、貴志は実家を出て近所にアパートを借りて一人暮らしをはじめた。

最初はアルバイトでやりくりしていたが、25歳でタクシー会社に運転手として採用されてから生活が安定するようになる。

一方、実家のそば屋は、バブルの崩壊による景気低迷のために売り上げが激減していた。それでも父親の一雄は夜遊びをやめようとせず、彩子が親戚中を駆けずり回って借金を重ねる日々だった。

そんなある日、貴志が久々に家に帰ると、彩子がボロボロの布団にくるまって寒さに打ち震えていた。暖房をつかう金も、新しい布団を購入する金もないほど困窮していたのだ。

貴志は見ていられなくなって言った。

「母さん、この家を出よう。俺がマンションを買うから一緒に暮らそう」

2006年、貴志は2000万円の住宅ローンを組み、実家と線路を挟んだ反対側に建つマンションの3階の2LKDの部屋を購入し、彩子を住まわせた。これでようやく母親を幸せにできると思った。

マンションに引っ越してから数ヵ月は、二人にとってそれまでの人生でもっとも幸せに満ちていた。家に帰れば母親の温かい手料理が待っていて、彩子も金のことは息子に任せて自由な時間を過ごせた。

しかし、半年後に悲劇が起こる。外出中、彩子が大型トラックにはねられたのだ。頭蓋骨が陥没し、右目が飛び出すほどの重傷を負い、一命をとりとめた後も、右半身に麻痺が残り、右目は失明、嗅覚も失われることになった。

夫の一雄はこれを聞くや否や、マンションにやってきて事故の保険料や慰謝料を奪い取ろうとした。彼は「俺の金だ!」と聞く耳を持たなかったことから、貴志は一部の金を払う代わりに、離婚を認めさせ絶縁することにした。

貴志は一雄の呪縛から離れたことで、母親をこれまで以上に大切にしようと心に誓った。そして来る日も来る日も一生懸命に働き、休日には彩子を外に連れ出してスナックへ行って歌をうたったり、水族館に行ったりした。個人タクシーとして独立する時は、車のナンバーを彼女の誕生日にした。

彼がここまでつくしたのは、女性との結婚をあきらめていたことも大きかった。彼は社会人になってからも、幼い頃と同様に人付き合いが苦手で、特に女性とは話すこともままならなかった。だからこそ、代わりには母親と温かい家庭を築こうとしたのだ。

2008年、日本の経済を大きく揺るがす出来事が起こる。前年のアメリカの住宅バブル崩壊に端を発したリーマンショックが、不景気の波となって日本にも押し寄せてきたのである。これが貴志のいるタクシー業界を直撃した。

60万円の目算が15万円に

貴志は言う。

「個人タクシーをはじめるには、車の購入をはじめいろいろとお金が必要になるので、新たにローンを組みました。マンションのローンも含め、月々の返済は35万円ほどでした。一般的に個人タクシーをやれば、月収が60万円くらいになると言われていたので、やっていける計算だったんですが、リーマンショックのせいで、月収は15万円くらいに落ち込み、ローンさえ払えなくなってしまったんです」

彩子の年金が多少あったとはいえ、毎月の赤字を補填するために消費者金融からさらに借金を重ねなければならなかった。だが、景気は底を打ったままで、タクシー業界の構造も改善されず、ローンの額だけが雪だるま式に増えていく。

追い打ちをかけたのが、2011年の東日本大震災である。客が激減したばかりか、燃料費も高騰した。

貴志は将来が見えなくなった不安から極度の不眠症に陥った。借金を返せなくなった自分を待ち受ける未来を想像するだけで嘔吐感がこみ上げ、全身から汗が噴き出してくる。彼は夜ごとに大量の酒を飲んで、現実を忘れなければ眠れなかった。飲酒の量は日に日に増え、格安焼酎「大五郎」の4リットルボトルが部屋中に転がった。

やがて彼はうつ病を発症する。仕事に行こうとすると、体が動かなくなるのだ。だが、個人事業主の彼は体に鞭を打ってでも働かなければならなかった。貴志は当時を振り返る。

「うつだろうと何だろうと、とにかく働いて少しでもお金を返さなきゃということしか頭になかったです。借金が増えれば、タクシーだけでなく、マンションも失うことになります。そうなれば、母と二人でホームレスになるしかありません。それで無理やり体を動かして働いていたんです」

無理をする中で、心が限界に近づいていく。うつ病の影響もあり、だんだんと死ぬことを考えるようになるのだ。

――死んだら楽になれるんじゃないだろうか。

日に何度もそんな考えが脳裏をよぎった。

この頃の貴志の記憶はぼやけていて、週にどれくらい働いて、何をしていたか定かではない。気持ちが沈んでいた上に、倦怠感、不眠、食欲減退などで頭が回っていなかったのだ。そんな中でも、彼は一日の仕事が終わると、浴びるように大量の酒を飲んで仮眠をとるということをくり返していた。

ATMの表示に愕然

こうした生活の中で、彼の自殺願望は日増しに膨らんでいった。精神医学の研究では、自殺者の9割以上がうつ病をはじめとした精神疾患の兆候があるとされている。彼の場合も心の病が自殺願望を大きくさせていたのだろう。

2015年5月26日の明け方、貴志はほとんど客をつかまえられないまま夜勤を終えてマンションに帰った。布団に入っても、寝付けない。頭にあったのは、翌日に迫っているカードの引き落とし期日だったが、銀行口座は空だった。

貴志は寝るのをあきらめ、彩子を連れて近所のコンビニエンスストアへ行くことにした。ATMで借入をしようとしたのだ。だが、ディスプレイに出た表示は〈ご利用できません〉だった。限度額に達していたのだ。

頭が真っ白になって自宅に帰った貴志は、コップを握りしめて焼酎を飲みはじめた。もう頼れる先はない。タクシーも、マンションも失うことになる。

貴志はコップを握りしめて言った。

「もう、死のっか」

部屋の隅には数年前にキャンプ用に買った練炭があった。これで二酸化炭素を発生させれば、眠ったように逝けるはずだ。彩子は同意したように黙っていた。

貴志はその後も数十分間黙って酒を飲みつづけると、練炭を両手で抱えて台所へ運んだ。ガスコンロの上にそれを置いて火をつける。彩子は口をつぐんでいる。

貴志は母親に言った。

「最後に一杯飲む?」

「そうね。いただこうかな……」

棚からグラスを出し、コーヒーリキュールと牛乳を混ぜてカルアミルクをつくった。

二人は何も言わずに、酒を飲んだ。コンロの上では練炭が静かに燃えている。

彩子はカルアミルクを半分ほど飲んだ後、静かに立ち上がり、床に敷いてあった布団に横になった。口をつぐんだまま目蓋を閉じる。貴志は不意に寂しくなり、コップの焼酎を飲みほしてから、彩子の隣に横たわった。

同居をはじめてからも、何度か甘えて彩子と同じ布団で眠ろうとしたことがあったが、いつも「こんな狭いところ来るな」と拒まれていた。だが、この時だけは受け入れてくれた。彼女も死ぬ時くらいは息子と枕を並べていたいと思っていたのかもしれない。

貴志はそんな母親のぬくもりを感じながら、肩と肩をくっつけて目を閉じた。酔いの中で、意識が遠のいていく。これで借金の苦しみから逃れることができる。彼は不思議な安堵感につつまれながら、眠りの底に引き込まれていった。

だが、心中は失敗に終わった。

数時間後、貴志が目を覚まし、彩子だけが死亡したのだ。練炭の量が不十分だったのだろう。貴志は再び自殺をする力も残っておらず、体を引きずるようにして近所の警察署へ行き、自首したのである。

警察署にたどり着いた彼は、次のように言った。

「母を、殺しました……。せ、生活が苦しくて一緒に死のうと思ったんです。けど、自分だけ死にきれずにここに来ました。自首しにきたんです」

後に東京地裁で行われた公判で、貴志は「嘱託殺人」の罪で裁かれたものの、実刑は免れ、次のような執行猶予のつく判決が下された。

――懲役3年、執行猶予5年。

彼が心中へと至った細かな経緯、母親とのやり取り、判決の理由については『近親殺人――そばにいたから』を読んでいただきたい。ここで一つ言えるのは、経済状況が悪化した瞬間に、母親との強い絆が逆に悲しい心中事件につながるということだ。

今、コロナ禍においても少なくない人々がこういう状況に立たされていると推測できる。本人たちだけではどうしようもできないことなのだが、国は果たしてそれをどこまで理解しているだろうか。

  • 取材・文石井光太

    77年、東京都生まれ。ノンフィクション作家。日本大学芸術学部卒業。国内外の文化、歴史、医療などをテーマに取材、執筆活動を行っている。著書に『「鬼畜」の家ーーわが子を殺す親たち』『43回の殺意 川崎中1男子生徒殺害事件の深層』『絶対貧困』『レンタルチャイルド』『浮浪児1945-』などがある。

  • 写真吉澤美穂/アフロ

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