広島・原爆資料館を創った男の「知られざる壮絶生涯」 | FRIDAYデジタル

広島・原爆資料館を創った男の「知られざる壮絶生涯」

ノンフィクション作家・石井光太が知られざる戦争の真実に迫る

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広島市内の平和記念公園に設置された石碑。亡くなった方へのメッセージが刻まれている

世界に日本が残すべき戦争の負の遺産の一つが、原爆による悲劇だ。

広島にある「原爆資料館(正式名称・広島平和祈念資料館)」には、その証が無数に展示、保管されている。

原爆で死んだ子供たちの血まみれの衣服、皮膚に刻まれたケロイド、熱線で溶けた石や瓶、原爆症で抜け落ちた頭髪……。目を覆いたくなるほどむごたらしい品々が、原爆の恐怖を今に伝えている。

そんな世界屈指の戦争資料館が、一人の男の執念によってつくられたことを知っているだろうか。

その男の名前は、長岡省吾。

原爆投下の直後から、放射能に満ちた焼野原に通い、血と汗を流しながら一人で散乱する被爆資料を集めつづけ、その惨劇を残すために資料館の創設に向けて奔走する。だが、長岡の名前は、歴史から消されてしまう――。

私はこの長岡省吾の隠された事実を『原爆~広島を復興させた人々』(集英社)で描いた。 原爆投下から76年目の夏、原爆を今に残した男の存在をここに記したい。

「水……水……」

1945年8月6日、広島に原爆が投下され、約14万人が命を落としていった時、長岡省吾(当時・43歳)は隣の山口県から空に立ち上るきのこ雲を見つめていた。

長岡は、被爆した広島文理科大学(現・広島大)の地質学鉱物学の嘱託として働いていたが、この日は陸軍の求めに応じて調査に赴いていたのだ。彼は軍関係者から「新型爆弾が落ちたらしい」と聞くや否や、即座に広島に引き返す。

そこで見たのは、死の町となった広島の姿だった。

道路には建物のがれきがつみ重なり、車や電車が横倒しになっている。車内には、無数の乗客の黒焦げになった遺体が転がり、わずかに生き残った人も全身にやけどを負って口をパクパクと動かしているだけだ。

川を通りがかると、そこにも全身やけどの人たちが折り重なって死んでいる。みんな髪が焼かれ、皮膚の色も変色し、男女の見分けもつかない。

そんな中で、眼球が飛び出し、手足の折れた状態で這い回って「助けて下さい。水……水……」とかすれるような声を出している人もいる。そこかしこから聞こえる、母親の死体に泣きすがる子供たちの叫び声……。

長岡は、この時の様子を「地獄絵図」と述べているが、まさにその通りだっただろう。

刺さるような痛みの正体

平和記念資料館。原爆に関する数多くの資料が展示されている

そんな彼が原爆の威力を知るのは、爆心地近くの広島護国神社にたどり着いた時のことだった。

石の灯篭に腰を下ろしたところ、太ももに何かが刺さるような痛みを感じた。見ると、石の表面が沸騰したように泡立ち、先端が棘のようにささくれ立っている。鉱物の専門家だった長岡はとっさに思った。

「新型爆弾の熱線があまりに熱く、石が焼けて溶けたのだ。これが噂に聞く原子爆弾じゃないか」

彼は原爆のすさまじい威力を悟った。そして、この爆弾の正体を明かし、惨劇を世に伝えなければと決意するのである。

日本が連合軍に対して無条件降伏をした後から、長岡省吾の本格的な取り組みが幕を開ける。

広島の市街地は放射能とがれきと遺体に覆いつくされていた。毎日、長岡は大竹市の自宅から通い、原爆の熱線によってドロドロに溶けたガラス、アルミ、瓦、それに鉄製品といったものを集め、大八車に乗せて持ち帰った。溶解の状態や焼けた角度から原爆がどこにどのように落ち、どれだけの衝撃で町を破壊したのかを算出しようとしたのである。

だが、人々にとって広島の焼野原は「ピカの毒」がまん延する地獄の土地だった。妻は泣いて止め、近隣住民からは「ピカの毒を持ち込む輩」と見なされた。それでも長岡は制止を振り払ってこう言った。

「これらの品々はつきつめればお前たちより大切で価値があるものなのだ!」

かくいう長岡もまた原因不明の熱や出血に見舞われるなど原爆症の症状があらわれていた。長岡にとって、原爆の痕跡を集めることは、自らの命より大切なものだったのである。

長岡の家はあっという間に被爆資料で一杯になり、市内に資料置き場を設置しなければならなくなった。

当初、市内の被爆者たちでさえも、がれきを収集する長岡を「ピカで頭がおかしくなった男」と見なしてあざわらっていた。だが、長岡がこんこんと被爆資料を収集することの重要性を説いているうちに、一人また一人と理解を示して協力する者が現れた。いつしか、それは資料保存のボランティア団体になる。

原爆市長の夢

その噂を聞いたのが、原爆市長と呼ばれていた浜井信三広島市長だ。

浜井は帝大(現・東京大)を卒業後に市役所に入り、原爆投下直後は大量の食糧や衣服を配って市民の命を守り、1947年からは市長となって広島を復興に導いていた。彼の夢の一つが、広島を平和の象徴の町として生まれ変わらせ、その中心となる平和記念公園に原爆関係の資料館を設置することだった。

彼は長岡を呼び、市のバックアップで中央公民館の隣に「原爆記念館」を設置し、館長に任命する。そこに陳列された被爆資料の大半は、長岡が原爆投下直後から命を懸けて集めてきたものだった。

広島市に平和記念公園がつくられ、そこで建築家・丹下健三の実質的に初めての作品となる原爆資料館がオープンしたのは、終戦から10年後の1955年だった。

資料館に展示されたものは、むろん長岡が収集した被爆資料の数々だった。長岡は初代館長に就任する。

資料館の展示品はどれもむごたらしく、当事者なかなかは足を向けることができなかった。だが、市民たちは少しずつ原爆の悲劇を国内外の人々に伝えることの重要性を知る。その背景には、チェ・ゲバラ、ヨハネ・パウロ2世、マリリン・モンロー、ネルー、サルトルなどが訪れ、感じたことを国に帰って世界に広めたことが大きかっただろう。

やがて市民たちも寄贈という形で被爆資料の収集に協力しはじめる。子供を失った母親たちが、息子が原爆投下当日に着ていたボロボロの学生服を持ち込んだり、焼野原を歩き回ってようやく見つけた遺品の弁当箱を持ち込んだりしたのだ。子供が、亡くなった親の着ていた血に染まったワンピースを持ってくることもあった。

彼らにしてみれば、それらは大切な遺品のはずだ。そんな品を寄贈した思いは、一つだった。

――この遺品を、原爆の悲劇を伝えるために役立ててほしい。

長岡の思いは遺族へと広まり、それが資料館に展示、保管されている膨大な被爆資料となって今に残っているのだ。

現在、資料館には世界各国から毎年150万人以上もの人が訪れている(コロナ禍前)。

日本には、広島の他に、長崎にも原爆資料館があるが、この設立にも長岡がかかわっている。つまり、日本が世界に伝える原爆資料は、長岡あってこそなのだ。

息子との確執

にもかかわらず、資料館には浜井市長の銅像こそ建っているが、長岡の名前を伝えるものはごくわずかしかない。それどころか、つい最近までその名前は歴史から消されてきた。

それには、二つの理由があった。

一つが、戦時中、長岡は満州で日本軍と組んで鉱物関係の仕事をしていたためだ。特に彼は陸軍の諜報部隊と関係が深く、学歴も含めてあらゆる経歴を隠さなければならなかった。表に出てはいけない人間だったのだ。

二つ目が、息子との確執だ。息子は、陸軍と手を組んでいた長岡を見て愛国者となって学徒出陣で戦争にも行った。だが、敗戦後に帰ってきたところ、父親は手のひらを返したように旧日本軍を批判して被爆資料を集め、資料館の館長となってからは敵国だった米国人と親しくし、要人の接待をしていた。息子はそんな父親の姿勢が許せず、長岡が死んだ後、一切その資料を外に出すことを拒んだのだ。

おそらく長岡は、戦時中に軍に協力し、息子を戦争肯定論者にしたことを悔やんでいたのだろう。だからこそ、敗戦後、彼はそれまでの過去を封印し、資料館を立ち上げ、世界中の人を招いて原爆の悲劇を広めたのだ。

残念なのは、長男と長岡の間にすれ違いが起きたことだ。ゆえに、長岡は、長い間、歴史から名前を消されることとなった。

長岡の人生や資料館設立の詳しい経緯については『原爆~広島を復興させた人びと』を読んでいただきたい。

ここで強調しておきたいのは、資料館にある被爆資料は、未来永劫、世界に伝えなければならない重要なものだということだ。

だからこそ、誰が、どのように資料館をつくり、なぜ今も平和を伝える必要があるのかを、一人ひとりが理解するべきだ。

長岡が生きた戦後の時代は、原発など「原子力の平和転用」が謳われていた。だが、長岡は研究報告書に、それに抗うようにこんな一文を寄せている。

〈原子力が人類の平和に寄与する日は勿論必ず来るが、その輝かしい歴史の日に会はないでたほれて行った多くの人々に心からの幸福を願ってやまない。(原文ママ)〉

長岡がいう「幸福」とは、私たちが原爆の悲劇をきちんと胸に留め、世界に、そして未来に伝えていくことなのだろう。

  • 取材・文・撮影石井光太

    77年、東京都生まれ。ノンフィクション作家。日本大学芸術学部卒業。国内外の文化、歴史、医療などをテーマに取材、執筆活動を行っている。著書に『「鬼畜」の家ーーわが子を殺す親たち』『43回の殺意 川崎中1男子生徒殺害事件の深層』『絶対貧困』『レンタルチャイルド』『浮浪児1945-』などがある。

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