『ダチョウ倶楽部』上島竜兵「裸一貫で駆け抜けた 芸人人生」 | FRIDAYデジタル

『ダチョウ倶楽部』上島竜兵「裸一貫で駆け抜けた 芸人人生」

還暦特別インタビュー90分 若き日の葛藤、「竜兵会」への想い、志村けんさんと「最後に交わした言葉」すべてを語り尽くした!

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上島竜兵(うえしま・りゅうへい) 兵庫県出身。今年1月、還暦を迎えた。リアクション芸人として現在まで第一線で活躍している

「初期の『ダチョウ倶楽部』は計算されたトークネタを作っていたんです。いまでは想像もつかないけど、いじられるよりは、他の人をいじってた。というか、寺門ジモン(58)にお笑いに誘われて、リーダーの肥後克広(58)に出会い『ダチョウ倶楽部』を結成するまで、僕は俳優志望だったんですよ。けれど、なぜかリアクション芸で人気が出て、気づけば自分が考えていない方向に動き出して注目していただけるようになったんです。

リアクション芸で30年近くやってこれたのは、僕が美味しくなるようにいじってくれた大御所の方たちや後輩芸人たちのおかげです」

そう打ち明けるのは今年1月に還暦を迎えたお笑いトリオ『ダチョウ倶楽部』の上島竜兵(60)だ。上島の芸人人生には「三つの転機」があったという。

「リアクション芸を見出されたのは『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ?』(日本テレビ系)でした。当時はバブルでイケイケ。コンプライアンスなんてものはないから、仕掛けが大掛かりでとにかく恐かった。けれど、不思議とツラくはなかったんです。初めは出演しても隅にいるだけで喋れなかったけど、何か爪痕(つめあと)を残そうと思い、とにかく体を張って笑いを取りに行くようにしたら一番目立てるようになって、他のバラエティ番組にも出られるようになった。日々仕事が増えていく実感があって嬉しかった。

収録終わりにビートたけしさんに何度かご飯に連れていってもらったことがあるんですけど、そのときに『上島、お前がオチになるように作ってるんだからよ。他の皆はあくまでも振りなんだから、お前はたけし軍団とかまわりの人に感謝しなければならないんだよ』って言っていただいてもっともっと貪欲に笑いを取りにいくようになりましたね」

だが、 『ウルトラクイズ!!』は’96年に終了。そんななか、次に上島が出会ったのが志村けん(享年70)だった。

「初めて志村さんに会ったのは、’96年の11月ごろ。プロレスラーの川田利明さん(57)に『麻布十番で志村さんと飲んでるから来て。竜ちゃんに会いたがってる』と言われて、行ったのがキッカケ。出会ってすぐに『バカ殿に出してやるよ』って志村さんに言われて。

お酒が入ってたし、信じてなかったんだけど、ちょっとしてからマネージャーが『バカ殿決まりましたよ』って連絡してきて……あれは本当に嬉しかった。『志村けんのバカ殿様』(フジテレビ系)って僕たちからしたら夢のような番組でしたからね。それから志村さんのコント番組にも呼んでもらえるようになった。よくご飯に誘ってもらっていたんですけど、ある日、志村さんに『俺からお前に連絡して誘うっていうのはおかしいぞ、お前から連絡してきて、一杯飲ましてくださいって言うのが普通だぞ』って言われたんです。当時は携帯電話なんてなかったから志村さんの家に直接、電話するんですけど、ご本人が電話に出ると緊張して、思わずすぐに切っちゃって。

志村さんが『最近イタズラ電話が多くて困ってるんだよ〜』なんてコボしていても、『それ自分です』って言えなかったですね(笑)。お笑いの神様みたいな人だから……最初はそれくらい緊張していましたね」

3度目の黄金期の立て役者は『竜兵会』に所属する後輩芸人たちだった。いまや超売れっ子の土田晃之(48)、有吉弘行(47)、劇団ひとり(44)など錚々(そうそう)たるメンバーが名を連ねている。上島が秘蔵エピソードを明かす。

「『ダウンタウン』さんが番組終わりに後輩を誘って飯に行くのを見て『羨(うらや)ましいな』と思ったのがキッカケでした。当時まだ売れてなかった芸人たちを誘ってできたのが『竜兵会』です。最初は皆、僕と会うときは緊張していたみたいですが……。いまじゃ想像もできないかもしれないけど、あの有吉だって正座して僕が来るのを待っていたこともありました(笑)。

ただ、飲んでいるうちに僕が酔っぱらって半泣きになって、『俺はこれからどうしたらいいんだ〜』って言い出したらしいんですよ。気分がパッとしないときは必ず後輩たちと飲んでいましたからね。彼らは僕にいろいろ相談しようとしていたのに、相談相手が酔っぱらって、泣き出すもんだから……。皆が足を崩すようになったのはそれからすぐでした(笑)。本当に毎日が楽しかったね。有吉なんかは僕のボトルを勝手に飲み干して、代わりにローションを入れるんです。それを僕が『なんかこの焼酎糸ひくな〜』って飲んでいるのを見て、大爆笑でしたよ。

ほかにも、ある後輩の家で飲んでいたとき、リーダーが空気砲をパンって鳴らしたら、劇団ひとりがそのショックで小便を漏らしてしまったんです。大学生の悪ノリみたいな日々でしたね。僕のことをいまも飽きずにずっといじってくれて、皆、かわいいし頼りになりますよ。まさかみんなこんなに売れるとは思いませんでしたけどね(笑)」

志村と「最後に交わした言葉」

36年の長きにわたり、お笑いの世界を生き抜いてきた上島。当然、浮き沈みもあった。その都度(つど)、救いの手を差し伸べられたのは前述の通りだが、いまでも上島を支えるのは志村との思い出だ。これまで語ってこなかった晩年の志村との関係を明かしてくれた。

「若いころは志村さんと仕事したら、そのまま飲み会でしたね。麻布十番で食事してちょこっと飲んで夜10時ごろから高級クラブに行ってました。高級クラブなんて行ったことなかったからとにかく楽しくて、朝4時ごろまで遊んでましたね。『この後、生放送の子供番組に出演するんですよ』って言っても、志村さんは『このまま行けばいいじゃんか』なんて言うものだから、その通りにしたらその後、二度と番組に呼んでもらえなかったですね(笑)」

上島が志村の死を受け入れられるようになったのは、ごく最近のことだったという。

「去年3月、訃報(ふほう)を聞いたときは、驚きしかなかった。入院しているのは知っていたけど、まさかそんな悪くなっているとは思っていなかったから。追悼番組に出演しながら、心の中では志村さんがこの世にいない事実を信じていなかった。今年のお盆でようやく亡くなったことを受け入れられるようになりました。

それでも、志村さんを思い出さない日はありません。街でサツマイモを見かければ、志村さんが『俺がガキのころはサツマイモなんてパサパサでまずくてよ。いまでも嫌いなんだよ』って言っていたのを思い出すし、ベランダでタバコを吸ったりしているときにも志村さんの顔が浮かんでくることがあります。僕の頭がボケない限り、ずっと忘れないし、毎日思い出しながら、生きていくと思います」

二人が最後に言葉を交わしたのは、志村がこの世を去る1ヵ月前。志村の70歳の誕生日会だった。

「その日は早めに到着して、皆が来る前に30分くらい志村さんと二人きりの時間があったんですよ。そこで志村さんから『なんだか竜ちゃんと飲むの久々だな〜。寂しいじゃないか』って言われましてね。また飲みに行きましょうよ、って話したんですけど、ちょうどそれからコロナが流行り始めて、タイミングが合わなくなってしまった。最後は一人で飲みに行っていたそうです。僕も自粛してましたからね。きっと寂しい思いをされてたんでしょうね……」

還暦を迎えた上島の目標を聞いた。

「『ダチョウ倶楽部』の3人でもう一花咲かせたいよね。攻めの姿勢を忘れずに。いまのご時世では厳しいけど、いつかまた熱湯風呂に入ったり、熱々おでんとかやりたいな」

天国の志村も、上島の奮闘を大好きなお酒片手に見守っているに違いない。

36年間の芸人人生を笑顔で語る上島。「リアクション芸が辛いとは思わない。だって、自分が一番オイシイからねか(笑)」
上島は’97年に『バカ殿』に初出演。’06年から舞台『志村魂』の全公演に出演し、公私共に交流があった
本誌未掲載カット 『ダチョウ倶楽部』上島竜兵「裸一貫で駆け抜けた 芸人人生」還暦特別インタビュー
本誌未掲載カット 『ダチョウ倶楽部』上島竜兵「裸一貫で駆け抜けた 芸人人生」還暦特別インタビュー
本誌未掲載カット 『ダチョウ倶楽部』上島竜兵「裸一貫で駆け抜けた 芸人人生」還暦特別インタビュー

『FRIDAY』2021年9月10日号より

  • 撮影濱﨑慎治

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