ネットカフェで出産…望まぬ妊娠をした女性が歩んだ「数奇な人生」 | FRIDAYデジタル

ネットカフェで出産…望まぬ妊娠をした女性が歩んだ「数奇な人生」

ノンフィクション作家・石井光太が日本社会の深層に迫る!

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特別養子縁組支援団体のNPO法人「Babyぽけっと」で取材にこたえる春菜さん
特別養子縁組支援団体のNPO法人「Babyぽけっと」で取材にこたえる春菜さん

暑い夏の盛り、渋谷のPARCO(パルコ)近くのインターネットカフェのトイレで、23歳の女性は洋式トイレに腰を下ろし、赤ん坊を生み落とそうとしていた。膣からは羊水で濡れた頭が出てきている。

15歳から家出をし、援助交際をしてきた彼女は、妊娠して以来、病院へ行くどころか、誰かに相談をしたことすらなかった。父親が誰かもわからない。そんな赤ん坊を、寝場所にしていたネットカフェで産もうとしているのだ。

午後4時40分、彼女は大量の血液とともに赤ん坊を出産した。便器には赤ん坊と胎盤が音を立てて落ち、壁や床にも血が飛び散った。

彼女は便器内の凄惨な光景を目の当たりにし、どうしていいかわからなくなった。そして、すべてをそのままにしてトイレから飛び出し、店内の自分の個室に閉じこもったのだ。

ほどなくして、店員がトイレにいる赤ん坊を発見し、110番通報した。数分後に駆けつけた警察官が店内の防犯ビデオを確認し、個室でぐったりしている彼女を逮捕した。

救急車によって赤ん坊は病院へ搬送されたが、産道を通る際に頭蓋骨が圧迫されていた上に、何の処置も施されずに便器内に放置されたことから、一時半後に死亡した――。

21年秋、私はかつてネットカフェで赤ん坊を生み落として死なせた女性が、再び望まない妊娠をしたと聞いて会いに行くことにした。

到着したのは、茨城県土浦市にある特別養子縁組支援団体のNPO法人「Babyぽけっと」だ。

ここでは、望まぬ妊娠をした女性が産んだ子供を、不妊の夫婦に特別養子として出す事業が行われている。この母子寮に、かつて渋谷のネットカフェで事件を起こした女性が身を寄せていたのだ。

選んだ職業は「SMの女王様」

私が母子寮を訪れた日、その女性――住吉春菜(仮名)は1ヵ月前に出産を終え、すでに西日本に暮らす夫婦に子供を特別養子に出していた。現在は住むところがないので、母子寮で暮らしながら職探しをしているという。

彼女に、生い立ちから事件のこと、そして今回の妊娠にいたるライフストリーを聞くことにした。

神奈川県で生まれ育った春菜の実家は公民館と一体型の住宅だったという。公民館と壁一枚隔てた部屋が借家になっていたのだ。

物心ついた時から、母親は春菜にとって「変わったママ」だった。20歳で春菜を生んだ彼女の職業は、SMクラブの女王様。

幼少期の記憶は、母親が日課のようにキッチンの鍋でSM用の太い縄を煮ていたことだ。縄が肌になじむように柔らかくするのだという。SMの専門誌にも登場していたというから、その世界では有名だったのだろう。

小学6年の頃、母親は父親と離婚。わずか数ヵ月後に、6才下の男性と再婚する。彼はクラブの料理人だったが、覚醒剤中毒でひどい酒乱だった。ある朝、いきなり母親が家に連れ込んだと思ったら、そのまま居座って再婚したのだ。

春菜は当時のことをこう語る。

「離婚して引っ越したと思ったら、私がその土地に慣れないうちにいきなり再婚したでしょ。さらにオジさん(義父)はすごく酒癖が悪くて、夜中に帰宅して飲みはじめて酔ってくると、ほぼ毎回DVがはじまるの。最初は言い合いで、最後は殴る蹴る。

毎日そんな感じだったんで、マジうんざりだった。私が止めに入ることもあったけど、ムダだった。私の方が殴られて鼻や肋骨を折られただけ。

それなのに、お母さんはオジさんに夢中なの。いつまで経っても『女』って感じで、私を放ったらかしにしてオジさんにべったり。それで私は何もかも嫌になっちゃって、学校へ行かずに外をずっとブラブラして過ごしてた」

学校へ行くのは、昼食を食べる時だけ。学校は弁当制だったが、持参できない子は教師がコンビニのおにぎりを買い与えていたそうだ。

「中絶させなさい」

中学卒業後、春菜は定時制高校へ進学した。家にいて毎日のように義父のDVに巻き込まれるのが嫌で、初めてできた恋人の家に居候するようになる。

1年の2学期、春菜は彼氏の子供を妊娠していることがわかった。彼氏の母親がそれに気づき、怒り狂って春菜の母親に電話をした。

「おたくの娘、どういうつもり? うちの息子の子供を妊娠したって言ってるけど。あんたの家で手術代出せないなら、うちで払うから、娘に中絶させなさい」

どちらの親にも問題があったことは想像に難くない。

春菜は中絶手術を受けた後、彼の家にいられなくなり、かといって実家に帰る気にもならず、家出少女として渋谷に流れ着いた。

当時の渋谷では、公衆電話からテレクラに電話をして行う売春が「援助交際」と呼ばれて流行していた。客の大半は40~50代の男性で、相場は一回につき2~3万円だ。

春菜は週に2、3人の客を取って小銭を稼いでは、ネットカフェに寝泊まりした。援助交際は生活費を稼ぐ手段でしかなく、手持ちの金が底をつけばテレクラに行くという生活だった。

彼女は言う。

「ホームレス同然の生活だよね。もともと信頼できる友達なんて一人もいたことがなかったけど、さすがに話し相手さえいないのは寂しいから、センター街にいた家出の子に話かけて過ごしてた。何話してたか覚えてないな。その子も友達ってより、時間つぶしの相手だよね。お互いそんなだったと思う」

渋谷でネットカフェ難民をしている間、彼女は何度か警察に補導され、鑑別所へ送られた。だが、母親は一度も面会に来なかった。

唯一の趣味は、ジャニーズショップでアイドルの生写真を購入することだった。援助交際で稼いだお金で何百枚、何千枚と買い集め、ネットカフェにおけないほどの量になると神奈川の実家に送った。まるでマッチ売りの少女が小さな炎を見つめるように、彼女はアイドルの写真を見つめて心の支えにしていたのだ。

そんな10代半ばの少女にとって、居場所だったのがハプニングバーだ。渋谷にあるNという店だ。見知らぬ男女が出会い、その場で性的な関係になったり、それを鑑賞したりするのを目的とした店だ。

春菜の言葉である。

「Nは女性の飲食や泊まりが全部無料だった。私は、お母さんが毎日ドルチェ&ガッバーナのバッグに縄つめてSMクラブに出勤してるの見て育ったでしょ。だから、なんとなく性の裏世界にずっと興味があった。どういうところなんだろうって。

それで家出をしてから、興味本位でハプバーに行ってみた。そしたら、ただでお酒飲めたり、シャワー浴びられたりするし、人と話して暇つぶしできるから、たちまち居心地が良くなっちゃった。10代だったからチヤホヤされたしね。

ハプバーでのセックスがいいってことはなかった。援交と同じで何も感じない。でも、帰る場所っていうか、私でもいてもいい場所があるっていうのは嬉しかった。店員からも『また来てくれてありがとう』『明日も来てね』って有難がられるじゃん。単なる客としか扱われないネットカフェよりはずっと居場所感があるよね」

親から捨てられ、路上の仲間とも信頼関係が築けなかった彼女にといって、ハプニングバーは「家」のようなところだったのだろう。アダルトビデオに出演したのもこの頃だ。

そんな乱れた生活の代償として、ついに春菜は19歳の時に北関東にある女子少年院へ送られた。虞犯で、約1年間でそこで矯正教育を受けて過ごすことになったのである。

再び渋谷へ

女子少年院を出院したのは、20歳の時だった。帰住先は、神奈川県の実家だった。だが、義父のDVはまだつづいており、すぐに春菜は生活に嫌気が差した。そして1年も経たずに家を飛び出した。

再び渋谷にもどった春菜を待っていたのは、ネットカフェ、援助交際、ハプニングバーという以前同様の生活だった。

この頃の春菜は、生きることに何の希望も見いだせず、これからどうしたいとか、どうなりたいと考える余裕すらなかった。ただ体を売り、ネットカフェで眠り、アイドルの生写真を買い集め、孤独に耐えられなくなるとハプニングバーへ行った。

当時の気持ちを、春菜は「生きていても死んでいるような感じ」と語る。ありとあらゆることが投げやりになっていて、自分の体どころか、命さえ大切にできなかったのだろう。

事件を起こしたのは、それから3年が経った23歳の時だった。春菜はまだネットカフェで過ごす生活をつづけていた。そして気がついた時には、父親のわからない赤ん坊を妊娠しており、病院へ行くことさえなく、お腹の痛みとともに住んでいたネットカフェのトイレにこもり、赤ん坊を産み落としたのだ。

彼女は振り返る。

「何があったのか、あんまり覚えてないんだよね。よくわかんない。気がついたら、あんなことになってたって感じ。捕まるとかはどうでもよかった。生んだ後は、ただ横になってただけ。そしたら警察が来て捕まった。なんだったんだろ。よくわかんない」

自分の体や命さえどうでもいいような気持ちだったため、赤ん坊のことにまで頭が回らなかったのだろう。

裁判の結果、彼女は保護責任者遺棄致死罪で1年半の実刑判決を下された。

この時、本人はもちろん、裁判官は十数年後に再び彼女が育てられない子を生み落とすとは思わなかったはずだ。

【後編】では刑務所を出てから、二度目の出産にいたるまでの波乱の経緯を詳述します。

【後編】彼氏も親も知らない妊娠で…家出女性が選んだ「意外な選択肢」

  • 取材・文・撮影石井光太

    77年、東京都生まれ。ノンフィクション作家。日本大学芸術学部卒業。国内外の文化、歴史、医療などをテーマに取材、執筆活動を行っている。著書に『「鬼畜」の家ーーわが子を殺す親たち』『43回の殺意 川崎中1男子生徒殺害事件の深層』『レンタルチャイルド』『近親殺人』『格差と分断の社会地図』などがある。

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