学校の教師も露骨に無視…暴力団の息子たちが語る「差別の現実」 | FRIDAYデジタル

学校の教師も露骨に無視…暴力団の息子たちが語る「差別の現実」

ノンフィクション作家・石井光太が日本社会の深層に迫る!

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暴力団の家庭に生まれると社会で差別を受けることも多い

「ヤクザって世の中から〈社会悪〉ってことで差別されてるでしょ。ヤクザをやってる本人は選んだんだから仕方ないけど、その家で生まれ育った子供も同じような差別にさらされるんだよね。ヤクザの家庭の子供って、生まれながらにしてその差別を背負って、文句一つ言えずに生きていかなきゃならないんだよ」

警視庁の調べでは、日本には暴力団の構成員、準構成員が、2万5900人いるとされている。

国は暴対法や暴排条例によって、彼らの活動を厳しく制限しており、銀行口座さえ開設できないなど人権を奪うような圧力を加えている。一般人もまた暴力団とかかわりを持ちたがらない。

暴力団が犯罪組織であることを踏まえれば、当然といえる。だが、そうやって差別された家庭で何の罪のない子供が生きていることを、どれだけの人が想像できているだろうか。

構成員は乱れた生活をしていることが多く、再婚をくり返したり、未婚で子供をつくったりして、5人、6人と子供がいることも少なくない。平均3人いたとしても、現役の構成員の子供は7万~8万人。元暴力団も含めれば、その数は10万人をはるかに超えるはずだ。

私は『ヤクザ・チルドレン』というルポルタージュの中で、暴力団家庭で育った子供たちが何を目にし、何を体験し、何を背負ったかを克明に記録した。

その中から、暴力団排除運動の中で生きる子供たちの、声にならない声をここで紹介したい。

「おまえの親父、組長なんだってな」

暴力団員の息子や娘がまっとうに生きていくのは非常に難しい

福岡県にG会という指定暴力団がある。炭鉱で有名だった田川市を本拠地とする組織だ。

1960年代くらいからG会は田川市を中心に絶大な力を持つようになったが、この組織屈指の武闘派として知られた大幹部がいる。この大幹部の息子として育ったのが、A男だった。

A男が物心ついた頃、父親は傍にいなかった。暴力団同士の抗争で殺人事件にかかわり、長期の懲役に行っていたのだが、母親からは「病気で入院している」と聞かされていた。

父親が出所したのは小学6年の時だ。間もなく、父親は大きな邸宅を構え、すぐ横に組事務所を開設した。家には刺青だらけの構成員が雑用係として常時5、6人住み込み、事務所には20~30人の構成員が出入りしていた。

こうした環境だったため、近隣住民は家庭とかかわりを持とうとしなかったし、学校の保護者も「絶対にA男と付き合ってはいけない」と子供たちに言い聞かせた。学校の教師さえ、露骨にA男を無視した。家に近づくのは、毎日何度もパトロールに来るマル暴の刑事だけだった。

中学へ進学した頃、小学校時代に仲良くしていた友人たちはみな、A男から離れていった。何かをしたわけでもないのに、父親が暴力団組長というだけで、アンタッチャブルな存在として見なされたのだ。

そんなA男に声をかけてくるのは、先輩の不良グループだけだった。彼らは決まってこう言った。

「おまえの親父、ヤクザの組長なんだってな。マジすげえな。おまえ、俺たちのグループに来いよ」

不良たちにすれば、暴力団組長の子供を仲間にすることで、その威光を得ようとしたのだろう。A男を取り込むことが、自分たちの力の拡大につながったのだ。

A男は友達欲しさに仕方なく不良グループの輪に入るようになった。そこでチヤホヤされるのは自然の成り行きだった。

彼は言う。

「不良になって一番喜んでくれたのが、組事務所の若い衆だった。親分の子供が同じ世界に来てくれたみたいな感覚だったんでしょ。地元のいろんな悪い人間を紹介してくれたり、犯罪のやり方を教えたりしてくれた。

銃を撃ったともあるよ。ある日、若い衆に『新しい銃が手に入ったから試し撃ちに行こう』って言われて、ボートで海の沖まで行って撃ちまくった。本物の銃がオモチャだったんだ」

このような環境に身を置いていれば、A男が不良や暴力団に囲まれて生きていく方が楽だと考えるのは必然だ。一般社会でいわれのない差別を受けるより、裏社会の中でおだてられて過ごす方が安心なのだ。

だが、警察はA男が裏社会の人間との関係を深めれば深めるほど躍起になって追い回してくる。些細な事でA男を補導しては保護観察所や少年院に送ったり、非行を口実に家宅捜査に押し入ったりした。警察は、A男を取り締まることで、組織に圧力をかけようとしたのだろう。

A男は言う。

「世間からはヤクザの家ってことですげえ嫌がられるし、グレたらグレたらで、今度は警察が待ってましたとばかりに追いかけ回される。10代の頃は、どちらへ行っても地獄みたいな感覚だった。

18歳の時、些細なことを理由に指名手配を受けて、二度目の少年院送りになりそうになった。この時、もうこんな生活は嫌だと思って、福岡から逃げだして逃亡生活をはじめたんだ。大阪、京都、東京と逃げ回って、時にはホームレスみたいな生活もした。でも、福岡から離れた時の方が、ヤクザや警察からの縛りもなくなって、自由を感じたよね」

指定暴力団の大幹部の子供として命を授かったばかりに、彼は表の社会でも、裏の社会でも重荷を背負わされることになった。だからこそ、逆説的だが、逃亡生活によって初めて自由を感じたのだろう。

求められる「男らしさ」

この事例とは別に、父親がヤクザ家業を継がせようとすることもある。

兵庫県を本拠地とするM会という組織がある。ここは非指定暴力団なので、指定暴力団よりは法や条令での制約が少ない。

千葉県の造船工場の近くに、このM会の幹部が経営する船舶塗装の会社があった。この幹部の仕事は全国から集まった様々な組織の組員を束ねて、船の塗装の仕事をさせることだった。

全国の様々な暴力団構成員の中には、間違いを犯して一時的に組織を離れたり、地元にいられなくなったりする者がいる。彼らは数年間、別の組織の「預かり」となって身をひそめるように生きていかざるを得ない。

船舶塗装の会社を営む幹部は、そうした訳ありの構成員を全国から「預かり」という形で受け入れ、衣食住を提供して働かせていた。構成員たちはここで何年か働いた後、再びもとの組織にもどっていく。

この幹部のもとで次男として生まれたのがB也だった。長男はトランスジェンダーで幼い頃から女の子として振舞っていた。暴力団の父親は、なまじっか「漢(おとこ)」を誇示する暴力団に属していたことからそれが受け入れられず、逆に次男のB也に過剰なまでの「男らしさ」を求めた。ケンカに負けることは許さず、強さがすべてだと教育した。

中学を卒業した後、父親はB也に自分のいる船舶塗装の会社で働くように命じた。そこでB也が任されたのは、数十人に及ぶ構成員たちを束ね、納期までに仕事を終わらせる管理・進行役だった。

この仕事は、想像以上に大変だった。従業員の大半は暴力団からさえも弾き出された面々だ。目が合っただけで包丁を振り回すようなケンカをはじめたり、酒を飲んではところかまわず大乱闘をしたりする。B也は若干16歳で彼らをまとめ、ケンカやトラブルを仲裁する役割を担わされたのだ。

B也は言う。

「従業員のヤクザたちは16歳の俺を舐めてかかってくるんですよ。だから、俺としては絶対に隙を見せまいと必死だった。ヤクザ以上に自分を強く見せなきゃならないし、ヤクザ以上に怖い存在じゃなければならなかった。そんなふうに振舞っているうちに、いつしか俺自身がヤクザそのものになっていきました。

親父としては俺を跡継ぎにしたかったのかもしれません。その頃、兄がニューハーフバーで働いていたんで、俺には男らしさというか、ヤクザの風格をつけさせたかったんじゃないですかね。俺も俺でそうすることが親父の期待に応える方法だと思っていた」

意図しないところで、B也は暴力団の考えや行動原理を身に着けていった。

18歳の時、上司とのトラブルで会社を辞めた後も、彼はそこで染みついた習性を捨てることができず、自らの意志で指定暴力団・Y会の盃を受けた。暴力団構成員として一旗揚げて、父親や船舶塗装会社の従業員に認めてもらいたいという思いもあったのだろう。

だが、数年後、彼のいた組織はある殺人事件がきっかけとなってY会から放り出されることになる。そこから長い抗争に巻き込まれ、彼は疲れ切って暴力団の世界から足を洗うことになった。

B也は言う。

「親父の会社にいた時は、ヤクザに憧れてました。それがオヤジの生き方だったし、俺もそんなふうに生きたいと思っていた。

でも、実際にヤクザになってみたら違った。すべてが金、金、金。あと裏切り。抗争もすべて金と裏切りです。それにうんざりして、あの世界から足を洗う決断をしたんです」

現在、B也は害虫駆除の会社を起業して経営している。

こう見ていくと、暴力団構成員のもとで生まれた時点で、子供たちは世間からの露骨な差別を浴びて道を外れざるを得ない状況に追い詰められたり、親によって暴力団の世界に引きずり込まれたりすることがあるのがわかるだろう。

拙著『ヤクザ・チルドレン』では、そういう子供たちの悲惨な現実を紹介しているが、その中の一人がこんなことを話していた。

「社会には、ヤクザを差別するのは正しいことという空気があります。法律や条令がそうしているんだから当然ですよね。同和差別や外国人差別は悪であっても、ヤクザ差別は国家が認める正しい行いなんです。

でも、その差別の皺寄せを受けるのは家庭の子供です。子供は『ヤクザを差別しないでくれ』とは言えません。『ヤクザの子供を受け入れてくれ』とも言えない。だから表の社会で生きるのをあきらめて裏社会に行くか、出自をひたすら隠して生きていくしかないんです。本当に苦しいです」

たしかに暴力団差別は、国家によって認められたものだといえるだろう。だが、それが子供にまで皺寄せがいかないようにするのも国の責任ではないか。

本を通して、ぜひそんな子供たちの叫びに耳を傾けてほしい。

  • 取材・文石井光太

    77年、東京都生まれ。ノンフィクション作家。日本大学芸術学部卒業。国内外の文化、歴史、医療などをテーマに取材、執筆活動を行っている。著書に『「鬼畜」の家ーーわが子を殺す親たち』『43回の殺意 川崎中1男子生徒殺害事件の深層』『レンタルチャイルド』『近親殺人』『格差と分断の社会地図』などがある。

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