「子どもを幸せに育てたい…」LGBTの夫婦が抱える苦悩と夢 | FRIDAYデジタル

「子どもを幸せに育てたい…」LGBTの夫婦が抱える苦悩と夢

ノンフィクション作家・石井光太が日本社会の深層に迫る!

  • Facebook シェアボタン
  • X(旧Twitter) シェアボタン
  • LINE シェアボタン
  • はてなブックマーク シェアボタン
Babyぽけっと内に置かれた「安産祈願」のお守り
Babyぽけっと内に置かれた「安産祈願」のお守り

トランスジェンダーであり、性別適合手術を経て女性から男性になった上原康夫。そして彼と結婚して妻となった由美。【前編】につづいて、この夫婦が特別養子の支援団体「Babyぽけっと」を介して新生児を授かった経緯を述べたい。

LGBT養子縁組【前編】

(※プライバシーに配慮して、本人と相談した上で名前をはじめとした事実関係を一部変更している)

結婚後、康夫と由美が子供を授かる方法として最初に考えたのが、康夫の親族から精子提供を受けることだった。

康夫は性別適合手術を受けているとはいえ、自分の体では精子をつくることができない。そのため親族から精子をもらい、由美がそれを用いて人工授精で妊娠しようとしたのだ。そうすれば、直接血がつながっていないにせよ、康夫の家系の子供を授かることができる。

ある日、康夫は弟に精子提供のことを相談してみた。弟はすでに結婚して、子供もいたため、自分一人では決められないとして夫婦で検討することにした。

後日、弟から届いた返事は次のようなものだった。

「協力できなくて申し訳ない」

特に弟の妻にとっては、義姉に当たる由美が自分の夫の子供を産むことになるわけで、受け入れるのは難しかったらしい。

次に検討したのが、見知らぬ第三者から精子提供を受けるという方法だった。夫婦は、これを先駆的に行っている大学病院に問い合わせてみることにした。だが、ここにも高いハードルがあった。

「血がつながっている子を」

整理されたBabyぽけっとの洗面所
整理されたBabyぽけっとの洗面所

同病院ではトランスジェンダーの夫婦に対して行った先例がない上に、多額の費用がかかる、ドナー不足である、多くの検査が必要である、順番待ちでかなり時間がかかるなどの問題があることが明らかになったのだ。いろんなことを踏まえると、この方法によって子供を授かるのは現実的ではなかった。

2人は話し合い、3番目の方法として特別養子の制度を利用することにした。これを選んだ理由について、由美は次のように語る。

「第三者から精子提供を受けるという方法もありましたが、私とは血がつながっていても、夫とつながっていないということが引っ掛かりました。後で何かがあって『こんなはずじゃなかった』と思いたくなかった。それなら、私とも夫とも血がつながっていない子を特別養子という形で育てようと思ったのです」

なぜ里親制度ではなく、特別養子の制度を選んだのか。由美はつづける。

「里親制度の場合は、幼稚園や小学生くらいの年齢の子供を引き取って育てることになります。これくらいの年齢の子供は、自意識が芽生えていますので、里親と信頼関係を築くのが簡単ではありません。それなら、生まれたばかりの新生児を特別養子として受け入れて、一から育てていく方が自分たちには合っているだろうと判断したのです。それで特別養子の支援を行っている団体を探すことにしました」

ここで、民間団体が行っている特別養子の支援の仕組みを説明したい。

世の中には、親が子供を育てるのを拒むケースがしばしばある。中学生など若年のカップルから生まれてきた子、不倫によって生まれてきた子、性犯罪によって生まれてきた子、病気や障害で育児能力のない親から生まれてきた子などだ。

こうした妊娠をした女性の多くは、人工中絶を選ぶ。だが、人工中絶をすることに抵抗があったり、手術が可能な時期を逃してしまったりした場合は、出産するしか道はない。

こうした親たちは、それぞれの事情から出産後すぐに子供を第三者に預け、親子関係を断ち切りたいと考える。そこで法律にもとづいて戸籍上の親子関係を解消し、別の夫婦に引き渡すことのできる特別養子の制度を利用するのだ(乳児院に預けるなどの場合は、親子関係が残る)。

親はそれを決めると、特別養子の支援を行っている団体に連絡する。親と団体の間で話し合いが行われ、合意と契約がなされ、いよいよ分娩を待つだけとなる。

親の出産が無事に終われば、団体は新生児を預かり、子供を求めている不妊の夫婦に引き渡す。後日、家庭裁判所に認めてもらうことによって、正式に子供は母親の戸籍から抜けることになり、生活の上でも法律の上でも新たな夫婦の子供として育てられることになる。これが大まかな特別養子のプロセスだ。

こうした特別養子の支援を行っている団体は国内に複数あり、康夫と由美はその中から比較的大きな団体を選んで連絡をした。最初の問い合わせの際は、トランスジェンダーの夫婦であることは話さず、子供にかかわる仕事をしており、特別養子を望んでいることだけを話した。この時、団体の担当者は大いに歓迎してくれたが、エントリーシートを出す段階で性転換のことをつたえたところ、そのまま連絡が途絶えた。待てども待てども音沙汰がない。

「いろんなことが未知数」

Babyぽけっと代表・岡田卓子
Babyぽけっと代表・岡田卓子

3ヵ月待ってから、2人の方から団体に連絡をした。担当者からは次のように言われた。

「現在、協議している最中です。これまでうちの団体では性別変更で夫婦になられた方に特別養子の斡旋をした前例がありません。したがってマニュアルがなく、いろんなことが未知数なのです」

2人は「難しいだろうな」と思うと同時に、実績のある団体が、協議をしても前向きになれなかったことがショックだった。これなら、他の団体に聞いても、余計に難しいのではないか。

それでも、2人は別の団体を紹介してもらえないかと頼んだ。担当者からは「他団体に前例があるかどうかはわかりません」と前置きして4つの団体を紹介してくれた。

その後、この4つの団体に問い合わせたが、同じように「検討してみます」と濁されるか、断られるかだった。仕方がなく、さらに自分たちで団体を探して順番に連絡をしていった。

そんな中で唯一受け入れてくれたのが、茨城県に本部を置くBabyぽけっとだった。中学生が産んだ子から、風俗で働く女性が産んだ子まであらゆる新生児を引き取り、年間40件ほどの特別養子を成立させていた。

問い合わせに応じた代表の岡田卓子は、こう答えた。

「大丈夫です。これまで同じようなご夫婦から問い合わせをいただいていて、うちとしてもしっかり取り組んでいきたいと思っていたところでした。私はあなたたちのような夫婦だって、子供を授かって幸せになる権利があると思っています。ぜひうちに登録してみてください」

暗闇の中に光が射したような気持ちだった。康夫と由美は、Babyぽけっとに申し込むことを決めた。

むろん、Babyぽけっととて無条件に特別養子の支援をしているわけではない。家族の年収、年齢、生活環境、生活能力、人柄などたくさんの条件を満たしているかどうかが調べられ、複数回に及ぶ面接や研修を通らなければならない。

幸い、康夫と由美は、Babyぽけっとが設けている項目をすべてクリアし、会員になることを認められた。あとは、生まれてくる子供を特別養子に出したいという連絡がきて、順番が回ってくるのを待つのみとなった。

半月後、ついにその日が来た。岡田から2人のもとに連絡があり、次に生まれる子供を引き取るようにと言われたのだ。2人は大いに喜んだ。そして無事に誕生した新生児を譲り受け、家で育てることになったのである。

「海外では当たり前」

由美は語る。

「他の団体はどこも後ろ向きでしたが、Babyぽけっとだけは積極的でした。岡田さんはじめスタッフの方々も、前例がないのでLGBTQ(性的マイノリティの人たちを表す総称)について学ぼうと、会の中で勉強会まで開いてくださったそうです。さらに、本部の方が私たちの家に訪問し、いろんなことを聞いてくださいました。

みなさんの理解を深めてくださろうとする姿が何よりうれしかったし、それでいろんなことが前に進んでいったのです。岡田さんのような考えの人がいるだけで、こんなに物事が違うんだと感じました。この出会いがなければ、今も子供を授かれないままだったかもしれません」

私が2人に話を聞いたのは、夫婦が赤ちゃんを引き取って3ヵ月目だった。首がすわるかどうかの、何から何まで手がかかる時期だ。この3ヵ月で、夫婦は机上で学ぶのと、実際にやるのとでは、子育てがまるで違うものだと実感した。それでも、幸せに満ちた日々を謳歌しているそうだ。

Babyぽけっとの岡田は、今回の特別養子の支援にどんな思いを抱いていたのか。岡田は言う。

「私もトランスジェンダーのことを十分にわかっているわけではありません。本当に大丈夫なのかなという気持ちがまったくなかったといったらウソになります。トランスジェンダーだから心配というのではなく、自分がトランスジェンダーのことをよくわかっていなかったから心配してしまっていたということです。

とはいえ、海外ではトランスジェンダーの夫婦が子供をもらって育てるのは当たり前になりつつあります。日本だってそうした人たちの結婚が認められるようになって、子育てを望む声も高まっている。実績はありませんでしたが、ここ2年ほどそうした問い合わせがありました」

実際に、欧米でも、アジアの一部でも、そうした子育ての形は急速に増えてきている。特に先進国の中ではスタンダードになりつつあると言っても過言ではない。

「こうした時代の変化がある中で、康夫さんや由美さんがたどってきた人生を聞いた時、本当に大変だったんだなと思うと同時に、こういう人こそ幸せにならなければならないと考えました。そのためには、うちのような団体がまず動かなければなりません。本部でLGBTQの勉強会を開いたのも、私たちの方が理解を深めなければならないといった気持ちがあったからです。

あの2人が第1号になってくれるのは、とても大きいと思っています。2人は専門知識があるので、そうでない夫婦よりはいろんな困難を乗り越えていけるはずです。それが新しい道をひらいていくことになると期待しています」

岡田の言うように、トランスジェンダーの夫婦が特別養子を迎えるにあたっての苦労は、そうではない夫婦に比べてかなり大きい。

そもそも日本では、特別養子の制度自体が知られていない。たとえば、康夫らの家には赤ちゃんを引き取った後も、児童手当や1ヵ月検診の通知が届かなかった。役所に問い合わせてみたところ、窓口の職員はそれ以前に特別養子の制度のことを理解しておらず、話が先に進まない。やむなく夫婦は児童相談所に連絡して仲介してもらい、ようやく問題が解決したという。

ただし、これは2人が子供にかかわる仕事をしていて、こういう時はどこに頼めばいいかわかっていたからできたことだろう。そうでない夫婦であれば、児童相談所に相談するという解決策を思いつかなかったはずだ。

さらに家庭内においても困難は多い。特別養子をもらった家庭では、いつどのように子供に出自について打ち明けるかという「真実告知」の課題がある。法律的に実子になるとはいえ、後になって戸籍を見れば特別養子であることがわかってしまう。だからこそ、親子間でトラブルにならないように、事前に血縁関係について話をしておく必要があるのだ。

これだけでも難しいのに、トランスジェンダーの人の場合は、性に関する告知もしなければならない。性自認の話、性別変更の話、由美との結婚の経緯、そして特別養子の制度を利用するに至った事情。これらをきちんと理解してもらうように話すのは容易なことではない。

しかし、トランスジェンダーの夫婦が特別養子を迎え入れ、家族を築いていくというのは、こうしたことをすべて乗り越えていくことでもあるのだ。岡田が2人に期待しているのは、その道筋をつけ、こうした家族のあり方を広めることなのだ。

とはいえ、未だに社会には次のような否定的な考え方がある。

――トランスジェンダーの夫婦にまともな子育てができるのか。そんな両親のもとに育ったら、子供がゆがんでしまうじゃないか。

「この家に育って幸せだった」

こうした差別的な意見が少なからずあることを、2人はどう思っているのか。

まず由美の意見である。

「男女の夫婦のもとに生まれれば、子供はみんな幸せになるのでしょうか。たとえば、片親家庭の子供は不幸なんですか。施設で育った子は不幸なんですか。私たちのような夫婦のもとで育つ子供が不幸だとか、ゆがむという考え方は、まさにそれと同じではないでしょうか。

家族の形がどのようなものであれ、親にできるのは子供に最大限の愛情を注ぐことです。いつの日か、大きくなった子供が『この家に育って幸せだった』と言ってくれたら、私たちにとってそれ以上の幸せはないでしょう。第三者がその前に幸せのあり方を決めることではないと思っています」

康夫もその言葉にうなずくように答えた。

「幸せのあり方って本人にしか決められませんよね。私は性別適合手術によって親からもらった体を傷つけ、人生を短いものにしてしまったかもしれません。でも、こうして由美と結婚ができて、子供を育てることができて、今はこれ以上ない幸せを感じています。他人が何と言おうと、私は自分が幸せだと言い切れます。それと同じように、子供にも自分なりの幸せを見つけてほしいと願っています。何があったとしても、子供自身が幸せだと思ってくれることが一番です」

私はそれを聞いて、夫婦が歩んできた道のりを感じずにいられなかった。

今の世の中には、人の幸せを数値化するような空気がある。両親がそろっていれば何点、一流大学に進めば何点、給料をいくらもらえれば何点、子供がお受験に合格すれば何点……。〇〇点以上は幸せです、という具合だ。

だが、そんなふうに算出された幸せにどれだけ意味があるだろうか。

幸せとは、あくまで本人が感じるものであって、客観的に数値化できるようなものではない。康夫の言葉の通り、差別を受けようとも、手術で体を傷つけようとも、血のつながっていない子供を育てていようとも、「今が幸せだ」と思えれば、それ以上のことはないのだ。

康夫も由美も、自分たちの経験からそれを熟知しているからこそ、本当の意味で幸せだと言える家族を築きたいと考えているのだろう。

私は話を聞いてそれを強く感じたし、この夫婦の生き方が新たな道しるべとなり、たくさんの幸せが生まれることを願ってやまない。

(文中敬称略)

  • 取材・文・撮影石井光太

    77年、東京都生まれ。ノンフィクション作家。日本大学芸術学部卒業。国内外の文化、歴史、医療などをテーマに取材、執筆活動を行っている。著書に『「鬼畜」の家ーーわが子を殺す親たち』『43回の殺意 川崎中1男子生徒殺害事件の深層』『レンタルチャイルド』『近親殺人』『格差と分断の社会地図』などがある。

Photo Gallery3

FRIDAYの最新情報をGET!

Photo Selection

あなたへのおすすめ記事を写真から

関連記事