「俺はやつらに何の恨みもない」モハメド・アリが反戦を訴えた日 | FRIDAYデジタル

「俺はやつらに何の恨みもない」モハメド・アリが反戦を訴えた日

細田昌志の芸能時空探偵⑩

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「俺はなんの恨みもない」

ロシアによるウクライナ侵攻はスポーツ界にも深刻な影響を与えている。国際パラリンピック委員会(IPC)は4日に開幕した北京冬季大会において、ロシアとベラルーシの選手の出場を認めない決定を下した。

これまで両国から多くの選手を輩出してきたボクシング界の反応はさらに峻厳なものである。世界最大手のボクシング団体のWBA(世界ボクシング協会)は28日に行われた理事会で、ロシアとベラルーシの選手を次回のランキングリストから除外することを全会一致で決めた。

これによってロシア国内での世界タイトルマッチが行われることは、現時点において不可能となったのは言うまでもないが、驚いたのは、WBAがウクライナ侵攻に賛成するすべてのボクサーをランキングから排除する方針を打ち出したことである。

このWBAの決定には隔世の感を禁じ得ない。今から55年前には、状況も事情も異なるが、ある一人のボクサーに対し、まったく正反対の措置を下していたからだ。そのボクサーが訴えた正義は不実とされ、求めてやまなかった平和は「机上の空論」とばかりに批判と中傷と嘲笑の対象になった。それどころか、彼は戦う場所さえ失った。社会的に抹殺されかかったのだ。もし、この時代にSNSがあれば炎上していたことだろう。

彼の名前はモハメド・アリ。

ベトナムで戦うことを拒否したモハメド・アリ(当時カシアス・クレイ)

ボクシング界はもちろん、プロスポーツの世界における20世紀最大のスーパースターと言っていい。

1960年代よりアメリカによる軍事介入が続いていたインドシナ半島だが、1964年8月2日に起きたトンキン湾事件を機に、本格的な戦争に発展する。ベトナム戦争である。当初はアメリカ国民の多くが賛同し、大義を見出してもいたこの戦いに、アリはすぐさま異なる反応を示した。徴兵にともなう人種差別を訴え、戦争そのものに異議を申し立てたのだ。もちろん、宗教上の理由もあった。ただし、彼が抱いたすべての思想を示す有名な言葉がある。

「俺はベトコンに何の恨みもない」

アリはこのとき何を訴えたかったのか。それに対し、アメリカ社会はどう応えたのか。アリの戦いはいかなるものだったのか。そのことを、改めてここに記しておきたい。

幻の「東京での防衛戦計画」

「モハメド・アリとベトナム戦争」というテーマで語るとすれば「徴兵拒否」と「ブラックモスレム」の二つを欠かすことは出来ない。もちろん、それらを論じない限り、全体の輪郭は見えないのだが、問題の端緒には意外と知られていない事情もあるにはあった。「東京での防衛戦計画」である。

《プロ・ボクシング世界ヘビー級チャンピオン、カシアス・クレイ(アメリカ)のタイトルマッチ日本開催を計画しているアート・ライフ・アソシエーションの神彰代表は二十三日、クレイのマネージャー、ハーバート・ムハムド氏と話し合った結果「クレイ側と日本でのタイトル・マッチについて基本的に了解点に達した。(中略)」と語った》(1967年2月24日付/読売新聞)

生涯、モハメド・アリは二度、東京で試合を行っている。一度目は1972年4月1日。日本武道館でマック・フォスターとノンタイトル15回戦(アリの判定勝ち)。二度目は1976年6月26日。同じく日本武道館でプロレスラーのアントニオ猪木と「格闘技世界一決定戦」を謳った特別ルール15回戦(引き分け)。それらの前に幻の一戦が計画されていたことになる。

興行を企画した神彰なる人物は「呼び屋の元祖」と言われるプロモーターで、国交回復前の旧ソ連からレニングラード交響楽団やボリショイサーカスを招いたり、前年には世界的なカーレース「インディアナポリス5000マイルレース」を富士スピードウェイで実現させるなど、数々の実績をあげてきた。作家の有吉佐和子の元夫としても知られる人物である。

アリ自身も「日本へはぜひ行きたい。対戦相手はオスカー・ボナベナ(アルゼンチン)に決めているが、KO勝ちは間違いない」(1967年3月19日付/読売新聞)と東京での防衛戦に積極的な姿勢を見せていた。

ネックとなるのがJBC(日本ボクシングコミッション)の規約に「ボクシングのプロモーターライセンスを持たない人物の興行の開催は不可」「外国人同士のタイトルマッチの不可」という条項があることだったが、おそらく、どうにでもなっただろうと筆者は推測する。前者は主催者として既存のボクシングプロモーターを名目上立てれば問題はないし、後者は前例がないだけで、その後JBCが採ってきた幾多の“追認至上主義”を見れば詮無いことである。

おそらく、何事もなければ発表通り、1967年5月27日、日本武道館において「世界ヘビー級タイトルマッチ・モハメド・アリ対オスカー・ボナベナ」は実現していたと見ていい。

しかし、事態は思わぬ方向へ進んでいく。アリの生まれ故郷であるケンタッキー州ルイズビルの徴兵委員会が兵役出頭命令を下したのだ。

「わしに試合をさせて」

これに対しアリは代理人である弁護士を通じて「徴兵委員会の選抜には人種差別があり、また委員会のメンバーに黒人がいないのは不平等である」(1967年3月17日付/読売新聞)と異議を申し立てた。さらにこうも語っている。

「甲種合格はたくさんいるのに、わしをつかまえるのは人種偏見のせいだ。戦争には戦車もジェット機もいる。わしに試合をさせて、税金をしこたまとった方が政府のためにもなるだろう」(1967年3月19日付/読売新聞)

これを受けて読売新聞も《審理は一年はかかるので、日本の試合には支障がないとみられている》(同)と希望的観測を述べてもいる。

そんな中においても多忙なチャンプは、防衛戦のスケジュールをこなしている。3月22日にはニューヨークのマジソン・スクウェア・ガーデンに1万人の観衆を集め、ゾラ・フォーリー(アメリカ)と戦い、7R1分48秒KO勝ち、29連勝にして9度目の防衛をはたした。試合後の会見でも「次は東京だ」と公言している。この時点では、アリ自身も徴兵拒否問題について楽観視していた様子がうかがえる。

しかし、事態はさらに悪化する。

フォーリーとの防衛戦の直後に、アリのマネージャーのハーバート・ムハメドは「次の防衛戦は東京」を言明しながら「徴兵問題が最大の障害になっている」(1967年3月25日付/読売新聞)と付け加え、契約の最終確認のためニューヨークに赴いていた神彰も「クレイ側から二十九日まで情勢を見守るよう協力を要請された」(1967年3月28日付/読売新聞)と語っている。

アリ自身もルイズビルの徴兵委員会に対し、出生地はルイズビルだが、現住所のテキサス州ヒューストンの徴兵委員会に所轄を移すように要請を出した。時間を稼ごうとしていたように映るが、その意図を読んでか、ルイズビル側は移管をあっさり認めている。

その頃、アメリカの日刊紙「ワールド・ジャーナル・トリビューン」(現在は廃刊)は25日付の記事で「東京で五月二十七日に行なうことになっていたボクシング世界ヘビー級チャンピオン、カシアス・クレイと世界六位のオスカー・ボナべナとのタイトル戦は、中止となった」(1967年3月26日付/読売新聞)と報じた。

徴兵問題が引き起こした事態は、日本人が考える以上に深刻なものだった。折からの人種差別問題も含んでおり、敵は軍当局や連邦裁判所だけではなかった。アメリカの白人社会全体に及んでいたのである。

では、なぜ米軍の徴兵委員会は、アリの徴兵に固執したのか。本当に戦場に送り込んで、ベトナム兵と戦わせたかったのか。もちろん、そうではない。人気も知名度も高いアリに入隊させることで、志願兵を増やそうとしたのだ。

当時のアリは絶大な人気を誇った(AFLO)

というのも、この時期、アメリカ軍は兵力の欠乏に悩まされていた。1965年には18万人もの地上軍を送り込んでいたが、戦線が拡大し泥沼化するに至って火急的速やかに戦力の補充が求められていたのだ。韓国軍を中心とした同盟軍が参戦したのも、そのことがあったからである。

つまり、徴兵委員会が言いたかったのはこういうことだ。

「カシアス、あんたを戦場に送り込むことなんて馬鹿なことは絶対しない。これまで通りボクシングで大金を稼いでもらえばいい。ただ、形式上『入隊する』と言ってほしい。国に忠誠を誓ってほしい。それだけでいい」

それでも、モハメド・アリの態度は変わらなかった。4月19日に会見を開き「二十八日に徴兵されても、入隊の宣誓を拒否する。宣誓拒否の結果、五年以上の懲役になってもかまわない」(1967年4月21日付/読売新聞)と言い放った。

このときのアリの対応には、黒人社会からも批判が集中した。その代表的な存在が初の黒人メジャーリーガーで人格者としても知られたジャッキー・ロビンソンである。この時代のアメリカ社会における黒人の地位向上に寄与してきたロビンソンは、アリの徴兵拒否に対し、次のように批判した。

「彼はベトナムにいる黒人兵士たちの士気を下げている。そして私にとって悲惨だと感じることは、カシアスは何百万ドルというお金をアメリカ国民から稼いだ。そして今になって、私から見ると素晴らしいこの機会を与えてくれた国に対する感謝を示そうとしない」(2016年6月11日配信/The Huffington Post/Justin Block)

共和党に籍を置き、大統領選においてニクソンの応援演説に立ってまでも、黒人の地位向上を目指してきたロビンソンにとっては、アリの行為はまったく理解に苦しむものだったのだ。

そして、最も恐れていたことが起きた。

社会的な抹殺

《世界ボクシング協会(WBA)のエバンス会長は、二十八日当地で「カシアス・クレイのボクシングに関するすべての免許を無効とし、世界ヘビー級のタイトルをはく奪する。新チャンピオンは、タイトル挑戦者有資格者による決定戦をただちに行なって決める」と語った。(注)世界ボクシング連盟(WBC)もヨーロッパボクシング連盟(EBU)もWBAに同調している》(1967年4月29日付/読売新聞)

ウクライナ侵攻の起きた2022年は「ロシアの侵攻に賛成するすべてのボクサーをランキングから除外する」と発表したWBAだが、アメリカがベトナムに侵攻した55年前は正反対の声明を出していたのだ。事実、WBAはこの十日後に空位となった世界ヘビー級王座の決定トーナメントの開催と、出場選手、四試合の対戦カードを発表している。格闘技興行に携わった筆者の経験から言うと、たった十日間で、あっさりとマッチメイクが成立するとは到底思えない。すなわち、アリが徴兵問題で揉めていた段階で、王座を取り上げ、トーナメントを行うことを決めていた可能性は高い。

かくして、モハメド・アリは軍や司法のみならず、黒人社会、ボクシング界からも疎外され、敵視された。この時期のアリほど孤独な存在はいなかったはずである。

そして、白人ばかり男女六人の陪審員が見守る中、ヒューストン連邦裁判所は、アリの徴兵拒否について「禁固5年・罰金1万ドル」の有罪判決を下した。5千ドルの保釈金を払って釈放されたアリは、ただちに控訴の手続きを取ったが、程なく却下された。狂気の時代というほかない。

アリが社会的に抹殺されるのは時間の問題と誰もが思った。

しかし、世の中はアリを見捨てなかった。表面に出なかっただけで、ベトナム戦争に疑義を抱く人は大勢いたのである。今まで「プロボクサー・カシアス・クレイ」に何の関心も抱かなかった活動家が、「戦争に反対するモハメド・アリ」に反戦集会への参加を求めるようになると、アリも率先して顔を出すようになった。そしてこう訴えた。

「リングにはレフェリーがいる。しかし、戦争の目的は人を殺しまくることだ」(1967年5月12日付/読売新聞)

リングでどれだけ派手な試合・パフォーマンスをしても、それは決して相手の生命を奪うことではない(AFLO)

次第にアリの主張は社会に受け入れられるようになる。時代の波に乗るように、彼はどんな小さい集会にも顔を出した。平和を訴える言葉を繰り返すと、聴衆は万雷の拍手で応えた。集会の数は次々に増えた。ベトナムで爆撃を繰り返すアメリカ軍の映像が大量に流れると、うねりのように押し寄せる反戦の声は、アリを大きく押し上げた。

アリと同様、かねてからベトナム戦争に懐疑的だったロックミュージシャンのジョン・レノンは、1969年3月に前衛芸術家のオノ・ヨーコと再婚すると、ハネムーン期間を反戦運動に費やした。アムステルダムのヒルトンホテルで「ベッド・イン」を行い、全世界にベトナム反戦を訴え、ワシントンで行われたモラトリアム大行進では、ジョンとヨーコに率いられた50万人の反戦支持者が集まった。社会がアリにようやく追いついてきたのだ。

そして、ついに司法もひっくり返った。

《ニューヨークの連邦地方裁判所は十四日、ニューヨーク州アスレチック・コミッションに対し、元世界ヘビー級チャンピオン、カシアス・クレイからライセンスを取り上げた措置は誤りであるとの判決をくだした。

ウォルター・R・マンスフィールド判事は判決の中で、クレイが兵役服務を拒否したという理由で同コミッションがライセンスを取り上げた措置は独断的であり、根拠がないと述べ、犯罪者や軍律違反者が申請した場合でも、ライセンスを発行していた慣行からもはずれていると指摘している》(1970年9月16日付/読売新聞)

アリがリングから遠ざかった3年7か月もの間、彼は膨大なものを失った。「蝶のように舞い、蜂のように刺す」と言われたフットワークは見る影もなく、以前のように打たせずに打つことは不可能となった。自らの肉体を被弾させ、相手が疲弊したところで反撃する“肉を切らせて骨を断つ”戦法を採るほかなかった。当然、ダメージは蓄積されていく。後年彼が悩まされたパーキンソン病は、キャリア後半の戦法がもたらしたと考えて間違いないのだろう。

それでも、彼はかけがえのないものを手にした。「自由と平和」である。

それを手にした瞬間、モハメド・アリは本当の意味での、スーパースターになったのかもしれない。

  • 細田昌志

    ノンフィクション作家

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