「武器ではなく、美味しいものを」函館のシェフが訴える幸せの方法
全国からお客さんが集まるスペイン料理レストランが「函館にある」理由
「機械を作ると、それが戦争の道具になるかもしれない。でも、美味しいものを作ることには、人を幸せにすることしか起きない。だから僕は、料理の道を選んだんです」
北海道函館市、スペイン料理の「レストランバスク」シェフの深谷宏治さんはこう言う。
「そして、美味しいものの作り方は、ひとりの料理人が独占するのではなく、他の料理人にも伝えたい。美味しい料理は人を幸せにしますから、その知恵を共有したいんです」
レストランバスクは、1981年に深谷さんが故郷、函館市で開店した、おそらく日本で最初のスペイン・バスク料理の店だ。そして今「日本でいちばん美味しいスペイン料理の店」と評判をよび、全国からお客さんが訪れている。
「高校まで、函館で過ごしました。東京理科大に進んで、工学部を卒業したのが1970年です。学生運動、社会運動が盛んな時期でした。一般の学生でも、社会的なことに関心が深くなる環境だったんです。卒業のとき、進路を決めかねて。大学の先生から助手の仕事を勧めてもらって2年間、考えました。
ベトナム戦争で、米軍が使う爆弾の先っちょにブラウン管の技術が利用されていたんです。ああ、機械を作る仕事は、自分の知らないところで人を殺す道具に繋がるんだ、と。ショックでした」
進路に迷い、セールスマンや大学の職員の仕事にも就いた。そして、料理人になろう!と思いを定め、東京の洋食屋さんで2年、働いた。
「本物の料理を知りたくて、フランスを目指しました。東京でフランス語を勉強して、横浜から船で渡ったんです。パリに着いて、レストランに行って『働かせてほしい』と頼むのですが、せいぜい1日手伝う程度で、雇ってもらうことはできませんでした。あちこちで料理を食べ、ヒッチハイクで欧州を回り、スペインに着いたんです」
アポなしで欧州に渡り、旅をした。無鉄砲だ。けれども
「スペインのサンセバスチャンという街で、泊まったホテルのマダムが『この街には子イカの墨煮というスペシャリテ(名物料理)があるわよ』と教えてくれた。『僕の故郷、日本の函館という街には、イカの塩辛がある』と、料理の話が弾み、じっさいに作ってみましょうか、などど話しているうちに、マダムの信頼を得ました。そして『とてもいいレストランよ』と紹介されたのが、僕の生涯の師となったルイス・イリサールさんとの出会いです」
ルイスさんのレストランで働き、本場のスペイン料理を学ぶことができた。
「ルイスは、料理のレシピを料理人同士で共有する勉強会を開いていたんです。日本で『料理人は師匠の背中をみて技術を覚える』というような文化にあった自分にとって、大きな驚きでした」
知っている知識を教えあって、ともに成長する。この哲学の背景には、バスク人としての誇りがある。
「バスクはスペイン内戦で苦渋をなめた歴史があります。ルイスさんはいつも、政治家は国会で、スポーツ選手はフィールドで、料理人は料理で、バスク人としての存在感を示していくと言っていました」
スペインで、本物の料理と、人としてのありようを学んだという深谷さんは帰国後、地元函館で「バスク」を開店した。
「当時、生ハムやアンチョビ、ハーブなどの食材は日本になかった。なので、自分で作りました。今も、お店で熟成させた生ハムを提供しています。庭でハーブ類を栽培、パンは開店当初から自家製です。
美味しいものを作りたい、そしてその知恵を共有したい。この考えはずっと変わりません」
「2009年から、函館で『世界料理学会』を開いています。
美味しいものの作り方は独占するんじゃなくてみんなで共有する。ルイスから教わった哲学を実践したいんです。コロナ禍で昨年はオンライン開催になってしまいましたが、今年は、9月に10回目の開催を準備しています。日本と、欧州はじめ世界の料理人が集まって函館から発信するんです。
今、ヨーロッパで大きな戦争が起きています。ここ函館はロシアと縁が深い街で、ロシア系の友人も何人かいます。ショックです。ロシア人が悪いとは思えない。悪いのはプーチン大統領でしょう。ロシア国民への怒りはありません。
料理で人を幸せにしたい。知らない人同士が、美味しいものをともに食べて知り合える場を作りたい。2年続くコロナ禍で、料理人にとっても苦しい時期ですが『歩みを止めない』こと。
武器ではなく、美味しいものを作ることが、僕の歩む道なんです」