凄腕社長はなぜ「日比谷公園のトイレ」で「怪死」したのか
謎の死を遂げた「金融界の寵児」が本誌だけに明かしていた、自身の過去と「告発」の理由とは
<いまから1年弱前、東京・日比谷公園のトイレから男性の遺体が発見された。瀧本憲治氏(享年49)。「ソーシャルレンディング(SL)」という手法で、一時金融界の寵児となった男だ。彼はなぜ死んだのか、本当に「自殺」だったのかーー。前編に引き続き、瀧本氏とコンタクトし続けてきた本誌記者がその真相に迫る。>
’21年10月、東京証券取引所はテラ社を「特設注意市場銘柄」に指定している。メキシコにおけるコロナ薬の臨床試験や薬事承認などに関し虚偽の開示を重ねたこと等によるものだ。
セネ社は、’21年9月に東京地裁で破産手続き開始が決定し現在は破産手続き中にある。テラは、’21年12月に竹森郁(かおる)被告らセネ社元3人を相手に1億円の損害賠償請求裁判を東京地裁に提起する事態に発展している。
瀧本憲治氏は、投資家として、当時のセネ社の先行きについて、どのように見ていたのだろうか。
「『男気』は感じましたが、竹森氏自身を信用していたわけではありません。こちらは公正証書まで作り担保を取っていますから、どんな人間であろうと回収すればいいと思っていました。ところが株価は下がったまま。それより驚いたのは、他の人にも担保を差し入れていたのです。法的には担保順位は私が一番上なのですが、不動産と違い株は口座に移動させなければならない。それを先にやられたらアウトなのです。しかも、調べれば調べるほど他にも出てきた。こいつは悪いヤツだと思いましたね」
そう憤りながらも、追い詰められた切迫感は感じられなかった。瀧本氏は、こうも話していたのである。
「私はmaneoで最大800億円集めていました。ミスはありましたが、デフォルトは一度もなかった。金儲けは得意ですから、カネはまた作ればいい。それに、メキシコの話は本当であってほしい。二重担保を入れても、株価が3倍、5倍になっていればなんでもないわけですから。
ですが、竹森氏がこれだけ違法行為をしているのは事実です。この男がこのまま野放しだと、また必ず同じようなことをする。次に彼と関係を持つ人のためにも、ぶち込まれた方がいいと思っています」

竹森被告に騙されて投資した金銭的被害の回復よりも、刑事責任を負わせることに力を注いでいたのだ。事実、瀧本氏は検察庁、警視庁、証券取引等監視委員会、東京証券取引所など捜査・監督局に情報提供を行っていた。
取材後に居酒屋で酒席を共にしたこともある。瀧本氏は紹興酒の盃を重ねながら、これまでの自分の生きてきた道や仕事について熱く語っていた。
「親は普通のサラリーマン。公団で育ち、小学生の時は自由になるお金欲しさに新聞配達をしていた。親が事業を始めて高校の時は家におらず、勉強嫌いで1ヵ月で中退して建設作業員として働いていたこともあります。途中で高校に入り直しましたが、大学受験は失敗。代ゼミ時代に、『トラック野郎』のレンタルビデオを見て憧れ、大学受験もやめて本当にトラックの運転手をしたこともあります。
その時、ハンドルを握りながら思いました。新聞配達も運転手も移動してモノを運ぶパーツに過ぎない。建設作業員も現場を毎回移動する。『俺はモノを運ぶ奴隷か?俺の解放運動をやろう!』と思い立ち、大学を受け直し、21歳で大学生になりました。
サラリーマンをしていた32歳の時、ホリエモンが近鉄を買収しようとした出来事があった。それを見て、お金がお金を生むファイナンスの世界に行かないと、と思ったのです。僕はそれを『ファイナンス村』と名付けました。不動産から始めようと思ってある人に弟子入りし、39歳でmaneoを買っています」
熱っぽく話す口調からは、生きる目標を見つけてもがき、「ファイナンス村」と彼が名付けた人生の目標を見つけて必死に上り詰めてきた自信、そして不安が入り混じったように感じられた。自ら命を絶つ姿など、想像もつかなかった。

彼の「死」は、本当に自殺だったのか。取材の中で、瀧本氏と親交が深い複数の知人に話を聞く事ができた。取材や酒席で見せた姿とは、また違う顔が垣間見えてきた。
「瀧本氏は、(太陽光発電関連会社の)テクノシステム(以下「テクノ社」)の生田(尚之)さんにも億単位の融資をしていました。個人的にも親しく、テクノの太陽光発電事業案件で、現地をよく一緒に見に行っていました。生田さんが逮捕された時、キャバクラでカラオケを好き勝手に歌う姿などがテレビで流されて、『逮捕されるとこんな姿まで出されるんだ』とショックを受けていました。
彼自身はスナックで歌うのが好きで、あんな飲み方はしませんでしたが、逮捕されることを怖がっていました。高い金利で返してもらっていたので貸金業法に違反するかもしれない、と恐れていたようです。私的な部分は見られたくない、自意識が高い人でした」
’21年5月、東京地検特捜部はテクノシステムの生田尚之社長ら3人を詐欺容疑で逮捕している。
また、maneo時代から瀧本氏を知る別の知人はこう語る。
「彼が売却した新生のmaneoは、投資家からの数十件の訴訟を抱えていて、ほぼ、負けるだろうと言われていました。経営陣は、その裁判のしりぬぐいを瀧本氏個人に請求しようとしていて、その構図もできていました。そういう趣旨の通達も’21年の5月頃に来ていて、精神的にかなり追い詰められていました。金額的なことだけでなく、自分が長い間育ててきた会社に訴えられる絶望感は、辛かったと思います」
maneoの投資家に対する責任については、瀧本氏自身もこう語っている。「テラセネ劇場」にアップされた、給料未払いに悩むセネ社員との会話の中での発言である。’20年12月頃のものと思われる。
「法的には責任はないんだけど、投資家に300億円くらい迷惑をかけたから。じゃあ、300億稼いでやろうかと思っていたときに、竹森さん紹介されてさ。面白いなと思って、うん、それでこうなっちゃった」

私の取材に対しても、同様の話をしている。
「(ソーシャルレンディングは)ゼロになることもある商品です、と掲示しています。言ってもしょうがないので黙っていますが、投資家には300億円ほどの迷惑をかけた。補填するのは僕の自由じゃないですか。不動産屋や貨金業でちまちましているだけでは、スピードが遅いです。そこに竹森と会って、『こいつはなかなかすごいな』と、いったれと。(セネに投資した)動機はそこにあるわけです」
これらの発言からは、自分が産み育ててきたソーシャルレンディングで300億円という損失を与えてしまった投資家へ、なんとしても補填したいという瀧本氏の執念のようなものが感じられる。
「’21年5月に一気にいろんなことが集中していました。ゴールデンウィーク明け頃には、出先から会社に戻ってきて『今日も死ねなかった』と言っていたこともあったそうです。5月の終わり頃には、睡眠導入剤がないと寝られない状態とも聞きました。その頃の姿を知っている人たちは、『自殺というより自決だと思う』と言っています」(長年親交のあった知人)
「ファイナンス村」という目標を見つけ、ソーシャルレンディングというビジネスモデルで、一時期ながら「金融業界の革命児」とも称される地位を確立した瀧本氏。投資家に与えた損失をそのままにしておくことは、彼にとって許せないことだったのは間違いない。セネ社の治験が虚構だとわかった時、瀧本氏は覚悟を決めて「自決」を選んだのかもしれないが、その反面、最後となってしまった酒席で、彼が言った一言が今も忘れられない。
「僕は、人と会うときは常に録音しています。今もそうです」
慎重さゆえの言葉だったのだろうが、人によっては、その一言が「心の虎の尾」を踏む結果になってしまっていてもおかしくない。本当に「事件性」はなかったのだろうか。取材で、酒席で、自信に満ちて自らの信念を語る瀧本氏の顔を思い起こすたび、その思いは今も消えない。
取材・文:長谷淳夫撮影:結束武郎(竹森被告) 共同通信社(家宅捜索)